見出し画像

「サボる哲学 労働の未来から逃散せよ」

 「サボる哲学 労働の未来から逃散せよ」を読んでいる。
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000886582021.html

 頭から強烈な本。機会があれば、立ち読みででも数ページ読んで欲しい。熱いような、熱くないような、謎の熱量で書かれる文章は面白く、引き込まれる。

 私は、最近働くのがつらく、にもかかわらず、働くことから精神的にも距離をおけず、日々良き労働者であることに心血を注ぎ、できなかったことを悔やみ、削られる日々。
 もっとサボったり、これでいい、と思えたり、限界まで頑張らないと生きていけないみたいなところから、脱却したいと思っていた。
 そもそも、労働ってなんだ、サボるってどういうことだ、と色々思っていた時に、この本を書評か何かで見つけて、図書館で予約していた。
 思ったより過激な本だったし、面白かった。これがアナキズムなのかー、としみじみ思うというより、ニヤリとしてしまう感じ。

 労働、奴隷、動員、色々と自分は毒されてるな、と思う。すっかり資本主義の渦に巻き込まれてあっぷあっぷしてるんだな、と。
 常に使える奴隷だとアピールし続けないといけない、という焦燥感に駆られていたのだろうか。
 それ以外の生き方を知らないからこそ、駆り立てられるのかもしれない。
 そして、病気でままならなくなったことによって、自分が使える奴隷ではなくなることに恐怖を覚えているのかもしれない。怖い。

そもそも人間が「労働力商品」としてあつかわれているのはどうなのか。人間が数量化されて、カネと交換可能になっているのはどうなのか。消耗品として使えなくなったらポイ捨てされるのはどうなのか。人間がモノとして所有できるようになっているのはどういうことか。
第5章アンダーコモンズ!
彼らが与しているのは、動員という倫理によって、労働秩序を救済する企図にほかならない。動員されるということは、具体的な営為としての労働と関わることではなく、労働の可能性と関わることだ。
第6章やっちゃえ
資本主義の問題はどこにあるのか。搾取ではない。それだとたとえ解決したとしても自分をまっとうな商品として、まっとうな奴隷として認めてくれといっているようなものだ。収奪だ。奴隷制だ。戦争だ。
第5章アンダーコモンズ!
問題を一般化し、ノウハウを示すということは自らの思考を奴隷化するのと同じことだ。再現はやめろ。
第8章失業者のストライキ
この本でも他者との思わぬ出会いで、思わぬ方向へと生が拡充されていく、と熱く語られている。
 他者との出会いにより可能性が広がり、思わぬ心へ歩き出す力を得ることができる、というような。

 そのほかにも、中動態の話、他力の話と、広がる広がる。
 支配から逃れる術、支配とは何かを繰り返し教えてくれる。
 全くもってわたしは奴隷そのものみたいで、とほほとなる。私はわたし自身を打ち砕かなくてはならない。 
だいじなのは、今ここで無支配の生をいきることができるかどうか。逆に将来を背負わされ、他人に征服されてきたこの身体を、いまこの場でたたき壊すことができるかどうか。奴隷のように収奪されてきたこのわたしを、わたし自身がうち砕くのだ。
おわりに

 いかに私たちがいろんなものに支配されているのか、手をかえ品をかえ、歴史を交えて教えてくれる。

 支配から逃れるには、他者との思わぬ出会いで、思わぬ方向へ広がっていくこと。横へとずれていく。
 中動態的、やるのではなく、やってしまう、身体が勝手に動く、そうして支配から逃れていく。中動態もアナキズム。

 なんとなく、坂口恭平さんと同じことを言っているように思う。好きなことだけやる。自分の力で生きていく。これもまたアナキズムか。
 誰かの所有物として生きるのではなく、自分を生きる。身体が動くままに。

 私は本当に奴隷に染まっているように思う。今の私を打ち砕き、自分の生を拡充させられたらと思う。簡単な道のりではないと思うけれど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?