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悪性リンパ腫の闘病生活の記し⑥

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私の闘病記の第六弾です。
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記事一覧

~『リンパ輸注』という治療~

しばらく記事の投稿が出来ないでいたのは、自分の中にあるさまざまな変化と体調が芳しくなかったという両方が存在するからということになる。 ただ、その中で今日は少し『リンパ輸注』という治療法について書いていこうと思う。もう少し具体的になれば分かりやすい記事にも出来るのだと思うのだが、いかんせん見えてない部分も多いことから、若干中途半端な内容になることを先にお断りしてお詫びしておきたいと思う。 ▼ リンパ輸注とは?リンパ輸注とはごくごく簡単に言うと「私の体に新たな応援を呼ぶこと」

~皮膚生検の結果と今後~

体調の経過報告については前回から多少時間が空いてしまったが、時系列を追ってここに記載していこうと思う。 結論から申し上げると、あまり良いことは書いていない。 ▼ 12月上旬皮下腫瘤の一部が表出してきたことにより皮膚生検を行うことについては、前回記載している通りである。予定通り12月上旬に皮膚生検が行われ、結果を待つ運びとなった。 その間私に起きていたこととしては、子供から風邪を貰ってなかなか咳が止まらないという状況であった。 今となっては免疫の低い状態を危険視して子供

~再発の影響が進んでいるのか…?~

2週間置きに病院に通い、血液検査等を受ける。その中で新たな皮下腫瘤が複数見つかり、形成外科との打ち合わせを経て再度生検となった。 …自分のリンパ腫のタイプは、やはり皮膚転移していくものなのだろうか? GVHDに伴う可能性のあるかゆみや赤みは正直全身に出ている。何がどうなのかを判断することは自分ではもちろんのこと、医師でも難しい様だ。 その中でも過去の経験上、皮膚に『弾力性』があるかどうかに注意しながら私は普段を過ごしている。身体のチェックは「しこりを感じるかどうか」であ

〜『今』は『過去』と『未来』を繋ぐだけなのか?〜

前回の記事から1週間後に、帯状疱疹含めて体調の報告に病院に行く。 投薬の甲斐もあり、比較的穏やかな体調のもと病院での診察を受ける。結果としては予想通り『悪くない結果』という判断がされ、毎週通っていた病院が2週間に一度に変更される。 より良い形に向かっている…風に見えなくもないが、実際の自分の身体を自分の判断で検証してみると、心配事も多少は残るものである。 …私の身体はどうなるのであろうか。 ▼ 現状について簡単に悪性リンパ腫の再発については、過去にも記載している通りで

~私の人生をどう見ようか?~

体調が上向かず、どこか停滞した生活を続けている。そんな中で病院からは毎週の診察と体調の変化があった際には報告することを義務づけられている。 どこからどこまでを報告しなければいけないのか正直分からないのであるが、この辺の線引きは水掛け論になるので黙って従っておいた方が得だということを三年間の入院の経験から学んでいる。 そんな中で腰に水泡のようなものを見つける。多少ピリピリした感じと昨年度の経験から帯状疱疹ではないかと予想をつける。 それで終わってしまえばまぁそれはそれであ

~再発後の診療と現状~

悪性リンパ腫の再発から少々経過した現在行われているのは、免疫抑制剤の停止のみである。 弟から貰った免疫の活動を抑えるのではなく、再発した私のリンパ腫の攻撃を促している最中である。 感覚としては抗がん剤とは違い、即効性が認められているような感じがしない。病巣となっている皮膚腫瘤は多少色合いの変化を見せたような気がするが、大きさや膨らみといったところに現在のところ大きな変わりはない。 直すつもりでいることは諦めていないが、これだけさまざまな手を打ってきて再び顔を出した癌細胞

~3度目の再発を受けて~

再発を迎えた今の感情は、正直なところ怖いくらいに淡々としている。 …なんだろうか? もっと感情的になったり、絶望したり、悲観したりとそんな感覚が大きいのではないかと思っていたが、気持ちが悪いほど達観している。 一番感情が辛かったのは、どうやら1度目の再発の時であると記憶している。それが場数をこなすにつれて、自分の病気のしぶとさから一種の『慣れ』の様なものを自分の中に確立させてしまったのだろう。 「辛い」「悲しい」といった感情は必ずあるはずなのに、今の自分に探しても見当

