年寄りの昔語りも必要なのかもしれない
若い子から
「あの、この作業、本当にやるんですか? 本当に面倒なんですけど。やる意味を見いだせないっス」
と言われた。
確かにそれは、アホらしくなるような作業ではあった。
時間ばかりかかる全点確認作業だった。
しかし、その作業をするに至った経緯を、私は知っていた。十年前、当事者だったからだ。
「その作業はね……」
と、私は経緯を説明した。
十年前、当時の作業者が、逃してしまい、発生したミスの話。そしてそのリカバリーに膨大な時間を必要とした件。
そして、この手順で確認しておけば、防ぐことができたミスだということ。
伝わらないかもなあ、効率好きな子だからなあ、と思っていたら、
「なるほどじゃ、必要っスね。じゃ、やります」
と納得してくれて、拍子抜けした。
そして思ったのだ。
最近、ナラティブという言葉をビジネスの世界でよく耳にするが、これがまさにナラティブなのではないか。
手順だけを「やれ」と言ってもいずれ、「面倒だから」で消されるかもしれない。そういう時に
必要なのが手順の背景なのではないか。
であればオッサン、オバチャンが昔のことを話すのも、あながちすべて無駄なことではないのかもしれない。
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