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ちびまる子ちゃんを見て小さい頃の私と娘が繋がった。

子どもの頃の私はちびまる子ちゃんを身近に感じていた。

日曜日の夕方といえばちびまる子ちゃんのアニメを見ることが楽しみだった。
放送開始時間の少し前には、妹と一緒にテレビの前に座ってちびまる子ちゃんが始まるのを楽しみにしていた。
私は清水にごく幼少の時に少しだけ住んでいた。そのこともあり、清水が舞台となっているちびまる子ちゃんに親近感を覚えていた。


ちびまる子ちゃんの原作は少女漫画誌のりぼんで連載されていたが、私の妹はりぼんを定期購読していた。
そして妹はちびまる子ちゃんが好きで、お小遣いで単行本を買っていた。

妹や姉がいる男の人にありがちだと思うが、少女漫画誌や少女漫画の単行本であろうとも、妹や姉が面白そうに読んでいると、興味が出てきてつい読んでしまうものである。

「妹や姉の漫画なんか読まないよ!」という人もいるとは思うが、私は漫画や本など読むものはなんでも大好きなので、妹の少女漫画誌や単行本もかなり熱心に読んでいた。

ちびまる子ちゃんが連載されていた頃のりぼんは「ハンサムな彼女」「天使なんかじゃない」などが載っていて、毎回発売日を楽しみにしていたことを思い出す。

話はちょっとずれたが、とにかく私は小さいころからちびまる子ちゃんのアニメ、漫画に親しんでいた。
特に単行本は何回も何回も読み返して楽しんだ記憶がある。

しかし、年齢が上がるといつしかちびまる子ちゃんから離れていった。
大人になってからもちびまる子ちゃんのテレビアニメがずっと続いていたのは知ってはいたが、見ることはなかった。

それが最近またちびまる子ちゃんのテレビアニメを見るようになってきたのである。
その理由はただ一つ、4歳の娘がちびまる子ちゃんのファンになったからだ。

懐かしいなと思いつつ一緒に見ているのであるが昨日、不思議な気持ちになったのでそのことを書きたい。

というのも、ちびまる子ちゃんの単行本は全17巻で完結していて、りぼんでの連載は1997年とかなり昔に終了している。
だから最近のちびまる子ちゃんのアニメの話はさくらももこさん原作ではない。脚本家が他にいてどんどん新しい話を書いているである。

私は娘と一緒にちびまる子ちゃんを見て懐かしいと思いつつも、原作とは違うストーリーなので新鮮な感じも受けていた。

ところが、最近、私のような原作の単行本を読み込んだ世代の人を喜ばせるようなことがあった。

それは、去年の12月から今年の1月末にかけて原作35周年を記念して原作の「神回」を放送するという企画があったことである。

事前に、原作の中の好きな回を視聴者から募集して、得票数が多かった回を「神回」として放送するというものである

そして昨日はその原作の「神回」を放送する最終日で、視聴者得票1位の回が放送された。

神回1位は「まるちゃん 南の島に行く」であった。昨日、娘と一緒にちびまる子ちゃんを見ていて、このタイトルが目に飛び込んで来た時に、なんとも言えない懐かしさが込み上げてきて、一気にそのストーリーを思い出した。

小さい頃にあんなに読んだちびまる子ちゃんではあるが、なかなか普段は意識にのぼることはない。断片的なシーンは覚えていても話の詳しい内容は忘れてしまっている。

しかしこの「まるちゃん南の島に行く」というタイトルを見た途端、子ども心に感動したその話が脳裏にまざまざと甦ってきた。

この話はまるちゃんのおじいちゃんが商店街の福引きで南の島のツアー旅行を当てたところから始まる。家族はみんな都合が悪くて行けないのでまるちゃんが行くことになる。そして、旅行先の南の島で仲良くなった現地の子と仲良くなり、無人島で一緒に遊び楽しい思い出ができるというストーリーである。

ラストのまるちゃんと現地の子とお別れのシーンがとても切ないのが印象的である。

昨日は妻と息子が不在だったので、私と娘と二人で、かなり真剣にちびまる子ちゃんを見た。

普段から娘が見たいというのでいろいろなアニメにチャンネルを合わせるということはある。
しかし、娘はまだ4歳で集中力がないので、いつもは見ていても途中で飽きてしまうことが多い。
好きなアニメでも最後まで見ることは稀である。

しかし昨日は娘はずっと物語に引き込まれていた。飽きておもちゃで遊び出したり、他のことをしたいと言い出したりすることがなかった。

しかも昨日は「神回」1位スペシャルということで1時間の放送だった。
普段は30分のアニメでも飽きてしまうが、昨日はその倍の時間、集中していた。

やはりこれは名作の力なのだと思った。

30年間以上ずっと放送が続いているちびまる子ちゃん。
その原作の視聴者投票で1位になるような話は名作であることは間違いない。

名作は色褪せることなく、どの時代の子どもの心も動かし得るのだと思った。
時代が変わり、人の行動様式は少しずつ変わっても、名作というのは人の根本の部分を揺さぶるので、時がたっても人を感動させられるものなのだ。

そしてここですごく不思議な気持ちになった。

子どもの頃の私が感動した話に娘が引き込まれて感動しているのを目の当たりにした。

時代を超えて子どもの時の私と、現在子どもである娘が共感しているような、なんとも説明し難い気持ちになった。

名作には時を超えて人の気持ちを繋ぐ力があるといったら大袈裟すぎるかもしれないが、昨日は、いつもの父と娘という繋がりではなく、名作を通じて過去の私と今の娘が繋がったという感覚がした。

名作を媒介とすれば、時代を超えて人と繋がることができるのだと実感した。

これはもちろん漫画やアニメだけではない。
小説、映画、美術品、音楽などの名作も、どの時代の人の気持ちも大きく動かす。

それによって時代を超えて人と人の気持ちが共感することが可能になり、繋がりがうまれる。

名作の力について考えさせられた昨日の出来事であった。

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