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全部持ったままで




こんばんは、じゃないです。



久しぶりにめっっっっっちゃ重たい上に自己満足でしかない記事を書かせてください。こんな記事を書いてフォロワーが減っちゃうことも気がかりではあるけれど、私のフォロワーはこんな私のことも受け入れてくれるだろうなという安心の方が強いから。



すこし前に恋人が出来ました。なんだか自分の人生じゃないみたいです。人生で初めて人と付き合ったときよりも、現実味がなくふわふわとしているのは、ひどく昔の恋愛を引きずっていたからだと思う。





大学2年生の頃にお付き合いしていた人のことを、ずっとずっと好きでいた。人生で初めての遠距離恋愛で、歳上の彼で、人生で初めて振られて終わった恋愛だった。嘘みたいに好きだった。人をこんなに好きになれるのだということに気づいて、自分が生まれてきた意味は彼に出会うことだったんだなと心の底から思っていた。言葉を尽くしても、どんなに尽くしても、好きだということを伝えきれている自信がないほど好きだった。遠距離だから会うはずないのに、バイト先に突然現れてくれないかな〜なんて思いながら、毎回きちんとしたメイクで出勤した。Twitterを見るようにLINEを遡って読み、Instagramを見るように彼の写真を見た。顔とか性格とかそんなもの以上に、彼の生き方が好きだった。彼と生きている時間が尊くてたまらなかった。



振られてしまってからは、刺激的な言葉になるけれど、たまらなく死にたかった。付き合っていた頃に彼が「死にたいとか言っちゃダメだよ」と言っていたので、別れてからもその言いつけを守って「死にたい」と思ったときは誰にも言わずにTwitterのいちばん小規模なアカウントの下書きに「死にたい(絶対死なない!)」と書き溜め、誰も見られない場所に希死念慮と人生を続けていくことの覚悟を記した。最近ふと数えてみたら、その下書きは数十個にものぼっていた。



読書という最大の趣味が同じで、デートの別れ際にはバイト先であるスタバに行くことが習慣になっていたから、趣味に没頭することもバイトに打ち込むことも、失恋の癒しにはならなかった。隙間さえあれば、彼との接点を思い出すきっかけさえあれば泣いていたから、サークルの先輩にも、友達にも、バイトの後輩にも、私と関わる全ての人に迷惑をかけた失恋だった。次に進むしかない!と思って無理やりに恋愛しようとして傷つけてしまった人も少なくない。



春の初めに振られたのに、夏になっても秋になっても死にたかった。当然冬になっても死にたくて、クリスマスにはひとりで京都に旅行に行って、死なずに帰るために沈みがちな夜はお酒と小説で溶かした。狙い通りに寝落ちすることが出来て、気づけば翌日で、朝に絶望する前にシャワーを浴びてホテルを出た。生きて家に帰れた。この頃には交差点を左右を見ずに通過することはなくなっていた。死にたさが薄まっていた。ひとりで、毎年のクリスマスを誰かの命日みたいに泣きながらお酒を飲んで過ごせば、それをあと60回くらい繰り返せば寿命が来るのだから大丈夫だと思い始めていた。




就活をして、実習に行って、友達と会って、バイトの人と飲んで、を繰り返していたら別れた日から1年がとっくに過ぎていた。この頃も死にたさはあったけれど、死んだところでどうしようもないしな、と客観視する自分もいた。終わってから1年も経った恋愛の話をしても、誰も楽しくないだろうなと気づいた。ふと思い出したとき、夢に出てきたとき、その内容をiPhoneのメモに書き溜めてひとりで泣いた。春が過ぎて夏になって、彼のいない季節が巡るたびに、運命とか無いんだな、とか、大好きだから結婚できるわけでも一生となりで生きていけるわけでも無いんだな、と、お花畑恋愛脳がゆっくりと溶けていった。どうせ好きになったってそのうち終わるのだし、と思うと恋愛する気にもなれなかった。もう一度溺れるほどに人を好きになりたいという気持ちよりも、死にたさに支配された日々を送りたくないという気持ちが強かった。




