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心を楽にしたい、悪になる人々

青葉真司の人生をこの間書きましたが、
所詮人の人生などはyahoo!の記事で読んだくらいでは分からない。身近にいる人間の考えだって100%理解をしたとは言えないです。他人の考えはその人間のもので自分では無い。

しかし、あまり充分とは言えないテキストや自分の経験で書きます。

青葉真司は子供の頃、何かやった時に父親から
「お前が悪いから」
という理由でベランダに出されたような子育てだったらしい。
そして青葉真司の母親は恐らくは
「夫が悪いから離婚をする」
と、家を出ていった。

さてどういう子供に育つかというと

「あいつが悪いから俺はやった」

となるだろう。

追記:前回に書いた青葉真司についてのnoteでは、いささか同情的な書き方をしました。
また、子育てとしつけ、虐待については私は専門家では無いのだが
しつけはしないといけないがかなり難しく


しつけによって、親を恨みに思うだけだと大人になっても子供から「お前の子育てが悪い」となるのだろう。

激しいしつけがあったとしても、どちらかの寄り添いがあり愛情があればしつけは出来ると思います。
(もしくは正しい意見を言える第三者のよりそいか書物など文化のよりそい)
まぁ、子育てをした事が無い人間なので幻想のような意見なのかもしれません。

9月11日追記:後でいくらフォローをしても、という虐待は駄目だなとやはり最近の青葉真司の裁判を読んで思いました。
例えばベランダに出すという行為、裸にして出したという話がある。
助けてくれる人間は誰もいないのですよね。
そして、お前は悪いからという事で全裸でベランダに
出されて中に入れさせないのでしょう?
これは本人の自尊心にダメージが残る。
学校のいじめにもあるパターンですけれど、それをやられた人間は立ち直りは難しいと思う。
ちなみに最近の戦争でも、捕虜に対してやっています。

「あいつが悪いからやった」
ほとんどの加害の理由はそれだ。
小さな小競り合いから戦争まで全てそれだ。

本人の制裁を避けるために警察や裁判所があるわけだが、それを活用する者は健全な人間もしくは
本当に賢く勇気のある者だけだったりする。

犯罪者の言い訳の特徴で
「親を困らせるためにやった」
「妻を困らせるためにやった」
というのもある。
要するに
こんな俺に育てた親が悪い
こんなになったのは妻のせいだから妻が悪い

と、言いたいのだろう。


青葉真司が京アニ放火事件をしてしまう何年も前にも事件を起こして捕まった時に、母親が駆けつけたら(身元引受人だから呼ばれたというのもあるだろうが)

「いまさら!来やがって!」

と青葉真司が親を怒ったそうだ。
自分のした事よりも
「お前のせいで捕まったんだよ」「お前が放ったらかしなせいだよ!」
と思っていたのでは?
と思う。
怒っているが楽な考え方だ。
自分を省みない。自分を悪いと言わないのは
なんて楽なんでしょうか。

人間は考える事が出来る。



しかし自分を責めるのは相当辛い事だ。
だから楽な方に考える。
反省はしない。
楽な方に考えてそしてとんでもない事までやってのける。最期までそうなんだろう。


楽な人間は良いですねぇ羨ましい。

しかし、以上の事は本当の被害者には当てはまらない。
裁判所で審議をすれば誰が被害者で誰が加害者か一応他人ならわかるはずだ。
そこでも分からない場合は、裁判が長引く。


ところで宗教的な裁判というのがある。

しかもその場所での裁判で善か悪か
その場の教義によって裁く場合がある。


元信者Xからのシェアです。

それをやらないために罰を与える
私達が
これは犯罪者の心理と同じだと思いませんか。

神はそんな事をするのだろうか?
題目をしないからみんなでハブって孤独にさせろ!
と神は命令したのだろうか?

人間の判断だ。
神(何の神なのか分からないけど)の教えを守ってそれである。
あらゆる宗教の中にはそんな事をしないものもある。
罰というものをみんなでやれ!
という宗教はまがいものだと思っている。

100年前もそうだし、現在もそう。



例えば酷い話しを聞いて怒る
これは感情でその場で思う事だから止めようがないだろう。しかしその感情を持続し続け行動に起こしたら

青葉真司やカルトと同じなのだと
自分で思って欲しい。
しかし思わないだろうな。
その方が自分が神になったように思って
偉くなった〜〜と錯覚して
幸せな心になる。

そういう事はしたくない
と思える人が善人だと私は確信する。
そこだけは本当に断定する。

✳ヘッドの文章は萩原朔太郎の100年前の所感です。
「なに人が誰に」というよりも、萩原朔太郎はショックが強すぎて「何」という何だか分からないものがとして書いている。


とても人間がした事とは思えないものを「視た」のだろう。
ところでこういった考えや書籍(手塚治虫の漫画などの漫画、アニメも含む)歌、映画文化等からも
親の「心からの寄り添い」が無くとも人は学ぶはずだと思います。
しかし、青葉真司は京アニアニメが好きだったらしいが、京アニからは何も学ばなかったようである。

追記の追記:ちなみに有名なゲーマーで、やはり子供の頃から親から放っておかれた人がいたらしいけれど(母親は子供の時にお亡くなりになり父親はお金だけ置いて別の家庭の女と暮らしていたそうですよ)
ゲーム達が寄り添っていたらしい。そういう意味では決して孤独では無く、教えも感動もあったという話しなので良かったと思う…。ゲーマーは、藤田真也っていう方です。この人も過酷な子供時代でしたが楽しそうです。

✳加筆修正致しました。

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