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永遠になりたい


こんばんは、じゃないです。
遅くなりましたがあけましておめでとうございます。そして新成人の皆さん、おめでとうございます。


年末年始はいかがお過ごしでしたか?私はというとロングシフト3連勤をこなし、小3のいとことソフト牛(ソフトクリームを持った牛のぬいぐるみ、小岩井牧場で買えるらしい)の話で盛り上がり、高校の同窓会へ行っていたらあっという間に終わってしまいました。充実していたし毎日楽しかったけれど、忙しなく過ぎてしまった感じもするね。ちなみに同窓会では「note読んでるよー!」と数名から言われました、これも読んでる〜?


そして私ごとですが、1月7日に22歳になりました。何度だって言うけれど、早生まれ同士にしかわからない絆ってあるよね。私の通っていた幼稚園では毎月お誕生日会があり、その会でプレゼントされるリボンで作った花を通園バッグに付けるのが流行っていたけれど、早生まれの子は当然誕生日会も遅いためになかなか花を貰えず、寂しい思いをしていたのを思い出しました。こういう思いをしがちな者同士の絆、大切にしたい。


お誕生日当日は恋人と神戸旅行へ行きました。ドライブでふらっと行くことは時々あったけれど、神戸をしっかり観光したのは小学生の頃が最後なので、ずっと行きたかった念願の神戸。とっておきたい、とっておきなので記事にします。ちなみに彼は早生まれではないけれど好きです。


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朝マックを食べて高速バスへふたりで乗り込む。朝マックにはたくさんの思い出があるけれど、もうひとつ増やせて嬉しい誕生日の朝だった。車窓からはたくさんの護送車が見えて、こうして誕生日をのんびりと過ごしている人もいれば、何かしらの大きな出来事を抱えて高速道路で揺られている人もいるという、その日がどんな日であるかは人によって違うのだという当たり前のことに気づく。サービスエリアでスッパイチュウを買って、彼にたくさん食べさせた。今後ハマってくれたらおもしろいな。




お昼過ぎに中華街へ到着。インスタでしか見たことのなかったパンダまんを手に入れて、もうここでとんでもハプニングが起きてしまって帰らなきゃいけない、ということになっても駄々をこねず帰れる自信があるくらいに満たされていた。そのあとも太宰府で食べられなかったイチゴ飴(彼は横浜の中華街でハズレを引いたことがあるらしく、ちゃんとした店を選べと騒いでいた)も満喫し、小籠包を分け合い、最後に大鶏排(ダージーパイ)まで食べた。彼が私のマフラーについた衣や飴を取ってくれてありがたかった。

身を寄せ合っている... キュンとするね


満腹になったところでatoa(アトア)へ。芸術と水族館のコラボという意味のart to aquariumでアトアという名前らしい。大抵の水族館は「深海コーナー」「小さな生き物コーナー」というように、生き物の種類ごとに展示が分けられているけれど、アトアは各ブースにテーマが設けられていて、それに合った展示の中にそれらしい生き物が佇んでいた。




お正月の余韻が残る水族館にはタツノオトシゴや品種改良を重ねて開発されたらしい、金色と銀色の美しい鰭を持つ金魚である穂竜(ほりゅう)など、龍に因んだいきもののコーナーもあり、優雅に泳ぐ魚たちに癒やされた。私はこの世の中にかなり苦手な生き物がいるのですが、(文字にするのも嫌なくらいなので伏せさせてください)そういう生き物が居そうなコーナーで彼は盾になって歩いてくれてありがたかった。なんかもう私ひとりで生きていけないかもな、すげ〜ダサいけれど。

メスの生んだ卵をオスの腹の中で孵化させるらしい、人間もこうだったらいいのにね〜って言ったら謝られちゃった、ごめんね



メリケンパークを歩くと、まだ工事中ではあるもののポートタワーの全貌を見ることができた。夏に神戸に来た時は周りが全て覆われていたので、象徴的な赤が海辺に立っている姿を見られて嬉しかった。海のそばのスタバがある公園って都会的だけど時間がゆっくり流れていて最高だな。すぐそばのmosaic(お店やご飯屋さんが集まる商業施設)のカフェに入ってケーキを食べながら夜ごはんにどのお店へ行くかを話した。彼がピザ屋さんの予約を取ってくれて、さらにカフェ代まで出してくれた。普通に割り勘でいいと思っていたしそのつもりだったのに、「お誕生日だから」と言われて甘えてしまった。毎日お誕生日ならな〜と私が言うと、破産しちゃうよ〜と泣いていました。

カフェオレがカフェオレボウルで出てくるお店、彼のタルトの方が美味しくてそっち頼めば良かった〜と思ったのは内緒



予約してくれたピザ屋さんは、当日によく予約が取れたなというくらいに混雑していて、活気があるのに品もあって、ノンアルのカクテルもピザのメニューも充実していてとてもいいお店だった。私の好きなものを頼ませてくれるところ、注文を取りまとめて店員さんに伝えてくれるところなど、私は友達といると取りまとめて伝える側だから、いつもしていることをしてもらえるとすごく嬉しい気持ちになる。それじゃあ彼は誰に注文を取りまとめてもらっているんだろうか。全く同じものではないけれど、してもらっていることをきちんと覚えておいて、そしてちゃんと返したい。

