見出し画像

チラ裏的マラソン大会の結果報告

「チラ裏」という言葉をご存知だろうか?
これは某掲示板発祥の言葉だそうだ。
某掲示板では、オチがない唐突な自分語りが書き込まれると「チラ裏」と責められてしまうそうである。
「(そんなつまらない自分語りなんて)チラシの裏にでも書いておけ」を略して「チラ裏」というそうだ。

なぜこのようなことをいきなり書き始めたかというと、もうこれを読んでいる方なら分かると思うが、この記事で「チラ裏」と言われてしまうような話を書くからである。

ここより先、私のマラソン大会についての自分語りを始める。おそらくほとんどの人類にとって毛の先も興味がない話だと思われる。

しかしありがたいことに昨日、マラソン大会に行く途中の電車とバスの中で、「これからマラソン大会に行ってきます。家族にも応援されていないですが頑張ってきます」という趣旨の侘しい記事を書いたところ、応援のコメントを書いて下さった方が何人かいらっしゃった。

それがなんとも嬉しく、またマラソン大会に出たいという気持ちになっている。応援してもらえるって本当に力になる。

その感謝の気持ちを込めて、マラソン大会の報告をしたい。「チラ裏」な話ではあるがどうか許してほしい。


私が昨日出たマラソン大会は個人の部とチームの部に分かれていた。チームの部に重きが置かれている大会であるらしく、私が会場についた時には何組かのグループが楽しそうに談笑していた。

お揃いのTシャツはもちろんのこと、ユニホームまであるチームもあり、なかなか本格的だ。


せっかちな私は8時過ぎに会場につき受付を済ませた。
ただ個人の部のレースが始まるのは10時からである。

友達も一緒に参加することになっているので、「今どこ?もう着いちゃった❤️」という気持ち悪いメールを送ってみた。
しばらくすると友達から「いまいえでた」と愛想のカケラもない返事がきた。気持ち悪いメールを送られた腹いせに漢字を使うことを放棄したようだ。

これは困った。友達の家からマラソン大会会場までは30分はかかる。それまで私は孤独と戦わなければいけない。

周りはチームで参加する楽しげな人たちばかりである。

私はポツンと一人で佇むしかない。
個人戦のみのマラソン大会なら、レースまで一人で待機していても周りもそうなので気にならない。

しかし、この大会は休日に仲間でチームを組んでランニングを楽しもうというリア充たちの集いであった。

孤独な私とのコントラストがはっきりとしている。

なぜ休日に大会エントリー料まで払って孤独をあじあわなければいけないのか、私は孤独だと気がつくためにこの大会に参加したのか、孤独の意味を知るためにこの場所に辿り着いたのかなどと考えていた。

そんな絶望の淵に立たされて、いよいよ孤独という悪魔に心を切り裂かれそうになっていた時に友達がやってきた。

友達は挨拶もそこそこに早速iPhoneを取り出して、カメラを起動させる。友達もいい年のおじさんなのであるが、やたら自撮りが好きなのだ。

大会名が書かれた看板の前や、スタート地点や、待機場所である何でもない草むらなどでiPhoneをインカメにして私と二人で写真を撮りたがる。

インスタとかやっているとは聞いたことがないが、遊びに行くといつもやたら「記念だから」と私と写真を撮ろうとする。

写真があまり好きでない私は、この行為について普段はめんどくさいと思っているが、この日ばかりは友達との自撮りをしまくったおかげで、リア充ポイントがだいぶ補充できた。

周りのチームで参加している人たちにも遜色ないリア充行動がとれた。

孤独という悪魔もどうやら姿を消したようである。

友達のiPhoneのフォルダに十分過ぎるほどの友達と私の自撮りの写真がたまった頃、スタートの時間となった。


この日はとても調子が良く我ながら満足な走りができた。

そしてその結果として、小規模な大会で参加人数は少ないのだが、10位以内に入れたのである。

私は小学生のころマラソン大会で、常に後ろの方から10番以内であるくらい走ることが苦手であった。そんな私が小規模な大会とはいえ前から10番以内に入れたことに、驚くとともに嬉しさが込み上げてきた。

小学生のころはマラソン大会なんてなくなればいいのにとずっと思っていたが、今はこうしてお金を払ってまでも参加するようになり、前から10位以内に入ることができた。なんだかとても感慨深い思いが込み上げてきた。

私より数分後にゴールした友達も祝福してくれて、ゴール後も至る所で記念撮影をしてくれた。いつもは煩わしい自撮りの強要も、この日ばかりは嬉しく、何枚かの写真を送ってもらい私のiPhoneのフォルダに保存してみた。


ただ帰宅して大会で10位以内に入れたことを家族に報告すると妻と娘(6歳)は「ふーん」とほぼ無反応であった。我が家の女子は私のマラソンについてまるで無関心なのである。私のマラソン大会に関心をもったら何か不幸が降り注ぐと信仰しているが如くの無関心だ。

ただ息子(3歳)だけは「パパはちった(走った)の。えらいねえ」と褒めてくれたので救われた。


以上、チラ裏でした。

この記事が参加している募集

私のスポーツ遍歴

運動記録

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?