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第12話 【2カ国目エチオピア②】すれ違う人々「アフリカンジャーニー〜世界一周備忘録(小説)〜」

「朝起きると、宿から一人また一人といなくなる―」

僅か数日だが一緒に過ごした人が去っていく光景は、ほんの少しだけ寂しさを感じさせてくる。

その寂しさは行きずりの中にも確かな時間が存在していたことの証明なのかもしれない。

素敵なMAD VERVET BACKPACKERS HOTEL

エジプトからジュンさんタイシと一緒に訪れたエチオピアの宿「MAD VERVET BACKPACKERS HOTEL」はとても良い宿だった。

建物は地下を含めて3階建てで、2階〜3階にドミトリールームが複数あり、1階は北欧の綺麗なキッチンを含めた突き抜けの2LDKとなっていた。

地下に用意されている無人のBARの冷蔵庫の中には、後払いで自由に飲める瓶ビールや果実酒、お水も用意されてる。

BARの前にあるドアを開けて外に出ると、屋根がついたスペースにテーブルが並べてあり宿泊者はそこでお酒を飲みながら談笑をする事もできる。

中庭もあり日当たりも良い。宿泊者は各々気に入った場所で思い思いの時間を過ごすことができた。

強盗が周りで起こっている現状を踏まえると、危険地帯にあるオアシスのような場所だった。ホテルの中だけは100%安心した気持ちになれたのだ。

建物の作りやサービス内容もそうだったが、そこで働いているスタッフが複数の20代男女だったということもホテルを活気付けていた気がする。

彼らは住み込みでそのホテルで働き、日中には壁にイラストを書いたり飾りものを作ったりと「絵に書いたような青春」を過ごしているようだった。

そのスタッフたちが楽しそうに「自分たちの遊び場」を作り上げている様子が、何より「MAD VERVET BACKPACKERS HOTEL」を明るいものにしていたのだ。

そんなホテルで僕は再会と新しい出会いを感じていた―

7人の日本人達

僕はここで日本人7人と僅かな時間を過ごすことになる。

エジプトに着いて最初の方こそ日本人に出会うことは少なかったが、1ヶ月弱の旅で多くの日本人とすれ違い話しをしてきた。

そして、エチオピアへはそこで出会った2人の日本人と訪れていた。

「MAD VERVET BACKPACKES HOTEL」は名前の通り、エチオピアを訪れるバックパッカーが集結している。

既に述べていることだが、宿泊費を節約したいバックパッカー同士、どうしても宿が少ない地域では場所が被ってしまうことが多い。

「MAD VERVET BACKPACKERS HOTEL」も例外ではなく、僕はエジプトで出会った日本人2人と再会した。

示し合わすことなく異国で再会する「絶妙な偶然」は、旅人ならではな「束の間の喜び」を与えてくれる。

僕等がホテルに到着したときには、再会した2人と新たにそこで出会った人も含めて日本人が7人もいた―

卓を囲む5人の男達

「日本人が大勢集まるという状況は珍しい―」

アジアなど比較的日本人が多くいる場所であれば珍しいものではないが、アフリカという地でこれだけの日本人が同じ場所に宿泊するというのは珍しいことなのだ。

そんなこともあってか、年齢も違えば仕事も出身地も違う僕等は、いつのまにか夜になると地下にあるテーブルを囲み同じ時間を過ごしていた。

ある日、日本人の男5人(2人は所用でいない)で話していると一人が「トランプしたいな」と言い出した。

タイシがトランプを持っていたので、「5人で大富豪をしよう」ということになり、まず各々が育ってきた地域の「大富豪のルール」を確認し何を入れるかを決定する。

「8切り,7渡し,11バック,革命,階段,縛り,スペ3,,,」

大貧民になると全員からしっぺを喰らうという罰ゲーム付きだ。

罰ゲームが「一気飲み」とかでないのがとても良い。しっぺは案外燃える。

一通りのローカルルールを出し合い罰ゲームを決めるという馴染みの流れを経て、ビール瓶を片手に大富豪がスタートした。

実はエジプトにいる時にもジュンさんタイシとは大富豪をしていて、ある程度の実力を僕は把握しており、始まる前にこんな風に考えていた。

「ジュンさんは論理的で強い。ほとんど負けないから要注意。だからこそ、ジュンさんにしっぺしたい。」

「タイシ。僕も上手くないがタイシはもっと弱い。どこかでミスってくれる。うん、勝てる。」

「他の二人は、やり慣れてる感がある。初めてだしとりあえず様子見。」

【ビリにならなければしっぺはない。悪いけどタイシまずは負けてくれ。】

僕の中でタイシに狙いを定めた大富豪がスタートした。

「うーん、何とも言えない手札だ」

配られたカードを見ると、強くも弱くもないという感じだったが5人いるのであればどうにかなると楽観的に眺めていた。
なにより、タイシがいるではないか。そんな風に思い自分のカードに集中する。

