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映画『EOイーオー』イエジー・スコリモフスキの編集の企みとは?

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初めにお断りしておかなければならないのは、この映画を見る途中、睡魔に襲われ何度か不覚の事態に陥っており、もう一度しっかりと見直さなければレビューなど書けるものではないのです。それでも奇妙なこの映画のことを書いておきたい衝動もあり、感想を記すことにする。

この映画を「ロバの目から見た人間社会の愚かさ」を風刺的に寓話的に描いているという感想がまず思い浮かぶ。だが、果たしてそうなのだろうか?という疑問がある。かなり意図的に作為的にロバが撮影に使われており、擬人化こそしていないが、動物を殺す人間をロバに蹴らせて気絶させてみたり、草原を走る馬たちを憧れのように見るロバ目線映像を作り出してみたり、かなり意図的、作為的な編集・モンタージュ・映像づくりがなされている。そもそもモンタージュというものには、ないものをそこに何かがあるかのように、映像の編集によって意味が付与される傾向がる。プロパガンダ映像がそうであるように、映像を意味の道具に貶め、伝える意図を優先し、安易な意味付けをしてしまう。そういった単純な意味づけのモンタージュを注意深く避けているのが多くの優れた映像作家だと思う。それをあえて、イエジー・スコリモフスキが今さらやるだろうか?

濱口竜介監督は『EOイーオー』の公式ページで「もう彼だけになってしまった。その人自身を映画と思える人は。」とコメントを寄せている。イエジー・スコリモフスキの初期の傑作、ワンカットの長回しがある『身分証明書』『不戦勝』、映像詩のような『手を挙げろ』『バリエラ』などの実験性、革新性には本当に驚かされた。ぜひ機会があったら見て欲しい傑作群だ。そして瑞々しい青春映画『早春』も忘れられないし、久しぶりに復活した『アンナと過ごした4日間』や今作との類似性も指摘されているただただ逃げるだけの映画『エッセンシャル・キリング』、近作『イレブン・ミニッツ』、どの作品も実験精神に満ちた意欲的な作品であった。「映画とは何か」という根源的な問いを発し続けている自由で革新的な映画監督であると思う。

さて、このロバのイーオーの映画とは何なのか?ロベール・ブレッソンの『バルタザールどこへ行く』にインスパイアされたとスコリモフスキはインタビューで明かしている。ロバの視点や存在を通して、人間たちの姿を描いたという意味では両作品とも共通する。しかし、この『EOイーオー』の方が、ロバが映像の中心にいる。『イニシェリン島の精霊』でもロバが出てきたが、あくまでも人間の争いや格闘を見つめる存在としてそこにいるのが、ロバだ。馬たちのように走る姿が格好良くもなく、ロバは愚鈍でのろまな存在だ。馬がエリートならば、ロバは働きづめの労働者か社会の落ちこぼれといった感じだろうか。

サーカス小屋でのカサンドラ(サンドラ・ジマルスカ)からの愛撫という幸福な生活から一転、動物虐待に当たるとサーカス小屋から追われ、サッカーチームの勝利のラッキーアニマルと称賛されたり、相手チームから暴行を受けて死にそうになったり、キツネが殺処分される施設で働かされたり、「ロバはサラミ肉になる」と言われて馬たちといっしょにトラックに運ばれたり、いろいろと流転する。今度はそのトラック運転手が殺され、神父になることから逃げだした男に拾われ、その義母(イザベル・ユペール)と息子とのただならぬ関係が描かれたり、とにかくいろんな人間たちの物語をロバのイーオーがつないでいく。赤い映像のフラッシュバックやドローン映像や四足歩行ロボットとかも出てきて、映像はとりとめがない。イーオーの脳内イメージなのか?最後は牛の群れと一緒になったロバのイーオーが屠殺される暗示で映画は終わる。

これらの殺伐とした人間世界の映像は、何を意味しているのだろうか。ロバが世界を見ているように映像は作っているが、実際にはロバは何も見ていない。何を見てるわけでもない漠とした大きな目。映画的にロバの存在が、それぞれの人間世界のエピソードを繋いでいるだけだ。映像に意味を読み取ろうとするのが人間の宿命なのだが、ことはそれほど単純ではない。イエジ―・スコリモフスキの編集モンタージュの企みは、あえてロバに人格があるかのように作り出している。しかし、それは映画のマジックに過ぎない。この世界のありようをただただ示すために、愚鈍で無垢なる存在のように見えるロバという動物を意図的に使って映し出しているだけなのだ。イーオーは6頭ものロバを使って撮影されたそうだ。イーオーとはロバの鳴き声だという。ロバの鳴き声は、今の時代への悲鳴なのか?意図的なイーオー主体の物語は、わざとらしさもあることを含んだうえで、見なければならない。そうしないと映画の面白さの幅を狭めるだけなのだ。映画とはそういう作為的なものだというスコリモフスキのこの企みを皆さんはどう受け止めますか?


2022年製作/88分/G/ポーランド・イタリア合作
原題:EO
配給:ファインフィルムズ
監督:イエジー・スコリモフスキ
製作:エバ・ピアスコフスカ
脚本:エバ・ピアスコフスカ、イエジー・スコリモフスキ
撮影:ミハウ・ディメク
編集:アグニェシュカ・グリンスカ
音楽:パベウ・ミキェティン
キャスト:サンドラ・ジマルスカ、イザベル・ユペール、ロレンツォ・ズルゾロ、 マテウシュ・コシチュキェビチ

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