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「何者」を読んで己を知る。

朝井リョウさんの「何者」という小説は私の心を抉る。気持ちを大きく揺り動かされる。
読んでいて共感し過ぎて辛くなってしまう場面もたくさんあるのだが、もう5回以上は読み返した。

私は本を少ない年で50冊、多い年で100冊くらい読む。ただほとんどの本について読み返すことはない。

そんな中でこの本だけは気持ちが苦しくなることが分かっていても、何度も読み返したくなってしまう。それはこの本には登場人物の考えや気持ちがリアルに丁寧に書かれているからだろうと思う。

私がもっとも共感するのは主人公のタクトという大学生である。ルームメイトや仲間たちと一緒に就職活動を頑張っている青年である。タクトは持ち前の観察眼を生かして、物事を俯瞰して見られていて、仲間から一目置かれていると本人は思っている。

ただ一緒に頑張っているとは表面的な表現であり、一目置かれているというのも本人の自己評価が高過ぎるだけである。
そしてタクトには裏の顔がある。タクトは人に対して冷笑的であり、どこか仲間たちをバカにしているのである。
それが理由で最後にものすごく悪いことがおこる。

タクトは留学経験を生かして、素直に就活を頑張ろうとする人をバカにする。またタクトの同居人は就職活動を機にバンド活動をやめ、金髪を黒髪にしてあっさり出版社から内定を取ってしまう。これに対してタクトは表面上は喜ぶものの、その出版社は大したことない会社だと思おうとする。

就職活動をせずに演劇で自分の劇団を立ち上げた、かつての仲間に対しては、ネットでのその劇団への批判を見て溜飲を下げる。

このように書くとタクトはものすごく悪い人に感じられるが、仲間と上辺ではうまくやり、著者である朝井リョウさんの表現力をもってするとこんな人っていると実感できるのである。

そしてそれは自分のことについて直接的に考えさせられる。素直に頑張ろうとしているが上手くいっていない同僚を揶揄したことがないと言えるか。同じ仕事であっさり上手くできる人をやっかんでいないか。

自分が諦めた夢を追い求めて、その夢を叶えようとしつつある人を羨んでいないか。

あまり自分の恥部をさらけだすのもどうかと思うが、上手くいっていない人と自分を比べて安心したり、成功している人を妬んだりしたことが間違いなくある。

朝井リョウさんの何者という小説には、きれいごとだけでは語れない、人間の複雑な感情が豊かな筆致で表現されていてそれを自分に重ねてしまう。それは苦しいことなのだが、自分の内面に深く向き合う体験となる。

小説のいいところは、じっくり自分と向き合う機会になることだと私は思っている。読書とはかなり個人的な行為なので、自然とその内容を自分に重ねることになる。

登場人物と自分を重ねてみたり、逆に全く共感できずに自分だったらどう行動するか考えたりする。そんなふうに読書をする中で、普段は意識化されない自分の考え方のクセや特徴に気付くことになるのではないかと私は考えている。

私とタクトには考え方が重なるところが多く、特に自分の醜い部分を意識化させられた。なんとなく私は自分が他人をやっかむ癖があることには気付いてはいた。しかしそれは、心の底にあり意識にのぼってくることはあまりなかった。この本のタクトの言動や行動の中から、私の心の中の黒い部分が浮かび上がってきたのだ。

それを実現したのは朝井リョウさんの人間への深い洞察力であり、それを人に伝えられる表現力である。
私たちが漠然と思っていることを文章にして整理できるという能力にはただただ感服する。


私はこれからも本を読むことで自分を知ることになるだろう。
醜いところ、悪いところもたくさん意識化することになると思う。
しかしそれは不思議と嫌ではない。
どんな自分であっても、自己理解を進めていきたいという気持ちが勝る。

自分探しなどと表現すると陳腐になってしまうが。

私は私のことが知りたい。
もっともっと知りたい。

私は死ぬまで私でいるしかないのだから。
私は私であるという選択肢しかないのだから。
私は私として死ぬまで生きることしか許されていないのだから。
どんな私でも受け入れて生きていくしかないのだから。

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