夏になって、アルバイトと飲み会を繰り返していた頃に、中学時代の同級生にばったり再会した。14歳のあの頃ぶりだった。少し勇気が必要だったけれど、勇気の出し方は死に方を調べていた頃に身につけていたおかげで声をかけることが出来た。彼も私のことを覚えてくれていたことが嬉しかった勢いで「ご飯行こうよ」と誘ったら断らずに来てくれた。久しぶりの、ほとんど1年以上ぶりの、死に方を調べない夜だった。



彼と会っている時間が、彼が、睡眠よりも食事よりも心身を癒してくれたから、多少暑くてもとなりを歩いていたかったし、明るくなるような時間まで公園でお話していたかった。「この人と付き合うのかな」とか「ようやく次に進めるのかな」とかそういうことは考えていなかったけれど、考えていなかったからなのか、彼と公園でマンゴーラッシーを作っているとき、「ずっとこの時間が続けばいいのになあ」と明るくなり始めた空を見ながら言ってしまったことがある。言葉が口の外に出た後で、友達に対する言葉にしては重たかったような気がしたけれど、「ほんとそうだね」と返してくれたおかげで何気ないやりとりにすることができてありがたかった。




夏が終わって秋になると、夜を外で明かすことは難しいくらいに寒くなっていった。寒くなってくれたおかげで出来た楽しくて嬉しい思い出もたくさんあるけれど、当時はバイト終わりに駅に迎えに来てくれて、ちょっと散歩してコンビニでアイスを買って公園で明け方まで話す毎日が終わることが悲しくて仕方なかった。この毎日を続ける方法が、付き合うことしか思いつかなかった。付き合うことしか思いつかなかったあたり、私が友達に恋愛脳だと言われてしまう所以なのだと思う。彼が、私の恋人になってくれたおかげで、もう気温が1桁台になってしまった夜もとなりで過ごすことが出来ている。幸せだと思う。




わからないけれど、今もし私が死んだら、彼は泣いてくれるような気がする。だからなのか、それ以外の理由なのか、わからないけれど、彼が恋人になってからの夜に死に方を調べた日はない。昔の恋愛がなかったことになったわけではないけれど、生きていることが嬉しいなと思える人が、となりにいれば全部が大丈夫になるんじゃないのかなと期待してしまう人が、今わたしの恋人であるという事実が希死念慮を消してくれたのは間違いなくほんものだ。だけれど、失恋で死にたくなっている人に「時間が解決する」とか「次の恋愛をすれば忘れる」とかは言いたくない。きっと、死にたさを抱えたまま生きてきた事実が、その死にたさを消してくれるのだから。



いま、息を吸って吐いて心臓が動いて血が巡ってそして瞬きをしてわたしは生きている。きのうもそうだったし、1年前も、大学2年生の頃もそうだった。きっと明日もそうだと思う。今日まで生きていてよかったと思えるのは今の恋人に出会えたからというのもあるけれど、死にたさを抱えながら確かに生きてきた日々があることを認識できたからだと思う。死んでしまっていたら、死にたさを抱いていたことを忘れてしまっていたと思う。昔の恋人がくれたものも思い出も知識も希望も、間違いなく自分の中で確かに息をしていて、それらを殺さずに済んだという意味でも、生きていてよかった。




死にたくてたまらない日がこの先の人生で訪れても、死にたさを抱えて生きた日々を抱きしめたくなるような日がいつかくるのだという事実に、わたしは死ぬまで生かされていたい。死にたい日よりも少なくても、生きていてよかったと思える日はゼロじゃないから。わたしは自分の人生にひとつの後悔もないよ。



生きている限り、選択は続いていく。生きている限り、あなたの選択は続いていく。だけど大丈夫だ。二度目の選択をするあなたは、一度目の選択をすることができたあなたなのだ。同じように、三度目の選択をするあなたは、一度目の、二度目の選択をすることができたあなたなのだ。あなたは、生きるたび、選ぶたび、強くなっている。それは、間違いない。きれいごとだと言われるかもしれないが、宝石だってなんだって、きれいなものは大抵硬いのだ。そんなに簡単に崩れはしない。

朝井リョウ



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