言うまでもない


お店を出て、三ノ宮駅へ向かう5分程度の夜の道を歩いた時間、なんだかすごく楽しかった。寒い寒いと騒ぎながら身を寄せ合って縮こまって歩いていたの、すごく幸せだった。彼が「社会人にとっての華金って、ここまでではないかもしれないけれどこれくらい楽しいのかなあ」と言っていた。そうなのかなあ。彼と華金したいなあ。夕方にケーキを食べていたのに、私がマカロンが好きなのを知っているから、可愛いこじんまりとしたお店を調べてくれて、「ホテルに帰ってから食べよう」とマカロンまで買ってくれた。同じゼミの友達が同窓会のために帰省していて、その子に三ノ宮でばったり会ったのがおもしろかった。「めっちゃ似てる人いるけど居るはずないよなと思ってた」と言われた。そりゃそうだよな、居るはずないよ。




お風呂から出たらプレゼントとお手紙がベッドの上に置かれていた。華奢なブレスレットだった。「社会人になっても、どんな場面でもつけられそうかなと思って」と、私がこれを着ける場面を想像して、ひとりでこんな女性ばかりのお店に行って店員さんと話をして、可愛い便箋を買って、想いを文字にしてくれたことが嬉しかった。手紙の内容も、当たり前かもしれないけれど、彼が私に宛てて書く手紙でしかありえない内容で、この世にひとつしかないものをもらえたことが幸福だった。彼はマカロンを食べて饒舌になる私にウケていた。


2日目、朝起きるとポートタワーが窓から綺麗に見えた。神戸の街では今日が成人式の日らしく、駅では振袖やスーツ姿の新成人の姿がたくさんあった。にしむら珈琲へ行く予定だったけれど、予め調べていた店舗には列が出来ていて、彼が近くの別の店舗を調べてくれてそこへ行ったのだけれど、外観が豪華で変更後のお店の方が良かったのでラッキーだった。シルバニアの世界のような調度品が並ぶ店内で朝昼ごはんを食べた。


そのあとはハーブ園へ行った。新神戸からロープウェイで山を登る。思っていたより速く、高く、すこし怖かったけれど、神戸の街並みと海が一望出来てよかった。ロープウェイなんていつぶりに乗っただろう。冬なのでハーブ園としては植物は枯れているものが多かったけれど、急斜面を散歩するのはいつもと違って楽しかった。温室やスパイス工房なるものもあり、3分クッキングごっこをした。好きな香りと苦手な香りから診断される心理テストのようなものもあり、彼と私は結果が同じだったのだけれど、その診断内容は文言の中に矛盾を孕んでいてウケた。



ハーブ園から三ノ宮へ戻り、たまたま駅の広告で、大丸でアニメージュとジブリ展をやっているというのを見たので向かった。当日だったけれど、彼がネットですぐ予約してくれたおかげで展示を見ることが出来た。広く名を馳せているアニメーターやプロデューサーの若い日の写真やイラスト、当時のアニメオタクの一般的な部屋などを見ることが出来て楽しかった。今回の展示とは直接関わりはないけれど、物販で「風立ちぬ」のパンフレットを買った。彼は風の谷のナウシカのビジュアルに惹かれているようだった。絵を見るとき、綺麗さとか奇抜さではなく、彼はよく「上手いな〜〜」と言う。彼は絵が上手だから、きっと上手な人にはもっと上手な人の上手さも理解できるのだろう。私は絵は下手なので上手い下手の世界を考えたことはないので、いつも新鮮で、一緒に展示を見るのが楽しいなと思う。

行先が「神戸」になってるの、細かくて好き



夕食にはヒレカツを食べた。彼はヒレカツとカキフライのセットにしていて、カキフライを一口くれたのだけれど、あまりに美味しかった。これまで食べたカキフライでいちばん美味しかったかもしれない。帰りの高速バスはお互い眠っていた。私が途中で目が覚めると、彼の寝顔が見れた。初めて見るわけじゃないけれど、この人のこれからがずっと穏やかで明るかったらいいなと、寝顔を見て思った。2日間、ずっと私のことを楽しませてくれて、自分自身が楽しんでいる姿も見せてくれた。たくさん笑わせてくれたし、たくさん笑ってくれた。きっと彼くらいに私のことを楽しませてくれる人はいるのだろう、世界は広いのだし。だけれど、私は彼を幸せにしたいなと思った。これまでに手にしたことのない幸せを彼に与えたい。その一部に自分がなりたいと、かなり傲慢なことを考えしまう帰り道だった。



永遠なんてないって知っている。ずっと続くものなんてない。永遠を素直に信じていたあの頃からは、良くも悪くも大人になってしまった。なのに、どうしても、彼と過ごす時間を永遠にしたいと思ってしまった。ずっとなんてなくても、それでもずっとにしたいくらいに彼のことが好きだなと思った。それはお誕生日をお祝いしてくれたからとか、道やお店を調べてくれたからとかではなくて、きっと、帰りのバスでひっそりと泣いていたら眠っていた彼が起きて笑いながら涙を拭ってくれたからだと思う。こんなことを考えながら泣くのはひとりのときと決めていたのに、なぜか涙が止まらなかった。永遠なんてないから、ないなりにその時その時を楽しめばいいと思っていたのに、また永遠を欲しがっている。ほんとうにあったとしたら、永遠なんてきっと怖いものなのに。でも、また、この気持ちになれたこと自体は幸せなことだという確信だけが手の中にある。



22歳、色んなことがあると思う。とりあえず今は卒論が大変だし、4月からは社会人だし。だけれど全て、永遠にしたいと、一緒に永遠になりたいと思える人の隣に居られるためと思えば、なんだって出来そうな気がする。この無責任な全能感を背負って、一生懸命に生きていきたいな。それでは、またね。

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