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そもそも『青天を衝け』って何でつくの?

 日本人は漢詩を作ってきました。戦国時代の武田信玄、上杉謙信、伊達政宗、直江兼続。幕末でも近藤勇の辞世は漢詩です。中国文学観点からいけば、むしろ日本人ゆえに深く踏み込まれない。そして日本人からもいまいち関心を抱かれにくい。
 そういう認識はどうしたってあるのですね。

 『青天を衝け』というドラマは、製作者が幕末の日本人が漢詩を作るという意義を正確に理解しているかどうか怪しいものがあります。

 『麒麟がくる』では書き下し文で読み上げていたものを、『青天を衝け』では現代語訳にしている。ナビゲーターの家康が幕末の漢詩について説明するとき、理解が浅いとしか思えない珍妙なものであった。

 そして何よりも『青天を衝け』をタイトルに持ってくるあたりがおかしい。その理由を突っ込んでいきます。

 いや、だって、そこまでよい語句とも思えないんですよ。
 これは渋沢がほんの青年期に詠んだものであり、技量がそこまで高いとも思えない。本人の作でなくとも、もっとよいものはあったのではないかと思ってしまう。それこそ『論語』引用ではいけないのかとか。メインビジュアルコピーの「仁なる者に敵は無し」のように『孟子』由来にするとか。何かやりようはあったのでは?

 『麒麟がくる』の方がこの辺りよほど中国思想理解がきっちりしていた。どうしてこうなったのか本当に不思議で仕方ないのです。勢衝青天攘臂躋 気穿白雲唾手征

勢は青天を衝き臂(ひじ)を攘(まくり)て躋(のぼ)り
気は白雲を穿(うがち)て手に唾して征(ゆ)く

青い空まで突き抜けるほどのエネルギーで肘を捲って登り、
気力は白い雲を突き抜けるほどで、手に唾をして行く。

 若いな、やる気をアピールしているだけだな、ぶっちゃけそんな名句でもないな……なんでタイトルにしたかわからないな。そもそも「青天を衝け」だと意味がわからないし、何がそんなに青天に突き抜けるかわからないから「勢は青天を衝く」あたりに落とし所にできなかったのかな。それだとゴロが悪いという気持ちはわかるけど、そもそも「青天を衝け」だって別にいい響きじゃないな。 
 要するに、ツッコミどころ満載だ。まだ若い青年が行商で険しい山を登り、それを詩に詠んだと。それを、

「うーん、これはきっとものすごい意味があるのだ!」
と言い募るのって、要するに阿諛追従の類のような気がしてなんとも。

そもそもそんなに漢詩としていいのかっていうと……

 比較するのは何ですが、伊達政宗の「馬上少年過ぐ」は名句で、司馬遼太郎の作品タイトルになった理由も頷けます。あれはいい。ドラマがありますよね! 日本人、戦国武将の漢詩としてあげられるのも納得です。 

 でも、「青天を衝け」はねえ……。
 なぜそんな意地悪なことを言うかと言いますと、本作に出てきた幕臣の皆さんは選ぶことが難しいほど詩作が多いのです。永井尚志は当時屈指の作品数。栗本鋤雲は樺太アイヌの風俗やイオマンテ、フランス人メルメ・カションの追悼を題材にした漢詩で詠んでいるほど。
 栗本鋤雲の「唐太小詩 其の一」はいいですよ!

一場の歌哭 秋穹を動かす
木幣 毿毿たり 崖樹の中
日暮 老夷 来たりて報道す
西隣 明旦 雛熊を祭ると

祭りの場でひとびとが鳴く大きな声が、秋の空をも動かすようだ
崖にある樹の中ではイナウがひらひらと翻っている
日暮れに、年老いたアイヌがきて伝えてくれた
西にあるコタンで、明日の朝、イオマンテをするのだと

 日本人の漢詩を紹介した本に渋沢栄一はそこまで取り上げられません。そこを踏まえても、いろいろと疑念が湧いてきます。『論語』の解釈も、実はなかなかツッコミどころがありますし。
 渋沢栄一名義の論語解説本って、別の研究者がほとんど書いたものに名義をつけたようなものであるし。
 明治末に『ポケット論語』がベストセラーになって以降、『論語』のことを持ち出すようになったし。
 東洋のそれなりに上流の商人にとって『論語』は教養であり、渋沢栄一の専売特許でもないし。
 中国の商人は『論語』のみならず商業に特化した古典『陶朱公商訓』までマスターしてこそ、でもあるし。
 そもそも渋沢栄一の『論語』解釈は水戸学由来のあやしい要素も入っているだろうし。
 だいたい渋沢栄一が大成功した要因は、別に『論語』のおかげでもないだろうし。
 そこを踏まえているから、漢籍推しが弱いのでしょうか。いろいろ考えてしまうんですねえ。

 で、繰り返しますが、タイトルの時点でイケてないです。漢詩好きな人なんてどうせいないだろうから、突っ込まれないと思ったんですか? バカにされたもんですねえ。

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