見出し画像

【真実の基本のキ!】PRとプロパガンダ

ネットでも新聞でもテレビでも広告が多くて鬱陶しいですよね。私も広告のせいで(?)本命の商品だけではなく必要のないお菓子を買ってしまって罪悪感を持ってしまうことがしばしばあります。しかしPRという言葉を広めた人が実はプロパガンダとPRを同一視し大衆に広めたとしたら?今回は身の回りにある広告について話していこうと思います。

そもそもプロパガンダって?

プロパガンダ(propaganda:ラテン語)はとある方向に大衆を導く意図をもった行為のことです。プロパガンダというとナチスやソ連が思い浮かぶ方がいるかもしれませんが実はもっと身近なところにプロパガンダはあるのです。

ある意味偉大?エドワード・バーネイズ

皆さんはエドワード・バーネイズをご存知でしょうか?「広報の父」と賞賛されているようですが、それは美化されたものです。
アメリカは第一次世界大戦への参戦の大衆の肯定を促すため彼を雇いました。そして「この戦争はヨーロッパに民主主義を広げられる」と宣伝すると一気に肯定的な流れになったようです。

ここで少し考えて欲しいのが「戦争をしたいアメリカ」と「戦争に乗り気じゃない国民」という構図があるということです。国民の世論は分かりますよね。誰も争いなんてしたくないです。逆に何故アメリカは戦争をしたかったのでしょう?個人的な意見としては「」でしょう。そもそも今も昔も戦争自体彼らにとってはビジネスですし、国民だけが犠牲となり政府と一部富裕層が生き残り儲かる。それが戦争なのです。

まだまだ続くバーネイズの活躍

プロパガンダという言葉は当時ドイツが使っていたのであまりいい印象がありませんでした。そこでバーネイズはプロパガンダをPRと名前を変えました。PRはPublic Relationの略ですがこの真実を知るとpropagandaの先頭2文字をとったものではないかと思ってしまいます。

1920年以前の宣伝は商品の機能性や必要性が主でした。当時は浪費は庶民の間ではないものでした。逆に言うと洋服や食品などは「必要だから買う」ものでした。場面は変わりPRを商品にも活用できると知ったバーネイズは大衆心理の専門家で伯父でもあるフロイトと共に庶民向けのPRに努めます。彼らの目標は「庶民に必要では無いものをいかに買わせるか」でした。この時にバーネイズはこう言いました。

私達はアメリカを必要性の文化から欲望の文化へと切り替えねばならない。たとえ既に所有している物を完全に使い切らなかったとしても大衆が新しい物を欲するように調教せねばならない。欲望で必要かどうかの判断を鈍らせるのだ。

と。これは戦後日本の3S政策に盛り込まれることとなります。

終戦直後のアメリカ大統領、トルーマンは当時の日本についてこう述べています。

長いので画像で失礼致します。

その買い物、Need?それともWant?

このようにこの世が物質主義、消費社会になったのには流れがあります。お金のために環境を壊しておきながら「地球が危ない!」と言うのは矛盾しています。今は日本だけがやっているSDG'sですが、物質主義になる前の日本(特に江戸など)の方が「もったいないの精神」など方法や技術は違えど、よりSDG'sしてました。
私たちが今後実践していくべきは欲しい(Want)ではなく必要性(Need)を重視したもの、精神的満足ができるものです。もちろん100%必要なもの...というのは人間である以上難しいです。なので必要7:欲3くらいがちょうどいいと思います。私も今はこの比率で行動して結構上手くいってますよ。物欲が減りますし、節約にもなります。

バーネイズが必要性から欲望の文化に切り替えたなら次は私たちの手で元に戻しませんか?

ここまで読んでくださりありがとうございました!

【参考にした動画】

おそらく上の動画を翻訳、要約した動画

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?