なぜ国葬にするか?よりアフター国葬or合同葬を考えてたらどうだろうか?

半ば確定事項として国葬の開催が進行する中で、この社会環境における国葬の意味を未来へと繋げる契機としたらどうだろうか?

安倍元首相も未来の日本を思い、憂いた多々の思いがあったに違いない。その思いを国葬というひとつの儀式を通じて、スタートとする基金を設立する契機にする

その基金はコロナ禍にて、生活に困窮する家庭の子どもたちの教育、食糧を中心に支援する

つまり、現政府では手が届かない対象を中心に未来を担う子どもをあらゆる面から支援し、現制度ではカバーできない行政の空白地帯を担う役割のである

その原資は国葬へ参加する政治家や各種団体とその他一般からのクラウドファンドにより、いわゆる香典的な費用を基金とする

基金への募金は、基本匿名とせず希望申請者もオープンに誰でもネットにて申込でき、かつ子ども食堂など地域包括的な活動組織や少年少女を救う活動のNPO、赤ちゃんポストなどの団体でも活動対象が子どもであれば、自由に支援できる

また、年に1回、クラウド参加者による推薦支援先投票を命日に実施して、全国の組織のなかからいくつかに支援金を提供する

この投票権は、金額の多寡ではなく個人または登記された法人は一口一票の権利とする

哀しい今回の事件発生を安倍氏の単なる功績と生存者の自己満足に終わらせることなく、次代へと繋ぐ入口にすれば故人も喜ぶのではないだろうか?
この基金の運営には、奥様が担うのはどうだろう?また、ボードメンバーに野党の代表に参画いだきき、困窮する国民の状況把握を与野党政治家の方々にて共有する場として活用できれば、元首相の政治家としての存在も歴史に名を遺してゆくのではないだろうか?

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