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男行脚

大学生の時に全く興味のなかった民族音楽のサークルに、騙されたような感じで入ってしまった。そんなサークルで起こった話をいくつか書いてきている。


今日はそのサークルの奇妙な風習のことをご紹介していきたい。

私が大学時代に所属していた民族音楽サークルは、歴史が古くその当時でサークル誕生から50年以上経っていた。

サークルに無駄に歴史があるということで、誰が考えたか分からない謎の伝統がたくさん存在した。

その一つに夏合宿後のとある行事があった。

私の大学は東京都にあったのだが、夏休みには関東近郊に出かけて2泊3日ほどの合宿をする。民宿のようなところに泊まり、その近くの体育館を借りて、ひたすら民族楽器をかき鳴らすのである。
怪しさ全開であるが当人たちは、いたって真面目である。

夜は二十歳以上の部員はひたすら酒を飲む。

しかしかなり硬派なサークルだったので、飲み会後に男女の部員がいかがわしいことをするということはなく、男女、別々の部屋で健全に眠っていた。

このサークルの硬派さが私の童貞を加速させることになっていた。
怪しいのに硬派というよく分からない文化のサークルに入ってしまった我が身を呪うしかない。

本当であれば、私はもっとキャッキャウフフとしているようなチャラいサークルに入るつもりだったのである。

高校時代は、大学に入ったらサークルの夏合宿で女子とあんなことやこんなことをしようと妄想を膨らませていた。

そんな妄想が受験勉強の原動力の全てであったと言っても過言ではない。
むしろそれ以外の理由で勉強など頑張れるはずはないのである。

エロは全ての力の源であり、行動力の礎である。

エロは地球を救う。

しかし大学にはエロパワーで合格したものの、サークルの夏合宿で女の子と仲良くする夢は叶わず、合宿先の体育館でひたすら奇妙な民族音楽を奏でて、怪しんでやって来た地域の住民から白い目で見られることとなってしまう。

運命とは分からないものである。

とにかく夏合宿ではキャッキャウフフなしで、珍妙な民族楽器を演奏することに精を出していた。

ただ夏合宿の全ての予定が終了してからが、本当の苦難の始まりなのである。

私が所属していた民族音楽サークルは、合宿からの帰り方が一般的な大学のサークルとは違う。

夏合宿からの帰り道、男の部員は「男行脚」をする。

「男行脚」というだけあって、帰り道は歩きなのだ。

自家用車、自動二輪車、原動機付き自転車、オート三輪、公共交通機関、自転車、三輪車、ローラースケート、スケートボード、大八車、リヤカー、台車、ローラースルーゴーゴー、キックボード、キャタピラ装着車など、ありとあらゆるすべての乗り物に乗車することが固く禁じられている。

これは冗談でもなんでもなく、サークルの決まりごとを書いてある冊子に、夏合宿後の「男行脚」で乗ってはいけない乗り物の種類が上記のように列挙されているのだ。

きっと昔の部員の中にサークルの規則に書いてないということを盾にして、リヤカーとかローラースルーゴーゴーで帰ろうとした人がいたのだろう。

その度に冊子に乗ってはいけない乗り物として新たに書き加えられていったのだと思われる。

いつから始まった伝統なのかはもはや分からなかったが、帰り道に乗り物は使えない。

男子部員の多くが憂鬱に思っているのだがやめられない。

合宿先から歩いて帰るなんて、大変だし何も得るものもないのでやめたらいいと思う人が多いだろう。

しかし絶対にやめることはできない。

それはなぜかというと、こういう組織にありがちだと思うが、組織への帰属意識が高まり、その集団に過剰適応することが喜びになるというタイプの人間が一定数いるからである。

そういうタイプの人は組織(サークル)の決まりやルールを遵守することに宗教的法悦といっていいくらいの快感を得るのだ。

そして当然周りもそれに巻き込まれる。

なんとなく歩いて帰るのが嫌だなと思っているくらいの気持ちでは、サークル信者の情熱には勝てないのだ。
サークル信者たちの熱い信心によって伝統は守られて、「男行脚」は続いていた。

私の大学は東京都にあり、合宿地は毎年違うが、関東近郊である。合宿地から学校は例年だいたい100キロくらいのところに設定される。

そこからの帰り道、ひたすら歩く。
大学を目指してとにかく歩く。

夏合宿は午後に終わるので、その日のうちにはどんなに急いでも帰れない。どこかで夜を明かす必要がある。

しかし「男行脚」にはホテル、民宿、旅館、ユースホステル、漫画喫茶、カプセルホテル、ラブホテル、カラオケ屋、親切な人の家など、屋根のある場所には泊まってはいけないという謎ルールも存在した。

そこでどうするかというと公園で野宿するしかないのだ。

散々歩いた上なのではあるが、布団で眠ることは許されない。
伝統だからという理由で異論は挟めない。

公園選びについては、そこで暮らしている人がいないか、寝られそうな場所はあるか、水場はあるかなど、いくつかのチェックポイントがある中でそれをクリアした場所で一晩過ごす。

もちろんぐっすり眠れるはずもなく、起きると身体はバキバキである。

合宿後になんでこんな苦行をしなければいけないのかと思いつつ、私たちは翌朝もひたすら歩く。

「男行脚」のゴールは大学の部室である。


私たちの「男行脚」は100キロの道のりをゴールしても武道館でジャニーズや日テレの女子アナや徳光さんや加山雄三や谷村新司が待っていてくれているわけではない。

そんな素晴らしいものではない。

みすぼらしい大学生がとぼとぼ歩いているだけである。

でも大学が近づくとだんだんテンションが上がってきて、私の頭の中には、「寛平さーん、寛平さーん!」と武道館のみんなが応援してくれる声が聞こえてきた。

♪負けないでもう少し、最後まで走り抜けて。
「寛平さーん!」♪どんなに離れてても心はここにいるよ。「寛平さーん!」♪信じてね、かすかな光。

♪走る走る俺たち、流れる汗もそのままに。「寛平さーん!」
♪いつか辿りついたら君に打ち明けられるだろう。「寛平さーん!」

♪桜吹雪のサライーの空へー「寛平さーん!」
♪いつの日にかーいつの日にかー「寛平さーん!」

ついにサライの時間である。加山雄三と谷村新司がサライを歌っているうちにゴールをしなければいけないのだ。
行列ができる法律相談所が始まる前にはなんとしても到着したい。

痛めた膝を引きずりながら歩く私たち。
目の前には大学の校門が見える。

なんとか放送時間内にゴールできそうである。そろそろ系列局のテロップが流れる時間帯である。寄付金の総額もまもなく発表されるだろう。

そしてついに私たちは武道館ではなく部室に着いた。

感動のゴールである。サークルに帰属意識の強い、サークル信者たちは号泣して肩を抱き合っている。
私もなんだか達成感が湧いてきて、感情が込み上げてきた。

「お母さん、お父さん。俺はやったよ。東京で頑張ってるよ。今まで育ててくれてありがとう!」と両親への感謝の気持ちすら溢れ出してきた。

しかしよく考えてみると無駄に歩いただけであり、特に何かを成し得た訳でもない。

24時間テレビとは大きく違い社会的価値も人を感動させる力もない。

ただの徒労である。

結局この日も疲れ果てて、倒れ込むように部室に泊まることになり、また家の布団で眠れなかった。


こんなことをしているから童貞を卒業できないのだと薄々感じつつ、どっぷりとサークルの伝統に浸かっていってしまう私であった。


童貞卒業への道は100キロより遠い。

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