処理
日々、その時。
2022年9月に体調をくずし退職してから元気になるまでの過程の記録まとめ。 ・生活改善、健康促進、自己分析、アウトプット、認知行動療法、復職活動など。 ・過去の社会不安経験と自律神経失調症の後遺症で神経が脆いことが不安要因。 ・精神的なキャパが少なくマイナス思考が多くなりがちです。 ・グレーゾーン(軽度、傾向あり診断なし)は、社会不安障害、適応障害、離人症、ASD、セクシャルマイノリティー。 ・方向性がぶれながらも改善できるものとして自分と向き合います。
初めてのnote記事の作成だ。 文章書きの皆さん、初めまして。 皆さんも感じているんじゃないだろうか。 こうして言葉を発信する機会を与えられることの喜びを。 noteは、他のどのSNSや創作投稿サイトよりも文章書きに優しいツールだと思う。 Twitterで流れてくるnote公式の記事を目にしてもそれを感じる。 「もしかして、こんな名もない文章好きの拙い記事も読んでくれているのではないだろうか?」 そう確かに期待させてくれる。 まずはこの機会に感謝を。 私、処理のこと
ここ最近で自身について言われて一番ぴったりきた言葉だ。 「再現性がない」。「再現性があることが良し」とどこぞで言われ始めた言葉なのだろう。 怠惰か鬱病か発達障害かと疑い続けても答えがない。 私が生きてきて私と決めたことも要因になっている。 自責か他責か、心理的要因か環境的要因かなんてのも原因や責任がどこにあるのかどう取るのかなんてのも虚しい。全てにある。 原始的な脳の俊敏さと集団社会のために規律された脳の固さが何かを切り分けて分断している。 世の中は便利に発展して住みやす
0時を回った頃、スマートフォンの電池が切れた。 日中、鬱屈とした気分が濃かった。 夜に散歩し、コンビニでおやつを買い、自動思考を促すように歩いた。帰宅した頃には血流が良くなったと満足した。テーブルにつき食事をしたら脳内で反省会や今後の対策会議などが始まった。脳にカロリーが回るとこうなる。 資源(資金、体力、精神力、その他人間的能力全般)が乏しいことを言い訳に対策の実行も渋る。 電池が切れる直前まで見ていたページは回避性パーソナリティ障害の自己診断テストとchatGPTへの
眠らなきゃと思う時ほど、まぶたの裏に邪魔が入る。 感覚的なフラッシュバックがあって、少し泣いた。 脳が、当時感情や行動にして対処できなかった苦しみを思い出してしまってる。 今の気分が悪いとか、嫌なことがあったとか、これからあるとか、そういうことじゃあない。疲れと冷えで懲りや頭痛くらいはあるけれど、それらをきっかけに、当時の苦しみが生々しく蘇ってしまっただけ。これからもこういう時系列のバグのようなことは発生すると思う。 あの時、混乱するばかりで感情として自覚と発散ができなかった
年末年始は気分障害じゃなくても親戚イベントで嫌な気分になりやすい。 今年度はその点、いい方でした。 単純に、会う人数と時間が少なかったのでまだ軽傷というところなんですけど。 来週疲れます。 順調に回復中。 趣味を楽しめるくらいの心の余裕はできてきて、閉店セールの文具コーナーで紙とペンを買いました。私の習性。 持っていた紙とペンも合わせて、改めて書き試し。 なんてしてたら右腕に鈍痛。 これも私あるある。 数日前もらくがきはして、筋肉痛のような痛みはあったけれど、翌日はなんと
内容を度外視したままただ書くと、自分の中は不器用さや未整理の過去の負の思考ばかりで、やっぱり後悔するのだけど、ただ書きたい欲だけは今確かにあるので、またいつかのように布団から起き上がれずに携帯でそれをしよう。 決していい心地でも堂々と胸を張れた有様でもないけれど、いつかのあの頃よりはどっかしらで苦痛が小さいんじゃないかと思ってみたりする。 悪くなったところの方が普段の不安や心配でより目立って感じられるのだけど、あえて注目しやしない良くなった部分もたくさんある。私が生活と社会
