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便箋と封筒

 ぼけ防止として頭に刺激を与えるために毎日一つ今までしたことのないことをすると良いらしいが、といってもなんだろう? 思い浮かばない。久しくしていないこと、若い頃していたこと、というとメールではなく手紙を書くことでしょうか。

昔は「少女」とか「少女ブック」といった少女雑誌の付録にもよくレターセットというのがあり、薔薇や白鳥の浮き出た封筒が付いていると、それに惹かれていつも取っている雑誌ではないものを買ったりしたものだ。中原淳一のレターセットも人気があったが、今も変わらぬ人気のようで、最近雑貨店に中原淳一の一筆箋を見かけて、私は思わず購入した。またキュー・ガーデンやシシング・ハーストで植物が描かれたカードと封筒セットなど見境もなく買ったものだ。それに、ホテルのレターセットなども記念にとしっかりもらった。この記念というのが曲者で、ものが増える根源である。写真の右竪琴のエンボスの封筒は昭和30年代に宝塚で買ったもの。

 戦後昭和20年代から長らく家に居たお手伝いさんはハルピン育ちの人だった。彼女はいわゆる引き揚げという経験をしてきた訳だが、そんな中にも外国製のクリスマスカードや綺麗な封筒や便箋を持って帰っていて、それらは彼女が豊かな子供時代を過ごしたことを示すものであった。その中から一枚また一枚と子供のわたしにくれるのだったが、それらは子供時代の宝物だった。写真の便箋の絵は松本かつぢではないかと思われる。 彼女は満州育ちだけあってスケートが上手で、時に小学生の私を難波のスケートリンクに連れて行ってくれ、おかげで私は曲がりなりにも滑れるようになったのだった。彼女からはいろんなものをもらった。誕生日にもらった、デパートで購入したらしい美しいつまみ細工の小箱は高価だったと思う。それなのに後に彼女が結婚する時、大学生だった私ときたら何をあげただろう? 兄と共同で魔法瓶だった。それなのに彼女は随分喜んでくれた。彼女はご飯を食べるのが人一倍ゆっくりだったことも思い出される。後に父の葬式の時、お寺での精進落としで、大勢の人でごった返す中、みんなが何本づつかビール瓶を運んでいる時、彼女が一本ずつ運んでいるのには驚いた。することなすこと、彼女は可愛がられて育った人なのだろうと思わされた。

 さて、手紙を書くと言っても誰に書いたらいいのだろう? 今時メールやラインで交流している友達に急に送ったら「何事か?」と驚かれるような気もする。また長年の友達からの手紙の断捨離に困っている人に送ったらさらに人迷惑な気もする。昔は手紙をもらうと嬉しかったが。何十年と溜め込んだ便箋と封筒を消費するという自己満足だけかもしれない。



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