ムラブリを読んで共感と再発見

広告業界や公共事業の広報、そしてメーカーにて新製品販促企画などを転職するなか業務として体験してきた。
そこでいつも腑に落ちないのは、モノやサービスの価値や価格の仕組み。
原価と売価の差額とそこに発生する費用や利益の存在。
公共事業の目的と費用対効果を評価する現在のモノサシや仕組み。

なぜ、生活者のニーズと社会構造のスキームが調和できない状態でも良しとする判断が、社会の主流を担っていられるのか?

利権を手にした存在は、その維持にエネルギーを注ぎ、そこに大半のコストが吸収されて結果として、全体最適からは少しズレた社会が形成されているが、私は、いまの生活に危機的な状況がないため、そのルールの外に生活空間を創造しようと踏み出さない。

そんな根源的な自分自身を改めて認識させられた書籍だった。
世界的にいま就職以外に起業を選択肢のひとつとなりつつある事もそんな背景があると改めて感じた。

これから税金への考え方、つまり個人が国の在り方に大きな意識が向かう時代になりつつあると感じる。
そのフックは、ChatGPTではないかと踏んでいる。

しがらみ、非合理性、感情、既得権益に影響されにくいモノサシを見つけ出すには、大量の生活者視点が土台となる価値基準を醸成しつつ、時代を超えた歴史的な時間軸の大局を分析、提案できるスペックを持つ存在が、私達の予想や企画できない選択肢を提示できるのでないだろうか?

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