~2023年9月のこれまでの経緯~

さて、現状を今回は整理していこうと思う。時系列に沿って、9月に入りどんなことが起きたのか自分なりにまとめていく。 時系列に無機質に…。 ▼ 9月1日大学病院に入院して、既に100日が経過している。 転院に向けてスケジューリングを行っていたが、転院先の地元病院でコロナの院内感染が起き、しばらく病棟閉鎖という事態が起こった。 それに伴って、私の転院の予定も1週間ほど先延ばしになってしまった。 外部環境要因なのでこの辺はやむを得ないという一方で、日々の体のチェックの中から

転院への道

大部屋に移り、点滴が無くなり、カテーテルも外れた。 退院が近くなっている。 ただ、自分の場合は地元に帰って即入院となることが決まっている。 そのため、待ち望んでいる退院ではなく『転院』という捉え方の方が正しいのかもしれない。 それくらい注意しながら慎重に物事が進められている。 残念ながらマスクを外すことは遠い先になりそうである。 ▼ 転院の流れ大きな病院で治療を終えた患者は、地元に戻ってかかりつけの病院に以後の検査や治療を受け持つことは実際によくある話である。 地域

~移植と昏睡⑤~

前回の続きになります。 ▼ 現在の体調リハビリや投薬のおかげで、現在はある程度人並みの生活が送れていると感じています。 もちろんベッドで寝ている時間はとてつもなく長いですが、それ以外は比較的問題ないと言ってもいいんではないでしょうか。 副作用として腹痛や吐き気などといった細やかな症状が起きることは時々ありますが、病院の中にいるのである程度即時に薬で対処できるというのが「退院していない」僅かながら有益なポイントかと思われます。 ▼ 食事一番困っているのは食事です。病院食

~移植と昏睡④~

前回の続きになります。 私が昏睡していた数週間については、あまり情報が正直ありませんでした。 私が知りたがろうとしなかったというのもありますし、ICU担当の看護師と病棟担当の看護師が違うというところもあったのかもしれません。 「医師に聞けばいい」と思われるかもしれませんが、医師の方と接するのは 回診の時のみであまり深い話をすることができなかったという事実もあります。 ただ、自分がリハビリや 食事など退院に向けて努力をしていく中で、どうしても気になったのは『昏睡時の私と

~移植と昏睡③~

前回の続きになります。 一般病棟に移ることができたのは7月の上旬でした。とはいえ身体は満足に動きません。 食事も取れず、歯磨きも出来ず、歩くことも出来ず…。 結局のところ、病棟が変わったからといって自分の生活に劇的な変化はありませんでした。投薬がどこまで効くのかというところがメインテーマとなっており、数日後にはリハビリが始まっていました。 ▼ 食事 まず最初の課題になったのは食事です。 少しずつ 口からではなく栄養を取ろうという流れになったのですが、正直ほぼ流動食の

~移植と昏睡②~

前回の続きになります。 ▼ 目覚め7月上旬、私は目覚めました。 その様子を見てバタつく医師や看護師の姿が印象的でした。 そんな言葉を矢継ぎ早にかけられました。正直何が起きたのか、全く自分の頭では理解できませんでした…。 ひと通りのバタバタが終わって、自分の身体を確認した時に声を失いました。まぁ正しくは声はでなかったんですが…。 もはや私の知る状態では無くなっていました。一体何が起きて、この様なことになったんだろうか見当もつきません。 ただ、医師や看護師の方が「良か

~移植と昏睡①~

ご無沙汰しています。 体調も僅かながら回復傾向にあり、黙って寝ているのも疲れてきたので執筆を開始したいと思います。 先にお断りしておくと、記憶を失った期間がありまして、その記憶を継ぎ接ぎしながらこの文章を書いています。 長くなるので「昏睡から目が覚めるまで」と、「目が覚めてから」のを幾つかに分けて構成にする予定です。 結論から申し上げますと、私は5月末日に弟からのハプロ移植(半合致移植)を経て、6月13日に無事に生着を迎えました。 前処置(移植前の処置)や移植後にお