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短編小説:「あ、おいしい」

「もうちょい少なくしてほしいねんけど…」

この台詞を僕は人生で何度、情けない声で呟いただろう。

給食は基本的に残してはいけない。しかし僕のように極端な偏食や少食の子の救済措置として給食の減量が許可されている。僕は毎日、給食当番の前に皿を差し出して「あ、ソレもう少し減らしてくれへん?」と、給食の減量を懇願し続けていた。

僕は食べられるものが極端に少ない、肉類は鳥のささみがほんの少し食べられるけれどそれ以外は全部だめ、牛肉は匂いを嗅ぐのもダメだし、豚肉の脂身は多分吐く。加工肉も嫌いだ、ソーセージは冷えた時の脂のカタマリがダメ、ベーコンもあの脂っぽい所が絶対好きになれない、ハムは辛うじて食べられるけれど積極的に食べたいとは思わない。魚は白身の魚をひとくち程度なら食べられるけれど、青魚なんて口に入れた瞬間に吐き出してしまう。野菜は全部草だし、根菜は泥の味。豆類も全滅だ、果物で食べられるは苺だけ。

「ちょっとまだ、食に対して過敏というか…警戒心が強いというか…」

これでは給食の時間が永遠に終わらないだろうとお母さんは学校に相談をした。けれどそれは僕への配慮ではなく、今後の改善目標という形で話がまとめられてしまった。

「食物アレルギーという訳ではないんですよね、でしたら給食の量を調整します。少しずつ食べられるように頑張っていきましょう」

お陰で麗らかな春の花曇りの日も、初夏の陽光が眩しい青空の日も、給食の時間が近づくと僕の心は鉛色の曇天だ、四時間目になるとため息が口の端から無意識に漏れる。

(今日の給食のメニューは、野菜ラーメンと、豆苗の炒め物と、それからサツマイモの甘煮、わかめご飯…ラーメンは、麺だけなら何とかいけるけどあとはゼンメツや。ご飯にワカメを混ぜ込む意味がわからへん)

ため息を何度吐きだしても僕の杞憂は空の青に溶けて消えてゆくはずもなく、僕の瞳には黒板の上の五・七・五、十七文字の言葉の羅列がヒエログリフのように映る。

「なあ、今日の給食なに?」

黒板のヒエログリフの解読を試みていた僕は、隣からの声で現実に引き戻された、声の主は神の声でも幻聴でもない隣の園村みはる。四月に転校生としてクラスにやって来た。

転校初日からみはるは人見知りも物怖じもせず「みはるって春っぽい名前やね」と話しかけた僕に「そう?あたし八月生まれやで」と白い歯を見せてニッと笑った。

たしかにみはるはよく日焼けした夏っぽい雰囲気の元気な女の子で、転校初日からひとつも物怖じせず二十分休みに「あたしも入れてえや!」とドッジボールコートに飛び込み、小柄な体に似合わない剛腕であっという間にクラスの男子に溶け込んだ。女子はまだなんとなくみはるを遠巻きにしているけど。

みはるは普段、長い髪をひとつに束ねて、服の色は大体黒か青かカーキ色、たまに赤とか黄色を着ているなと思うとそれはどこかのチームのサッカーウェアだったりする。ランドセルは青、六歳上のお兄ちゃんのお下がりらしい。

そしてみはるは、ほぼ毎日隣の席の僕に「ねえ今日の給食なに?」と聞いてくる。家の冷蔵庫にマグネットでぺたりと貼ってある献立表の隅々を、使用している食材に至るまで完璧に記憶している僕は、みはるの質問に脊髄反射で答えてしまう。

「野菜ラーメンと、豆苗の炒め物と、サツマイモの甘煮と、わかめご飯」
「エー肉が入ってないやん、ケチか」
「野菜ラーメンに入ってるで、材料に豚肉って書いてあったし」
「ホント?じゃあ野菜ラーメンて、今日どれくらい残ると思う?」
「えーっ、どうやろ、今日は誰も休んでへんしなあ」

みはるはクラスで一番小さいのに本当によく食べる、僕もみはるの食べっぷりを初めて見た時は驚いた。「いただきます」と同時に小おかずに大おかずを交互に口に詰め込み、間に白飯を食べつつ牛乳を一気飲みして五分でクラスの誰よりも早く給食を食べ終わって配膳台に残っている給食のお代わりに取り掛かる、それも何度も。そんな清々しい食いっぷりのみはるにこの日、大事件が起きた。

「園村さんは野菜ラーメンのおかわり今、何回目?」
「三回目」
「まだお代わり一回目の人が後ろに並んでるよな?」
「うーん…そう?」
「それやのに園村さんばっかり食べてたら、欲しい人全員に行きわたらんと思わへん?」
「でもこういうのって早いもの勝ちやろ?」
「そやろか?欲しい人みんなに平等に行きわたらないとあかんって、先生は思うけどなあ」

