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犬と話してみたいと思うけど

大型犬と暮らすことが夢だった夫。
その夢が叶ったのが4年前。

家の中で犬を飼うのが初めてだったので、最初は抜け毛の心配が私の頭の中を占めていた。 
実際一緒に暮らしてみると、抜け毛すごい(笑)
しかし、人間もすごい。慣れてしまう。コロコロを片手に「毛とともに生きる」そんな気持ちで暮らしている。

当初、実家の母は「犬がいると落ち着かないから、なかなか行けなくなるわ」と嘆いていた。しかし、この間来た時にはうちのソファーにふたり一緒に寝転がって昼寝をしていた。
犬のフーちゃんも何故か母のことが大好きで、母がいる間はずっと後をついて回っている。亡くなった父の生まれ変わりかと思ってしまう位だ。

犬と暮らしていると、言葉が話せたらいいのになと思うことが度々ある。
”今どんな気持ちなのかな?”と想像しては家族で、フーちゃんが話している風に台詞をあーでもない、こーでもないと言い合っている。それを見つめるフーちゃんはまたやってると若干呆れ顔に見えなくもない。こちらの言葉は確実に分かっている。

朝の散歩も私にとって癒しの時間だ。
フーちゃんと一緒に娘を見送り、母の顔からわたしに切り替わる瞬間。
その時を隣で感じているのか、娘を見送った後の彼女は少しワガママになる。
さっきまでスタスタと歩いていたのに、急にそちらの道へは行きたくないと引っ張ってみたり、ちょっと休憩しては空気の匂いを嗅いだり、田んぼ道に座って遠くを走る車を眺めたりしている。
私もその時間は少し甘やかしているのは確かだ。

一緒に歩くと優しく大きな瞳でチラチラっとこちらを確認してくる。
今日も可愛いなと思いながらふと思った。
言葉が話せないからこそ、こうして何度も瞳をのぞき込み、気持ちを考えたり、体を撫でたりして気にかけて日々コミュニケーションをとっているのではないか。
これが言葉を話せたら、大きくなった子供のように少し離れて見守るようになるのではないか。
それはそれで少し寂しい気もする。

知り合いのおじさまが言っていた。
「今じゃ孫より犬の方が可愛い。孫は大きくなると近寄らなくなるけど、犬はいつも近くにいてくれる。」
切ないけど気持ちが分からなくもない。
それだけ一緒に過ごす時間を大切に感じているということ。

犬を溺愛する人達を、少し冷めた目で見ていた頃が懐かしい。こんな自分がいることを知らなかった。苦手だった猫まで愛おしく感じたり、なんなら動物全般が可愛くて仕方がない。
今なら動物番組によく出てくる、犬の気持ちを通訳してくれる人になれそうな気がする。

まだまだ書きたいことはあるが、今日はここまで。

そろそろふたりが起きてくる時間だ。

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