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TV局からの出演依頼は何度かあったけど

TV局からの出演依頼は過去に3度あった。

500社どころか、300社就労前後から、ドキュメンタリー2つと夕方のワイドショー1つ、出演依頼の問い合わせが来た。


●テレビに期待される人物像


最初の問い合わせ時は、今よりスキルもなく貧乏だったので「底辺貧乏人」というキャラを顔出し(必須)するのは、一族の恥になるだけなのでお断りした。

お笑いを目指す人なら「底辺貧乏人」を売りに出来るけど、一般人が、そんな名目で顔を出してしまったら、普通の仕事すら出来なくなってしまう。



どのテレビ局側も、期待している人物像は
『必死こいて働く、ワケあり貧困シングルマザー』だ。


このような人物像を押し出す番組への視聴者の反応は、大別すると

①貧乏な人が頑張ってる。えらい!応援する。(好意)
②私より"下の人"がいる。安心した。(安心)
③300社で働くワケありシングルマザーなんて人格に問題あるんだろ。(攻撃)


①②が大半で、視聴者からは想定通りの反応が得られるだろう。毎度パターン化しているので、わかりやすいのだ。

テレビ局は、今までもそういう企画ものが好きだったので、得意な企画なのだろう。


しかし、私の現状はというと、別に『必死こいて働く、ワケあり貧困シングルマザー奮闘記』をしてるわけではないのだ。

「リーマンショックの時は底辺だったけど、今はスキルを身につけてITエンジニアになったから中小企業の係長くらいの給料は貰えている。シングルマザーだけど子供はもう社会人。円満離婚だし、元の夫は社長だから、私に何かあっても子供が苦労することない。スキマバイトで働いたお金は、旅したり映画見たり、お酒飲んだり、伊勢丹や成城石井で買い物とか、出前館に使ってる」


テレビ出演を断った経緯を市民運動のボランティア仲間に話したら「世の中には、あなたより苦労してる人がいっぱいいるのよっ!」と、説教された。

なぜ怒る?
意味わからんが、世間ではこのような反応を起こす人が少なからず居ることはわかった。


その反応には、嫉妬という感情があるのだろうか。

精神科医 和田秀樹氏の言う、不健全な「エンビー型嫉妬」

人間が動くところの根には必ず「嫉妬」という感情がある。この嫉妬にはしかし、その表現形において二種類あった。競争に打ち勝ち人を乗り越えようとする健全な嫉妬「ジェラシー型」と、人の足をひっぱり自分の下に落とそうという不健全な嫉妬「エンビー型」。

嫉妬楽の紹介より

今流行りの言葉で言うなら「マウンティング」

すぐに「マウントされた!」と怒る人ような人は、劣等感が強く、自尊心も低い人ので、ちょっとした刺激で怒る。

子供の写真付きの年賀状すら「私への挑戦状」となる。

「私の方が立場が上! 」と態度や言葉で示すマウンティング女子。

「マウンティング女子の世界」の紹介文より


そういうわけか『必死こいて働く、ワケあり貧困シングルマザー奮闘記』の人物像は、多くのテレビ視聴者を、上に乗っかるお猿さんにしてあげる好素材なのである。


だが、中途半端な中流の私がテレビに出ようものなら

①貧乏苦労人じゃないなら、共感も応援もしない。
②ただのワーカーホリックだろ。珍しくもない。(しらけ)
③無駄に働いているバカより、私のほうが上。(安心)
④私の方が、貧乏なのに!こんな程度の人がテレビで取り上げられるのはムカつく(怒り)

こんなマイナスな反応が際立ってしまうだろう。

結果、「この番組、何が言いたいわけ?」と炎上必至。


上記の論理で企画失敗となるのは、私がインタビューを受けて、書籍化された本のレビューで確認済みである。
(著者は有名なルポライターの方)



残念なことに、ゴリラから「人としてのあり方」を学ばなくてはいけない人間
は、世の中に結構いるのだ。

ゴリラ研究の第一人者である山極さんによれば、ゴリラにはサルと同じくマウンティングする習性があるのに、優劣の意識がないという。なぜか。本書ではその生態を詳しく解説する。ゴリラは共感能力が高く、相手と状況に応じて行動を選ぶ。異種である人間のこともむやみに攻撃しない。オスがメスに交尾を強要することもない。ケンカして仲直りするときは、じっと相手の目をのぞき込む。そんな平和で魅力的なゴリラの世界について知るうちに、人間社会のマウンティングのバカバカしさに気づくはず。

oggi



この話の詳細は、下段に続く・・・。


●顔出しのデメリット


そもそも歌手のAdoもyamaも、顔出ししてないし、バンドのamazarashiやMAN WITH A MISSIONも全員顔出ししてないのに、一般人が顔出しするのはデメリットしかない。