みはるがひとりで何度も給食をお代わりすると、他のお代わり希望者の分が無くなる。それは平等とは言わないのではないかと担任の河本先生が指摘したのだ。確かにそう言われてみればそうなのかもしれない。みはるの背後でお皿を持って順番待ちをしていた皆は「せやせや」「ずりーぞみはる」と口々に言い、みはるは微かに舌打ちをした。

その日の六時間目、学活の時間にクラスで「お代わりは一品につき一回」と言うクラスルールが可決された。給食に関するクラスルールはまだある「お代わりは給食を完食してから」とか「人の給食を貰って食べてはいけない」とか「配膳されたものは原則食べなくてはいけない」とか「箸をつける前に苦手なものを減量することはセーフ」とか。

「あー…さいあく…」
「クラスのみんなで決めたルールやし、仕方ないって、民主主義ってヤツや。」
「ミンシュシュギのことなんか知らんわ、これはあたしの生存権の侵害なんや」
「おおげさやなァ」
「おおげさなことない、ホンマにお腹が空いて力が出えへんもん」

みはるの態度があんまりに大仰なので僕は笑ったけれど、帰りの会の間、みはるは机の上に置いたランドセルに顎を乗せてずっと不貞腐れた顔をして、日直の「起立」の号令に立ち上がらずまた河本先生に怒られていた。

次の日の給食のメニューはカレーシチューとキャベツとニンジンのコールスロー、それといつものコッペパンに牛乳、人気メニューだ。それなのに給食を目の前にしたみはるの表情は冴えない、まるで梅雨の曇天だった。

「だってカレーシチューやで?一回しかお代わりできへんとか、世界の終わりやわ」
「ホンマにおおげさやなァ、そのくらいのことで世界は終わらへんて」
「あたしの世界が終ってしまうんや、空腹で」
「なあ、みはるってなんでそんなにいつも腹ペコなん?」
「生きてたら腹は減る。むしろあたしはなんでオトがそんなハムスター並みの食事量で生きてられるのか知りたいわ」
「これでも僕、相当頑張ってるねんで。ほんまはもうここでギブアップ希望やし」
「エッ?うそやん!」

僕のトレーにはカレーシチューとコールスローサラダが手つかずのまま残っていた。みはるは、信じ難いという顔で僕のトレーと僕の顔をじっと交互に見比べた。そしてちょっと考えてから今度はほんのり悪い顔をして、小声で僕にこう言った。

「…ねえソレ、あたしが食べたげよっか?」
「へ?あかんよ、それはルール違反やろ」

自分意外の誰かの給食を、仮にそれが善意であっても代わりに食べることはクラスのルールで禁止されている。アレルギーがある子もいるし、給食は配膳されたものを全部残さず食べてこそ健康な体が培われるからと。

「あたしはカレーシチューお代わり一杯で今日この後、生きていける気がせえへんねん」
「話、盛りすぎやろ」
「でもオトだってその給食、食べ切れへんかったらまた先生に言われるやん、また残すんですかって」
「それは、そうやけど…」

僕がみはるから給食の取り換えを持ちかけられていたその時、クラスの後ろで床に食器の転がる音と数人の叫び声が上がった

「せんせぇー!塚地がー」
「え、なに?どうしたん?」
「カレーシチューひっくり返したー」
「エッ、塚地君?大丈夫?」
「わっやべ、イテ!」

お調子者の塚地が隣の席の里中とふざけ合っている間にカレーの皿をトレーごとひっくり返したらしい、河本先生は慌てて立ちあり掃除用の雑巾と新聞紙を手に取った。教室の後列は塚地を心配するもの、面白がって様子を見に行くもの、カレー色に染まった床から机と椅子を退かす音、その汁で滑って転んだらしい里中の叫び声。五年一組は四月の半ばに教室にアシナガバチが二匹入り込んできて以来の大騒ぎになった。その騒ぎを背後に、僕とみはるは顔を見合わせた、そこに言葉はない、でも頭の中に思い描いていることはきっと、全く同じことだった。

(いまだ)

以来、僕らは時折給食の取り換えっこをするようになった。

これで食欲旺盛なみはるは僕の遺した給食を引き受けて満腹になり、僕は僕が極端な偏食であることを改善させようと日々睨みを利かせている河本先生の激励から逃れることができる。こうして共犯関係になった僕とみはるの仲は深まり、一緒に帰るようにもなった。