一人また一人とカードを場に出していき、巡を追うごとに手札の枚数が均一ではなくなっていく。

そして、始まって何巡かで予想外の事が起きる。

「ポンッポンッ」とカードを連続で出して上がりを決めた人が出てきたのだ。

タイシだ―

タイシが1番で上がったのである。

「まずい…」心のなかで僕は一瞬焦る。

そう思ったのも束の間、僕はあれよあれよとカードが最後まで残り記念すべき一発目の大貧民となってしまったのだ―

容赦ないしっぺ達

「タイシがニヤニヤしながらこちらを見ていた―」

タイシもタイシで「タケさんがいるから大丈夫だろう」という安心があったような顔で、思った通りという嬉しそうなしたり顔である。

敗者である以上、言い訳はできない。

僕は立ち上がり右手を前に出して「しっぺ」を受ける態勢を作る。

そして、僕以外の4人が順番で僕の腕めがけてしっぺを始める。

ジュンさんとタイシとは既にしっぺをしあっている中で、二人は容赦なく人差し指と中指以外を握った手を振り上げ強く振り下ろす。

「パシッ!!」ぐぐっ。

痛がる僕を見てケラケラと、とても楽しそうである。

後はエジプトで一度だけ話したことがあった、タクマさん。そして、エチオピアで初めて出会ったトモキくんだ。

話しをしてある程度打ち解けているとはいっても、二人とはほとんど出会ったばかりで冗談を言い合うような深い関係ではない。

そんな相手にしっぺをするのは、すこし遠慮がちになってしまうのも無理はない。

「本当に良いの?でも、罰ゲームだからごめんね。」

そう言いながら、タクマさんがまず僕の右腕を動かないように握り、申し訳無さそうに余った方の腕を上げる。

「パッシーーンッ!」タクマさんが腕を振り降ろした瞬間、僕の右腕からその日1番の音が鳴った。

申し訳無さそうにしていたタクマさんの、しっぺはジュンさんとタイシ以上の破壊力が込められていた。

「ごめんごめん。大丈夫?」

骨まで響く衝撃で右腕を抑えて少し屈んだ僕に、声を掛けてくる。

しっぺの威力と柔和な言葉が全く噛み合っていないタクマさんの顔を見ると、「痛いしっぺをしてやった」という満足感が滲み出ている。

次のトモキくんも大差のない、偽りの優しさで極悪なしっぺをカマしてきた。

5人の中に、これでこそ罰ゲームだという一体感が芽生えてきて自然と笑いが込み上げてきた。

受けた側の僕も、痛ければ痛いほど笑いが込み上げてくるような変なスイッチが入った楽しさに包まれている。

結局、大富豪では僕が大負けをカマし続け「ごめんね。」と言いながら、全員が過去最高のしっぺをすべく全力で腕を振るう。

そして、腹を抱えて笑う。そんな時間が続いていく―

大富豪以外にも3つほどゲームをしていると、いつのまにか夜中の3時を回っていた。

9時頃にスタートしたはずのトランプを、気づけば笑いっぱなしで6時間ほどしていたことになる。

学生の時に戻ったような楽しさが僕等を包んでいた。

そして、流石にお開きにしようということで名残惜しさを胸にそれぞれが部屋に戻っていく。

右腕がズキズキするからか、沢山笑い心が高ぶってしまったからか僕は眠れずに朝を迎えたのだった―

次々に去っていく日本人達

「エチオピアでトランプして爆笑するとは思わなかった―」

楽しかったトランプ合戦から一夜明け、遂にタイシが一人先にケニアを目指して出発する日となった。

エジプトから色々な時間を共に過ごしたタイシがいなくなるのは、とても寂しいことであったが「旅である以上仕方のない事」である。

「とにかく無事でいてくれよ。」そう思いながら見送った。

そして、一人また一人と宿から日本人の姿がなくなっていく―

静まり返るMAD VERVET BACKPACKERS HOTEL

「朝早い時間に出発していく―」

同じ宿を出発していく人たちはバスの関係上、朝の5時前に出発する人が多い。

そのためか、朝起きると昨日まで誰かが居たベッドの上から人が居なくなっている。

朝起きて殻になっているベッドを見て、「居なくなった」ということを強烈に感じるのだ。

夜に別れを告げ次の日の朝にはいなくなっているという状況は、より一層寂しさを募らせるものだった。

トランプをした3日後には、その時にいた日本人がジュンさんと僕だけになってしまっていた。

あれだけ、活気づいていたホテルがあっけからんとした静けさに包まれているように感じたのだ―

杜切れやすく交わりやすい

「旅は基本的には一人である―」

多くの旅人に共通することだと思うが、旅は基本的に一人で行動するということになる。

旅人のスタイルによって異なることはあるだろうが、一人で日本を出発したのであれば「基本は一人」であることが多い。

その中で出会い、気が合えば行動を共にするということはあっても、それはどこかですれ違い「また一人に戻る」はずだ。

エチオピアで出会った日本人たちも、それぞれが一人旅に戻っていった。

再会と新しい出会い、そしてすぐに訪れる別れは「行きずりこそ旅である」ということを強く僕に認識させてくれた。

そして、もう一つ気づかせてくれたことがある。

【杜切れるからこそ、交わりあう】

旅は人だけでなく、出会う風景やその時の自分も全て「杜切れてしまう」という前提で交わりを見せる。

杜切れることが決まっているからこそ、交わっている時間は濃いものになるのではないだろうか。

おそらく、今回の旅で出会った日本人と日本で出会ったとしても「同じような時間」を過ごすことは出来なかっただろう。

旅という「杜切れやすい出会い」がそうさせてくれたのかもしれない。

「Easy come Easy go」という言葉とは少し違う。そんな出会いを僕はエチオピアで感じていた。

共有した時間は思い出となり、僕の思い出の中で時折「交わりをみせる」だろう。そして、また「杜切れていく」はずだ。

もしかしたら、その思い出が「どこかで重なり新しい一コマ」を作り出してくれるかもしれない。

標高が高いアディスアベバの暮れやすい空を眺めながら、僕は自分なりの【旅の機微】を感じていた―

◆次回
【遂にマダガスカルへ上陸。ジュンさんと別れ一人原付きの旅へ―】



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