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おじいちゃんに完全に勝ち逃げされた話

おじいちゃんに将棋を教えてもらった。おじいちゃんと何度も勝負をしたけど、最後まで勝つことができず、そのまま逃げられた話。

おじいちゃんの家は、車で一時間ほどのところにあり、年に何度か遊びに行っていた。小学校低学年の夏休みのある日、おじいちゃんに将棋を教えてもらった。その日からおじいちゃんとの将棋の勝負が始まった。

最初のころは、ハンデとしておじいちゃんが自分の駒を減らしてくれて対戦をした。飛車角落ちでも全然敵わなかった。どんどん攻めてくるおじいちゃんの駒たちに、どうしていいか分からなかった。

小学校の高学年になると、飛車落ちでどうにか互角くらいにはなっていったが、次の手を考える速さはどう考えてもついていけなかった。

家族みんなで外食に行くと、自分が食べ終えると先に一人で帰ってしまうくらいせっかちなおじいちゃんは、将棋を指すのも早かった。

中学生の時に何度か平手(おじいちゃんの駒を減らさないこと、互角の勝負)で勝負を挑んだが、一度も勝つことが出来なかった。おじいちゃんの機械油が染み付いた手から指される攻撃を、やはりしのぐことはできなかった。

おじいちゃんは自宅兼町工場に住んでいて、車や電車や船などの部品の元になる金型を作っていた。街で走っている車の部品の大元は、おじいちゃんが作った金型からできていると思うと誇らしかった。

今でも将棋盤や駒を見ると、機械油と、金属を削る時に出る独特な匂いと、おじいちゃんが日に40本くらい吸うセブンスターが混ざった独特な匂いを思い出す。

高校生になって攻撃的なおじいちゃんの将棋に対抗しようとして、将棋の囲い(守り方)で一番堅牢と言われる「穴熊」を覚えて、勝負をしたこともある。

それでも守りきれず悔しい思いをした。おじいちゃんに「若いのに穴熊なんて使って!」と大笑いをされてしまった。
今度はどんな作戦でいこうか考えていたが、大学受験期に入り、将棋から遠ざかりおじいちゃんに会いに行くことも減ってしまった。

私が住んでいた地方都市からだいぶ離れた、東京にある大学に進学したので、さらにおじいちゃんと会う機会は減り、勉強やサークルや友人関係で忙しくなり将棋のことは次第に思い出さなくなっていった。

そんな時、おじいちゃんが倒れたという連絡があった。授業を抜け出して、在来線と新幹線を乗り継いで地方都市まで向かった。

病院に着いて、話を聞くとおじいちゃんの循環器系はかなりのダメージがあるということであった。肺や心臓が弱っているとのことであった。

金型を作る時は金属を削らなければいけない。金属を削れば当然、細かい粉が空気中に舞い、それを吸い込むことになってしまう。

中学校を卒業して、地元の工場に弟子入りして以来、ずっと金型職人であったおじいちゃんは金属の小さな粉を吸い続けてきたのである。それが肺や心臓に深刻な影響を与えていたのである。それに加えて、チェーンスモーカーだったことも良くなかったのだろうと思う。

それ以来、入院と退院を繰り返すことになった。家で療養している時は、何度かさりげなく将棋を指すことを誘ってみたが、「治ったらやろう」と断られた。でも「穴熊には負けない」、「負けるのは何十年後だろうな」、「今度は角落ちでやってやるよ」と強気な態度ではあった。

おじいちゃんの体調は、10年くらい小康状態が続き、少し良くなったり悪くなったりしていた。何度か、いよいよもうダメかもしれないと、地方都市の病院に呼ばれたことがあったがそのたびに奇跡的に良くなるということを繰り返していた。

大学卒業後、地方都市に帰らずに東京で就職した。慣れない毎日に自分のことで精一杯であった。そんな時、親から今度こそおじいちゃんが危ないと連絡があった。正直、また行ったら以外と元気で、「もうちょっと良くなったら将棋をしような」というようなことを言われて、拍子抜けするんだろうなと思いつつ、新幹線に乗り込んだ。

病院に行ってみると、やはりそれほど危機的な状況ではないように見えた。しかし私の顔を見ると「勝ち逃げだな」と一言だけ呟いた。何のことか分からず、でも元気そうなのでそのまま東京に帰ってしまった。

その二日後、おじいちゃんが亡くなったと連絡を受けた。

勝ち逃げされた。

二日前に聞いた「勝ち逃げ」の意味が分からなかった自分が悔しかった。あんなに急いで東京に帰る必要なんてなかった。二日くらいなら仕事を休むことはできた。

また良くなるだろうという勝手な思い込みがあったこと、亡くなる時にそばにいられなかったことを悔いた。

おじいちゃんの町工場は機械を処分して、今は改修して居間になっている。おじいちゃんと将棋を指すことはもうない。

おじいちゃんに教えてもらった将棋は今でも大切な私の趣味である。私は将棋ウォーズで将棋を指している。穴熊を仕掛けて負けるたびにその相手はおじいちゃんじゃないかと思う。おじいちゃんはもう生きていないと分かりつつ。

おじいちゃんはもういないが、将棋ウォーズでいつかおじいちゃんのような指手に勝ちたいなと思っている。

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