僕の自宅は学校の裏門を出て、淀川沿いを歩いて五分の場所にあるマンションで、みはるの自宅は僕のマンションからまた川沿いを河口に向って更に五分ほど歩いた場所にある小さなアパートだ。川面を流れる風に微かに夏の香りのする夕方、僕とみはるは川沿いの道のシロツメクサを踏み踏み歩いていた。

この日も、僕とみはるは先生の視線を気にしながら大おかずと小おかずの乗った皿を素早く交換していた、献立は『鮭の野菜たっぷり南蛮漬け』。僕は匂いを嗅ぐことすらできない鮭を回避し、みはるはお代わり分も含めて三人前の鮭の南蛮漬けを食べた。

「ウィンウィンてことやろ?」
「いや、ズルやろ」
「そんなことないって、あたしは給食を沢山食べられてハッピー、オトは給食を回避できてハッピー」
「バレへんかったらいいけど」
「バレへんて。でもあたしやっぱりめっちゃ不思議、オトってどうしてそんなに食べへんの?お腹って全然減らへんの?」
「まあ減るけど…でもそれ以前に食べられへんもんが多すぎるねん」
「なんでなん?それって小さい頃から?」
「昔はそうでもなかってん。でも僕な…あー…実は小一の夏から小二の夏までずっと病気で入院してたんや、ホラそこの川の向こうにある病院に」
「えっ、なんで?何の病気で?」

僕は川の反対側にある、要塞に似た白く巨大な建物を指さした。この辺りでは一番大きな大学の付属病院だ。

「スッゴイややこしくてしんどい上にしつこい病気。その病気を治すのに使う薬がな、効果はあるんやけどめっちゃ気持ち悪くなる薬で、気持ち悪い上に味覚がおかしなるねん。僕は何食べても砂とか泥食べてるみたいに感じるようになった。それでそれまでフツーに食べられた食べ物が全然食べられへんようになったんや」
「でもでも、今こうして学校に来てるってことは病気は治ってるんやんな?もうその薬も使ってないのやろ?」
「治ったっていうより、今はナリをひそめてるって感じかなァ。僕が中学生になる頃までなんも起きへんかったら僕の勝ち」
「それって、あと一年くらい再発せえへんかったら逃げ切れるって、そういうこと?」
「へえ、みはるってそういうの知ってるんや、再発とか」
「あ?馬鹿にすんな」
「あはは、でもそういうこと。でな、その治療が始まった時僕、最初のうちは病院食を完全に拒否しててん。でもお母さんが食べなきゃ治らへんって泣くねん、そんで食べ物を無理やり口に詰め込んだんよ、まあそんなんしたら吐くわな、それでも食べようと頑張るやろ、そしたらまた吐くやろ、そうしている内に僕、食べること自体が嫌になったんや」

西にほんの少し傾いた太陽を背にしたみはるの表情は、僕によく分からなかった。でもマンションの入り口のモッコウバラを巻いたスチール製のアーチの前でみはるが僕に言った言葉は、はっきり僕の耳に届いた。

「あたし、オトの給食はもういらん」
「なんなん、急に」
「病気やったけど、退院できてんやろ、それならなんでも食べて元気にならな」
「わかったようなこと言うなや、みはるは知らんやろ、あれめっちゃしんどかってんで、僕にとっては一生消えへんトラウマや」
「それでも食べなあかん、病気に勝つんや」
「ハァ?ウィンウィンちゃうんかったんか?僕は食べられへんもんを回避できてハッピー、みはるはお腹いっぱいでハッピーって、みはるがさっき言うたんやんけ」
「それはそれ、これはこれや、黙ってなんでも食べえや!」

みはるはそう言うと、手に持っていた手提げ袋で僕の頭を引っ叩いた。そしてさよならも言わず野良猫みたいな俊敏さで走り去った。

「いってえ…なんやねんアイツ」

こうして僕とみはるの闇取引は決裂し共犯関係は解消された。僕はこれまで自分の病気のことを学校の友達に話したことは一度もなかった、話したのはみはるだけだ。それなのになんだよアイツ。

そしてさらに最悪なことにこの出来事の翌日、僕とみはるの悪事は担任の河本先生に知られてしまう。クラスの誰かが僕らの不審な動きに気づいて、目撃情報を河本先生に話したらしい。僕とみはるは放課後職員室に呼ばれて厳重注意を受け、双方の保護者にも先生から電話でコトの経緯の説明がされることになった。僕は食べたくない給食を隣の女の子に食べてもらっていたことを、みはるは、余分に食べたい給食を隣の男の子にもらっていたことを。