自分が日々何が辛いのかは少しずつわかってきた。 抑うつ気分は幾らか良くなったので、起き上がってしまえば動きにくさは少ない。 翌日の予定を大雑把にでも決めておかないと、起きた時に起きる意欲がわかないし、起きても頭が何も働かない。何をしようと思っていたか、思い出すまでに時間がかかる。 無気力と虚無な状態が治らない。 鬱症状と認知症は見ているものが読めなくなったり、聞いていることが入ってこなかったり、覚えられなくなったり、出方が似ている、と思ったけれど、やっぱり知能が下がっちゃうん
昨日良くなって来たと記したけれど、それは心と体の病状に対してで、現状が劇的に良くなったわけではない。 目覚めた時のうつ症状はなくなったけれど、過ごし方の定まらなさは今後も課題で、私は毎日の過ごし方がグチャグチャになりやすい。 仕事をしていれば、通常の勤務で平日の朝から夜まで仕事、帰ってきて家事など、のようには大体は決まってしまうわけだけれど、今は無職のほぼノンスケジュールであるし、家事も毎日同じペースという訳ではなく「今日は自室の掃除」「今日は居間の窓拭き」「今日は食材の買い
醜態。 また過去の職場でいやだったことを思い出した。 これがしつこい! 数日おきに何時間も現れる!(※反省したり悩んだりしやすい性格の人の脳の習慣と言われるけれど、これが病気となるとまったく関係のない場面で幾度も想起されて追体験のように心身にも悪影響を及ぼしてくる) 離職したのは昨年だし、それ以前の職場のことも不意にぬるっと頭の中に浮かんで出てくる。思考が引っ張られる私。 しかしよく思い出される場面を考えると、自分がミスをして冷や汗をかいたことたちよりも、同僚たちとの人間関
感動が強いものほど言葉にならない。 どこがどうなっているのだろう。 反応できなくて誤解を招いてしまったことも多くて、どうしたものかな。 感動経験不足なのかな。
精神って謎だな、という興味も不安もあることから内向的に精神疾患に関連させて日記書いてしまいますけれど、テイストがそれなだけで生活はそんなに深刻でもないです(突然) 苦労してるのも困ってるのも事実ですけれど、生きるのが時々とても大変なのは誰とも同じだよ。
一番大きくのしかかる苦痛を予想して、大きな不安と恐怖に埋め尽くされて、何かちょっとしたことすらも願う事を「無」にする 生きていてより無に近い状態が睡眠なのかな 眠ることばかりを願う自分を思って 病気で何をやっても痛みが増すから収入が無いから体力が無くてすぐ疲れるから痛い寒い眠い…… 引き籠もって動かないための理由が充満して、目覚めて意識があるだけでそれらに押し潰されてつらい ほんの少しの活動も許さない 鬱の時はそんな感じで、喉が渇いても尿意をもよおしても肌が出ている部分が
書いてる間に文章の感じはぐちゃぐちゃになっちゃったけど、考えとしてあることに嘘はないから投げちゃうね。 読み返して直す元気なくなったや。 時系列とか整えるのは無理だな。何年越しで影響して人生してる。 心と脳が酷い目に遭ったと覚えている。 母親が仕事のストレスが原因(と本人は言っている)で体の不調を訴えている。普通なら良くなるように願うところだけど、「薬を飲んで休んだら?」なんて真っ当な事を言っても治まるようなところではない。長期的に苦しんでいて、表情や言葉に出たり抑えたりを
以前「精神疾患が治った!」と大手を振って書き込んだことが恥ずかしいくらい、その後絵も言われん「精神疾患や発達障害でもなきゃ説明がつかない」心理的にも身体的にも重苦しく動けない時期がありました。 ようわからんからこそ病名がないと説明がつかんわと自ら(と言っても医師の診断はある)しぶしぶ病名をつけることを決めたようなものなのに……まぁよい。 通院を再開する前、4年ほど前になるかなあ。その頃は電車で都会の乗り換えを挟んでの片道2時間の通院がとても億劫だったのですが、再開してか
人が人を怒る時の大声や喚き声が空気に振動して空間に固着するような感じが嫌いだ。 ただとうして、耐えるだけでは悟る日もなく、辛抱強く怒りを表さないと届かない人もいて、一度教えれば通じる対象には恐れて怒れず、ただ話を聞けば事が治まるような対象に怒鳴ってしまう。逆効果だ。
決断とお断りのストレス。 ひとつ面談を終えたら一気に疲労がのしかかって、まったく穏やかさを失いました。悶々と過去の損失を悩まなくなったかわりに、今の自分で歩める近い将来をどう判断すればいいのかと頭痛と肩凝りが降ってきました。 闘争か、逃走か(後者) 生きろ。