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「他人と関わりたくない」若者ミニマリストタイプのばあちゃんの現在




父方の祖母(90才)が最近、
「死にたい」
「寂しい」
と言っているらしい。

らしい、というのは、この発言は祖母の妹が聞いたものであり、孫の私や息子の父にはそんな事は言わないのだ。

「旦那が亡くなったから?」
というのは、祖父が亡くなってから10何年以上経つので違う。

ただ、祖母の性格は「今の若者的」であるので、将来祖母のように悩む若者が増えるのではないか、と思いながらこの記事を書いている。

「人間関係の悩み?人間関係なんて作らなきゃいい」

これは私が会社員時代愚痴ってた時のばあちゃんの発言である。
なんて極論なんだ。

そしてばあちゃんは実際、必要最低限の人付き合いしかしないし、働いてた時も同僚とキャッキャ喋ることもしない、なんならご近所さんとは挨拶こそするけどお茶したりお互いの家の話したりとかもしない(聞くことはあれども)。

なので私は「ばあちゃんは他人と接するのが苦手なんだな」と昔から思ってたし、恐らくこれは間違ってはいない。

ちなみにばあちゃんの現在について説明しておく。
ばあちゃんはじいちゃんと見合い結婚をして、父と叔母の2人の子供を授かった。じいちゃんは15年前くらいにぽっくり亡くなり、父も叔母も結婚して家庭を持っていたが「同居はしたくない」と祖母は言った。だがその当時祖母の家は遠くにあったので、それより近場の、私たちが元々住んでいた家に一人暮らしするのはどうか?と提案されたところ祖母は喜んで引っ越した。そして父と叔母は今でも定期的にばあちゃん家に通っているし、私や母、弟もよくばあちゃん家に行っている。
因みに定期的というのは、2人が交互くらいに来る&叔母は毎日電話をしているので、毎週どっちかがばあちゃん家に来ている状態である。

そしてたまに、忙しいが気にかけてくれるばあちゃんの妹も電話したり遊びに来たりするので(旅行にも誘ってくれているがそれはばあちゃんが面倒だからと断っている)、
他人とは接してないけど、家族には恵まれている状態である。(というか父と叔母は他の家庭よりは会いすぎているくらいかもしれない。)

ばぁちゃんはミニマリストの先駆けかもしれない

そしてさらに、ばあちゃんは不要なものはすぐ手放す、家電は新しいものに頻繁に変える(携帯はガラケーだけど)、掃除好き、日々決まったメニューを食べる、レジャーはしない、健康には気を使う、服装はお洒落に興味はないが質の良いものを着る、スキンケアは必要最低限というもので、
あれ、これミニマリストじゃんか!
というタイプなのだ。インターネットこそ使わないけれど、まぁ90歳だから仕方ない気もする。

でも、インスタによくいるミニマリストの将来図に見えて仕方ない。だってばあちゃんはミニマリストなんて言葉もInstagramも知らないのに、彼らとほぼ同じ生活をしている。なんならばあちゃんは先駆けかもしれない。
そしてミニマリストたちって「余計な人間関係は不要」とみんなよく言うので(世間とか他人は気にしないとかね)、これもばあちゃんに通じるのだ。
そして交際費とか娯楽費とかはめったにかからないので、特別な運用とかは一才してないがお金に困っているというわけでもない。因みにばあちゃんは現金しか信用しない。


なにが困っているのか?



ばあちゃんの家はいつもすっきりしてるし居心地が良いし、ばあちゃんは基本穏やかで優しい人なので、私はばあちゃんが好きだ。

母も「嫁姑問題なんて起きたことがない」と言う。

なので別に偏屈で家族から浮いているということもない。

そしてばあちゃんは90歳になるが認知症もなければ入院したことも(出産を除き)一切ない。超健康体。

👩めっちゃいいじゃん

そう、祖母は5年くらい前には「面倒な近所付き合いも引っ越して無くなったし、自然もあるし、静かだし、のんびり気ままに一人暮らしができて幸せだ。いつでも遊びに来ても良いよ、でも長居はするな」
と言っていた。若者ミニマリストが「こうなりたい!」と言いそうな生活をしていて、悩みは何もない、と思われたのだ、が。

父の従兄弟(ばあちゃんの妹の娘)経由で、ばあちゃんが最近「死にたい」と言っていてばあちゃんの妹は心配している、というのだ。

私の親戚には年寄りが多かったが(もうかなり亡くなってしまったが)、みんな死にたいと言うのは病気がつらいとか、旦那が死んで生き甲斐がないとか、老人ホームでの生活が合わないとかそういう理由があった。でもばあちゃんにはそれが当てはまらない。
「1人で生活なんて嫌!誰かと暮らしたい!」と言えば叔母も父も暮らせるのだが、それは提案しても祖母自身が拒否していたし、ペットは飼いたくないと祖母が言っていたし、近所付き合いも他人との人間関係もいらないと言ってたのは祖母なのだ。


「毎日同じことの繰り返しの変化のない日々」は祖母でさえ合わなかったのか

家族もいない、お金も無い、住んでた家も建て替えで出なくてはならない、友人もいない、親戚付き合いはない…というお年寄りがこのばあちゃんの発言を聞いたら「贅沢だ!」と言うかもしれない。

もちろんばあちゃんも本当に死にたいわけではなく、妹にだけ話した愚痴というか、Twitterとかで「死にたいわー」と言ってる感覚に近いのだと思う。だってばあちゃんは家電を買い換えたりリフォームしたり食品買いだめるし、将来の暮らしをちゃんと考えているので。健康にも気を遣っているし。

ただやはり「他人と関わらない生活」「友人の居ない生活」にはあのばあちゃんでさえも虚しさを覚えるのかというのが発見だった。
私は「少なくてもいいけど友達や恋人はいて欲しい」派だがら当事者ではないが、インスタに生息しているミニマリストや自称HSPによく居る「1人の何がいけないんですか?他人の価値観に合わせる必要はありますか?独身一人暮らしでも十分楽しいです」という人達も、若いうちはよくても仕事という「社会」を失い、周囲の人間関係を身内くらいになった時に「寂しい」「死にたい」となってしまう可能性があるのだ、と思った。だって世間話?要らない要らない!と言ってた祖母が今こうなっているのだからと。

今後祖母のように、完全に孤独ではないが満たされない、という老人は増えるのだろうか。そしてそれはインターネットの繋がりで埋められるものだろうか。そんな事を考えた。

今度祖母の家に行ったら何か料理を作ろうと思う。私はヘッタクソですが。

おしまい


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