「すみませんでした…」

こうなるともう平身低頭謝るしかない。これはルール違反を承知の上の確信犯だ、言い訳は一切できない。でもみはるは、腕組みをして仁王立ちの姿勢のまま、絶対に頭を下げなかった。本気で怒っている時の河本先生は恐ろしい、影で『地獄の番犬』と呼ばれているくらいだ。みはるはその地獄の番犬にどんなに怒られても、なぜそれがいけないのかを切々と語られても「なんや風が吹いてるわ」なんて表情で、絶対に自分の非を認めることもせず、弁明も一切しなかった、完全黙秘だ。

そうして翌日から、みはるはぱたりと学校に来なくなった。どうしたんだろう、風邪かな、あんなに頑丈なみはるが?そう思ってなんとなく隣の空席を眺め続けてから3日目、朝学習の時間に河本先生が僕らにこう言った。

「園村さんは、お家の都合で転校することになりました。最後にみんなに会えなくてとても残念やけど、みんなによろしくということでした」

クラスに潮騒のようなざわめきが起こった。どういうこと、なんで、先生に怒られたから?そのざわめきの中、少し前にカレーシチューをひっくり返した塚地が挙手し先生に聞いた。

「せんせー、みはるどこに行ったん?」
「…兵庫県です」
「兵庫県のどこ?神戸?西宮?加古川?豊岡?ここから近い方の兵庫?遠い方の兵庫?」
「ウーン…そういうことは先生からみんなに言えへんねん、でも世の中って狭いもんやし、また、きっといつかあえますよ」
「それってJR沿線?阪急?あっ阪神とか?」

塚地は食い下がったけれど、先生はそれ以上何も教えてくれなかった。生徒の個人情報は伝えられない、そういうことだろう。クラスのざわめきは、先生が何度注意しても一時間目の始めのチャイムが鳴るまで止むことはなかった。その中でもとりわけみはるのドッヂボール仲間だった男子達は「あいつどこ行ったんや」と騒いでいたけれど、僕はその騒ぎの中でずっと給食のことを考えていた。今日は米粉のクリームスープか、ハム、ニンジン、玉ねぎ、じゃがいも、マッシュルーム…全部ダメなやつだ。

(みはるがいたらな…)

空に向ってふとそう考えてしまった僕は激しくかぶりを振った。

(僕を引っ叩いた挙句、なんにも言わずにいなくなったヤツのことなんかもう知らん)

僕はその日、最大限減量してもらった給食を息を止めて胃に流し込んだ。口の中にはいつまでも生クリームの味が残った。

みはるはなんで突然僕との密約を反故にしたんだろう、そしてなんであんなに怒ったんだろう。その日の放課後、僕はひとりでいつもの倍の時間をかけて川沿いの道を歩いたけれど、答えは見つからなかった。

「ただいま…」
「あっオト、さっきまで園村さんがお父さんと来てたんよ、入れ違いやわー」
「みはるが来てたん?ウチに?」
「みはるちゃんねえ、お父さんとお兄さんとは別の、尼崎にあるおばあちゃんの家で暮らすことになったんやって、そのおばあちゃんのお家がたこ焼き屋さんでね、ほらそこに三箱置いていってくれたんよ」
「なんで?なんでみはるだけが尼崎に行くん?」
「みはるちゃんのお家、ここ数年色々あって大変やったみたいやで。お母さん、園村さんのお父さんに給食の件ではホンマにスミマセンて深々頭下げられて逆に申し訳なかったわ、オトだって共犯やのに」

お母さんが指さしたリビングのテーブルに、パック入りのたこ焼きが三つ置かれていた。

「みはるちゃんのお母さん、去年亡くならはってんて、ずっと入院してて…それでお父さんがお仕事に行ってる間、みはるちゃんのご飯の用意なんかは高校生のお兄ちゃんがしてたらしいんやけど、まだ高校生の男の子やもんねえ、小学生の妹の世話をずっとしときなさいって言われても、ちょっと難しいわね」

それが、みはるが給食にあんなに執着していた理由だった。みはるのお父さんは独立して始めた電気工事の仕事が忙しくて朝から晩まで不在がち、お兄ちゃんも部活やテストや友達との約束で妹の食事のことを忘れがち。

「みはるのお母さんて、一体なんの病気やったん?」

僕は、まだほんのり温かいたこ焼きの包みにそっと触れながらお母さんに訊ねた。お母さんは少し躊躇して、でも言いよどむことなく僕に教えてくれた「オトが戦ったヤツと、とってもよく似た病気」だって。

「なんやねん、アイツ」

僕はたこ焼きの包みを開けて、たこ焼きをひとつぽいと口に放り込んだ。ソースの香りと青のりの風味、それからとろりと柔らかい生地の中のタコの出汁が口いっぱいに広がる。

「あ、おいしい」

僕は久しぶりに、本当に久しぶりに、食べ物を美味しいと思った。


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