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椀が割れていない人が絶対に話すことのない秘密をこっそり暴露します。

前回まで以下の記事のとおり、割れている椀について3本の記事を書いてきました。貧しさの原因、貯蓄できない原因がこの記事には書いてあります。

私はアストンマーティンに乗ることによって、映画『タイム』の壁の向こう側を見てくることができました。そこにあった椀が割れていない人たちのコミュニティを人生はじめて垣間見ることができたのです。

アストンマーティンを購入するまで、私の椀も当然割れていた(自分が幼稚園のころからあこがれていたスーパーカーを自分自身に与えないでいた私は、自分から最大に奪うテイカーでした。)ので、私の周りには椀が割れている人しかいませんでした。波動の法則で自分に似た人が自分の周りに集まってきます。

しかし、以下の記事のとおり、ようやく自分にそれを許可することができました。BMW740iでスーパーカーのツーリングにおまめとして参加させていただいたときに、異様に車高の高い自分の車をみて違和感を感じ、それから3カ月以内にアストンマーティンDB9を購入しました。

割れていない人々の特徴を考える際、スーパーカークラブのメンバーであるスーパーカーの所有者の行動様態を参照にすることができます。これらの人々は、社会的地位や豊かさを象徴するような生活を送っており、内面的な充実と外的な成功の両方を享受しています。


1. 物質的な豊かさと内面の充実

アストンマーティンに乗ることができるような人々は、明らかに物質的な成功を収めています。彼らは豊かであり、それによってある種の社会的地位を確立しています。しかし、彼らの豊かさは単なる経済的な状態を超え、精神的な充実にも繋がっています。これには自己実現の感覚や、生活の質を高めるさまざまな体験が含まれます。

2. 限られた社交界における交流

スーパーカークラブのメンバーとしての彼らの生活は、特定のコミュニティに限られています。映画『タイム』で描かれるような、異なる社会階層間の交流が少ないため、彼らは幸せで豊かな人々とのみ親密な関係を築いています。これにより、彼らは同じような背景を持つ人々との間で価値観を共有し、価格以上の価値があるパーティを開催したり、互いに自分のお気に入りの価値あるお土産を交換するなどの行動を通じて、さらにその絆を深めています。

3. 「椀が割れている人々」との接触の欠如

これらの人々は、敢えて椀が割れている人々とは接触や深いつながりを避けています。彼らの生活圏内では、自分たちと同じように安定し、充実した生活を送る人々とのみ交流があります。彼らは自分を大切にするため、あえて「椀が割れている人々」と会うことのリスクを本能的か、家の教えとして知っています。配偶者を選ぶときに、「ぽっとで」の人を避けていることや、家の格を重視したことはこのことと少なからず関係があるでしょう。これらの選択は、心理的な安定や幸福感を保つために意識的に行われている可能性があります。

4. 自己の状態を反映する関係

椀が割れている状態にあるかどうかは、周囲の人々との関係性にも影響します。一例ですが、ある人が最愛の奥さんにケリーバッグを買ってあげることができない場合、それはその人の経済的な能力や心理的な満足度が低いことの表れとなるかもしれません。これは、その人の周りにいる人々が椀が割れている状態を反映していることの証左とも取れます。すでに前の記事に書いたとおり、椀が割れていない人々のコミュニティではあたかも永久機関のように、お金とエネルギーが無限循環しているから、ケリーバック一つ買ってあげることのできないというのは椀が割れている証拠でもあります。

5. まとめ

椀が割れていない人々は、自分たちの社会的、経済的成功を内面的な充実と結びつけ、限られたが質の高いコミュニティでの交流を重視しています。彼らの生活は外部からの評価だけでなく、自己評価にも基づいており、その両方が高いバランスを保っています。

さらに重要なこととして、これらの人々は他者への深い思いやりと配慮を持っているため、自分たちのこのような状態を決して口にしません。なぜなら、その事実を口外することが相手を傷つける可能性があることを彼らは知っているからです。ですから、この事が椀が割れていない人が絶対に話すことのない秘密となっているのです。

私がこの記事を書いた目的は、映画『タイム』で描かれるような社会的な壁を乗り越えるためのヒントを提供することです。椀が割れている人々が自分自身の状態を理解し、改善することで、より豊かで満たされた生活に向かう手助けをするための洞察を共有したいと考えています。このブログが、個人の成長を促し、より高い生活の質へと進む一助となれば幸いです。

6. おまけ(このことをわかりやすくしたたとえ話)

1)たとえ話: 「湖の鏡」

ある美しい山間の村には、きらめく湖がありました。この湖は非常に静かで、水面はいつも鏡のように穏やかでした。湖の水面は、周囲の景色を完璧に映し出し、村の人々はこの美しい光景を日々楽しんでいました。

湖の一方では、ヨットクラブがあり、美しいヨットがいくつも浮かんでいました。ヨットの所有者たちは、豊かで充実した生活を送っており、彼らの生活は湖の穏やかさと同じく、内面的にも平穏で満たされていました。彼らは自分たちの豊かな生活を誇示することなく、静かにその恵みを享受していました。彼らは決して湖の静けさを乱すようなことはせず、その穏やかな美しさを守ることに努めていました。

しかし、湖のもう一方の端には、時々小舟が漕ぎ出され、その舟を漕ぐ人々はしばしば水をかき乱し、湖の水面が一時的に乱れることがありました。これらの人々は、湖の静けさを享受することなく、むしろ自分たちの存在を主張しようとしているかのようでした。彼らの行動は、しばしば水面の鏡のような美しさを損ね、湖の平和を乱しました。

このたとえ話からわかるように、椀が割れていない人々(ヨットの所有者たち)は、内面の平穏と外的な豊かさを兼ね備え、自分たちの生活を静かに楽しみます。彼らは他者に対しても配慮深く、自分たちの状態を口に出すことなく、湖の美しさを慈しんでいます。一方で、湖を乱す小舟の人々は、椀が割れている状態にあることを示しており、内面の不安定さや満たされない心を表しています。この物語は、内面的な平和と充実が、外界に対してどのように影響を及ぼすかを象徴しています。

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