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透明日記「純粋な積み木」 2024/05/12

角がごっつい鋭い、青っぽい灰色の積み木。それが「純粋理性批判」の感想だ。半分くらいまで読んで、そう思った。

5月の初め、夜中。カントクがおれの耳に息を吹きかけた。おれは本棚からでかい本を取った。それが「純粋理性批判」だった。数年前に諦め、二年前に別バージョンを買い直し、また諦めた本だ。この二年のあいだ、ただ存在感を宿すだけの器となっていた本。寝る前にふと読み始めた。

それからずっと読んでいる。今回は序盤で設計図面を配る人物を発見し、なんとなく工程が読めた。その人物がカントクだった。この本の著者らしい。それまでは図面もなく機械を作ろうとしていたようなものだ。

それで、今回は続いてる。いや、へんに続けてしまっている。先月は就職しようかと思って、ゴールデンウィーク近いし5月でいいかと思い、今はでかい本読んでからにしよう、とか思ってる。

おれと就職活動は、常に一ヶ月の距離を保っている。未来は待っていれば来るものではないらしい。不来と呼んだ方がいいかもしれない。まあ、今はそっとしておこう。我々には時間が必要だ。いや、時間は感性において機能する、純粋な直観形式だ。経験一般の基礎だ。

そんなことより、カントクの「純粋理性批判」は言葉の積み木だ。角の鋭い積み木を指示通りに組み立てろと命じられる。手が痛くなって放り出したくもなるが、所々で手袋や絆創膏を配っていたり、カントクが優しく声を掛けてくれたりするので、ついつい積み木に精が出る。

この積み木になんの意味があるのか分からないし、カントクへの質問はNGときている。が、何が出来上がるのか気になってやり続けている。アホだと思う。

そして明日も、カントクに呼ばれている。

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