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保護室のこと

過量服薬で救急搬送された後精神科単科の病院に転院させられた。
何度か入院したことのある病院は主治医との関係が悪くなってしまったので、別の病院に調整してもらった。

入院時の診察で、わからない質問には素直にわからない、覚えていないと答えていたら、曖昧な状態だと言われて保護室に入れられることになった。
嫌だったが、抵抗しても無駄だと思い諦めて病棟に上がることにした。
精神科での隔離は初めてだった。(内科で室内安静という名の隔離をされていたことはある)

病棟に上がり、3番と書かれた部屋に通された。部屋にあるものはマットレスとポータブルトイレだけだった。カーテンすらかかっていない。入った瞬間絶望した。

病衣に着替えさせられた。身につけて良い自分のものは、下の下着と眼鏡だけだった。

食事はダンボールを組み立ててできた机に乗せられて供された。毎回人権……と考えていた。

一番人権……だったのはポータブルトイレだ。20歳にもなって排泄を他人に管理される屈辱たるや。汚い話になるが隔離されてた期間ずっと便秘だった。
脳内で好きなストリーマーに「ポータブルトイレがいっちゃん人権ないんですよー!!💢」と言わせて気持ちの安定を図っていた。

隔離されている期間毎日誰かしらの医師が私を訪ねてきた。前の病院は診察が週に1度だったので新鮮だった。話すことは死にたさを数字に表すとどれくらいか、それを行動にしてしまいそうな感じはあるか、などだ。

過量服薬した後の胃洗浄・活性炭で体が汚れたままだったので、入院した翌日シャワーを浴びさせてもらった。後から聞いた話だが、母が早めに入らせるよう要請したらしい。感謝だ。

後はひたすら放置されていた。何もない部屋で思考しかやることがなく、過去に私がしてしまったことを思い返しては申し訳なくて死にたくなっていた。
幻聴も幻覚もあって、傷つけられたり、あるいは楽しかったりした。(好きなKPOPアイドルが私を訪ねてきたりした)

カーテンがなかったので日の出とともに(4時半くらい?)覚醒していた。目覚めたところでやることもないので地獄だった。

一般に精神科・保護室と聞いて想像するような叫び声が聞こえてくることはなかったが、隣の部屋の人が躁状態だったらしく、主治医に元気なんで早く退院させてください!と何度も迫っていたのが聞こえてきてうるさかった。この人は保護室を出ても同じようなことでうるさいままだった。

隔離されて6日目に、10時から16時の時間制限付きで隔離を解除された。といっても何も持っていないのでやることはなく、水を汲んだりトイレに行く以外は部屋にいた。(ICUにいた時も合わせて)約10日ぶりにテレビを見たら情報量の多さに圧倒されて気分が悪くなってしまった。

次の日の診察で自傷行為はしない、離院しない約束で(この主治医は"約束"が頻出単語だった)隔離は完全に解除され、師長さんと相談して普通の個室に移ることができた。

なんだか思い返したくなって筆を取った。早く出るコツは、暴れないのは前提として早く出してくださいと言わないことだと思う。(隣でうるさかった患者は元気なんで!という主張に元気すぎるのが病気なの!!と強く返されていた)

みなさま、よき閉鎖病棟ライフを。

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