人生初のジュリーライブ4

前置きが長すぎましたがいよいよライブ1曲目

「ストリッパー」
ジュリーが作曲
1981年9月発売、ファンになって半年前に初めてこの曲を知ったのですが、
めちゃめちゃ良くないですか?
作詞された三浦徳子さんが最近お亡くなりになったという悲しいニュースがありましたが、タイトル名からしても1981年にですよ、40年以上前の曲なのにタイトルと作詞が本当に攻めてるんですよね、でも攻めてても下品じゃない歌詞だと思うんですね。
しかもジュリーが歌うからこそ、その歌詞が生きる。
ジュリーだからストリッパーってタイトル名でも通用しちゃうんだと思うんですね。
そして作曲は沢田研二、ジュリーです。
ロカビリー調でもっともっと評価されてもいい曲だと個人的に思っています。
今、聴いても古臭くを全く感じない曲。
ほんとジュリーの曲って今聴いても全然ありなんですよね、ありどころか今聴いても新しい感じがしちゃうんです。

そしてこの曲はお客さんの振りがあります。
私的には1曲目から振りあるんかい!!聞いてないぞ!!状態ですが(笑)
歌詞の「おいで」のとこで手の指、小指から順においでの振りをファンの皆様がされてるので私も急いでしちゃってました。
そこから朝でも夜でも真昼でも
春でも秋でも真冬でも
ここの歌詞もジュリーと同じ振りをします。
私からしたらすべて新しく、ファンとジュリーが一体化したのを1曲目から見せつけられた状態だったんですね。
ジュリーとファンの歴史は長く当事者しか分からない感情があるって思うんです。
ファンになりたてで偉そうなこと言ってごめんなさい。

そして2曲目「TOKIO」です。
1980年1月1日発売、今でこそ元旦からお店は開いてるのが当たり前、でも当時は物流の関係で1月1日発売なんて絶対無理って言われてたらしいと、私の浅い情報で申し訳ありません、でも1980年、80年代最初を飾るのはジュリーだって当時元日に発売なんてありえなかったのにやってのけたのが、ジュリーとジュリーを支える全てのスタッフだったらしい。
ファンの方なら当たり前に知ってることも私には全て新しく、その度にジュリー凄い!スタッフ凄い!って思ってる状態なんです(笑)
そして79年紅白で0円衣装でカサブランカダンディを歌ったばかりなのに、まさかまさかのゆく年くる年事件!いや悪い意味の事件じゃなく凄い意味の事件!なんです。(知らなかったのですが当時ゆく年くる年は、NHK以外民放TBSフジ日テレテレ朝テレ東は同じ映像だったらしい)
そしてカウントダウンと共に1980年代が始まりました、そして民放局全てでまさかのジュリー!あのパラシュートを背負ったジュリーがNHK以外の全ての民放をジャックします。
多分何も知らずにゆく年くる年を見ていた家族が全国にいると思うのですが12時過ぎにいきなり民放全てがジュリーのパラシュート、何が起きたんだって思ったのかな?とか想像してしまいます。
すみません、映像を見てなく情報だけで書いているので間違ってる部分もあると思います。もし間違ってたら教えて下さい!
そしてライブレポなのに、脱線ばかりで本当に申し訳ありません。
ジュリーのこと考えてるとあれも書きたい、これも書きたいってどんどん膨らんでしまってる状態です。

長くなりましたので続きはまた。






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