動画から写真を切り抜かれて「超フリーター仕事中毒ネキ」として"フリー素材化"され続け、未来永劫ネットに残り、拡散され続けてしまう。


フリー素材化した「自己防衛おじさん」は、自己プロデュースに上手く活用して、大成功してるけど

こんなに上手く活用できる人は、そうそういない。



犯罪者より、酷い扱いを受けるだけなので、顔出し出演は絶対NGだね。



他にも、別件だけど、新聞のインタビューにも掲載された。でも掲載の都合上、大幅に表現をカットされて誤解されたことがあった。

市民運動してた頃は、新聞に写真掲載されたりもした。
テレビよりは新聞のほうがマシ。白黒の新聞紙に掲載された写真は画質が悪いからね。


テレビの生中継でインタビューされたことは、3回ある。
1つは没になったけど、緊張で手が震えたなあ。
(この時のことは、後ほど記事にする予定)

1度はフェイントで公民館でどアップで映ったが、地方局なのでセーフってことで。

1度は、がっつりお昼のワイドショーの中継生放送に出てしまい、帰宅したら、それを見ていた家族に追求された。


なんだかんだで、意外と注目されるのであるが、人望がないのため人気YouTuberになれないのは、私の持って生まれた残念な特性だ。


●雑誌のインタビュー


これもかなり前の話だけど、私は某出版関係者から取材を受けて、その記事がYahooトップ記事に3時間ほど掲載された。諸事情あり炎上してたけど、学生の頃から炎上ウォッチャーだった私は、その程度は、余裕でスルー出来た。

まず「●社働いた」というのは、嘘だろうというコメントが飛び交っており、「このインタビューは捏造記事だ」と結論づける人がいた。
高校生の頃からの記録であるということと、日雇いというところを完全に無視している。てか、読んでないようだ。


他は、インタビュー内容と表現の食い違いによる炎上であったので、そこは仕方ないところだったので、ショックではなかった。


「日雇い現場を転々とする貧困シングルマザー」像を期待していた人からは「スキルアップしてITエンジニアで成功した人の話なんて聞きたくなかった」とガッカリされた。


ルサンチマンはルサンチマンが元気になる養分を期待
するのだ。だからルサンチマンが元気にならない話は、露骨にガッカリされる。

「他人の幸せが許せない」「他人の利益を不快に感じる」など、嫉妬に取りつかれた「ルサンチマン症候群」が急増している

radiko news




"マウンティング"や"ルサンチマン症候群"が、「メディアに求めるもの」を考えると、「人々の不健康な心」が浮き彫りになってくる。


みんな、マインドフルネス瞑想をしよう!

人類の意識の成長や進化は、そこから始まる気がする。


いつかドラマ化したら面白いかも


もし私のことが番組になるのなら、ドラマがいいなと、ずーーーーーっと思っている。

冴えない人生のドキュメンタリーより、フィクションが混ざってたほうが「視聴者も心が楽」よ。



私自身、『ハケンの品格』の大前春子を目指していた時期があった。
事務系のスキルアップを頑張るモチベーションが持続したのは、ドラマの影響も少なからずある。


ドラマになったらエンディングは、絶対、amazarashiと決めている。

amazarashiは、私の今までの人生をそのまんま歌っているバンドだから、amazarashi以外は考えられない。


あと気をつけたいのは

著作人格権の保護

著作者人格権は著作権法で認められているもので、その第20条第1項に「著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。」とある。これを「同一性保持権」と称する。 原作者が承諾しない限り、作品の内容は改変できないのである。

著作権法 第20条第1


『セクシー田中さん』の作者に共感するnoterは多いだろう。自分の物語は、勝手に改変されたくないものだ。


ちなみに、ドラマ化となれば、実は私には凄い"人脈"があるので、面白い提案が出来るのだ。


●脚本にチャレンジしたけど


コロナ前は、表参道のシナリオセンターの講座に何度か通っていたが

なかなか自伝を脚本という形に、まとめられなかった。


なので、諦めてnoteで散文を書くことにしたってわけ。


●noteは最適なツール


やはり、自分のことは自分で発信するのが一番だ。
誤解が生じない。



お金をかけずに発信できるし、ブログみたいに、広告に埋もれて肝心の記事が読めない、なんてことにもならない。


一句    

「散文の ちりも積もれば 山となる」

(ちり: 塵、散り)

不運な人を助けるための活動をしています。フィールドワークで現地を訪ね、取材して記事にします。クオリティの高い記事を提供出来るように心がけています。