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【多重人格の暮らし】病気の認識と心の整理

こんにちは。五六翠蓮です。

今回の記事は、解離性同一性障害と診断される前と後に思っていたこと、考えていたことを言葉にしてみようと思います。


診断前、多重人格だと指摘された時

まだ解離性障害という言葉すら知らなかった頃。

「自分が何人もいるなんて、普通じゃない」
「それって多重人格じゃないの?」

いろんなことを言われました。
ですが、幸いにも私を傷つけてやろうという意図はなく、それがきっかけで人間関係が壊れることはありませんでした。

私が今まで「普通」だと思っていたことが、みんなからすると「異常」だった。
それが何よりショックで、とても怖くて不安な思いをしました。
突然世界から仲間がいなくなってしまったかのような、ひどい孤独感に襲われたのを覚えています。

「こういうのって、解離って言うみたいだよ」

そう言って、孤独と不安から救い上げてくれたのは、恋人でした。

類は友を呼ぶ、と言うように、恋人も私と同じ感覚の持ち主だったのです。
すぐ身近に共感者がいてくれることは、すごく心強かったです。

私はネットで調べてみたり、主治医に相談したりと、とにかく行動しました。
何でもいいから、自分の状態を言い表す言葉が欲しかったのです。

その結果たどり着いたのが、解離性障害でした。


私は多重人格?

思い返してみれば、記憶が不自然に飛んでいることも珍しくなく、現実感がなく夢の中にいるような感覚もありました。

主治医から解離性障害の説明があった時、なるほど、確かにそんな症状があるな、と思いました。

しかし、解離性同一性障害の可能性があると言われた時は、頭の中が???でいっぱいに。

自分が解離性障害であることには納得がいっても、多重人格だとは思っていなかったのです。

やはり、私は普通ではないの?

あんなに自分の状態を言い表す言葉が欲しかったのに、それが分かっても、結局私は不安と孤独から解放されませんでした。


症状がどんどん顕著に

自分は多重人格なのか?
そんな風に考えていたからか、解離の症状はどんどん顕著になっていきました。

ぼんやりと記憶はあっても、自分のものとは思えない思考や話し方。
自分以外の存在が、私の中にはいる。
それに気付くのに、時間はかかりませんでした。

しかし、受け入れるのには、とても時間がかかりました。

解離性同一性障害について書かれたサイトや書籍を読んでも、「多くの解離性同一性障害者はこうだ」ということしか書かれておらず、その多数派に入っていない私の症状は、ほとんど触れられていなかったのです。

多数派の症状が出ていない私は、解離じゃないんじゃないか。
私の症状は、ただの思い込みじゃないのか。
演技しているだけで、人格なんていないんじゃないか。

ずっとそんなことを考えていました。

ですが、Twitterの闘病アカウントを作り、解離性同一性障害を持っている方々と悩みを相談したりしているうちに、私と同じような悩みを持っている人がたくさんいるのだと気付きました。

自分と同じことで悩んでいる人がいる。
自分だけじゃなかったんだ。

そう思えることで、抱えていた孤独感が和らぎ、少しずつ受け入れられるようになっていきました。
交流している中で解離性障害に対する知識もつき、解離の症状は個人差が大きいと分かったのが、自分の症状を受け入れることに繋がりました。

「解離の症状は人それぞれだから、こうじゃないと似非!なんてことはないんだよ」
「貴女がそれで困っているのは事実。デメリットしかないのに演技しているとは思えないし、私は貴女のことを信じるよ」

温かい言葉をたくさんもらいました。
他者が私のことを信じてくれたことで、私も自分のことを信じてみようと思えるようになりました。

私は「普通」じゃなかったけど、私と同じ解離性障害の人はたくさんいて、同じような悩みを持っている。
私は一人じゃない。

そう考えられるようになり、抱えていた不安や孤独感は、徐々に小さくなっていきました。


今の心境

自分の症状を受け入れられたとは言え、たまに「やっぱり私には人格はいなくて、全部演技なのでは…!?」と不安になることはあります。

今思い返せば、診断前と診断後半年くらいは、解離性同一性障害という言葉にこだわっていたように思えます。

自分が属するグループのようなものが欲しかったんだと思います。
「普通」のグループには入ってないけど、「解離性同一性障害」というグループには属している。私は一人じゃない。
そう思いたかったんでしょうね。

そう思いたいのに、自分が本当に解離性同一性障害なのか分からない。
でも、解離性同一性障害じゃないなら、私は何なのか。

ずっとこういう思考だったため、自分が解離性同一性障害であることに執着していたんだと思います。

今は「解離性同一性障害って診断されてるし、自分以外の何かがいるのは確かだし、同じだよ~って言ってくれる仲間もいるし、それでいいじゃん」と気楽に考えられるようになりました。

こういった思考に落ち着けたのは、時間の経過と身につけた知識、そして共感してくれた人達の存在が大きいです。

診断されて、症状をしっかり受け入れるまで、私は1年かかりました。
1年悩んで、いろいろなことを考えたからこそ、今の思考に落ちつけたのかもしれません。


最後に

こうして振り返ってみると、この1年は心境が大きく変化した年だったなと思います。

苦しい時期もありましたが、それを経て今があるので、あの時間も無駄ではなかったかなと思えます。

解離性同一性障害に限らず、どの病気でも心の整理をつけることは、とても大事なことだと思います。

苦しい時間は長く感じてしまいますが、悩むことで開く道もあります。
自分の中で納得する答えや、考え方が出るといいですね。

それでは、今回はこのあたりで失礼します。

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