見出し画像

【元実習生との再会で涙腺完全崩壊】2023年6月ハノイ⑧3日目最終日part3

楽しいハノイ旅行だった。私がハノイの空港に着く頃にはMessengerアプリで楽しそうな笑顔あふれる写真が次々と送られてきた。

(みんな良い笑顔、本当に楽しそう)

登場人物

私(キク):技能実習生の日本での生活指導員。そして採用面接でハノイへ6回出張を重ねるうちにすっかりハノイのことが好きになった

ダオ:元技能実習生。現在は違う日本企業に転職をして特定技能ビザで就労中、私のハノイ訪問と偶然にも同じ時期にハノイへ一時帰国中であった

チャン:元技能実習生。現在は帰国して日本へ行くことを希望するベトナム人相手の日本語学校の先生

トゥアン:元技能実習生。寮の同部屋の先輩実習生からいじめを受けていた

※文中に出てくる「元技能実習生」とは全員が過去に私が採用したベトナムの若者のこと

レストランHOME

私達が行ったレストランは中庭のランタンが美しく、だからこそ食事をしようと選んだが当日は雨。残念ながら室内で食事をすることにした。レストラン側も円卓のある個室に案内をしてくれた。

(飲物はもちろんビア・ハノイだ)

全員でビア・ハノイで乾杯をした。嬉しいモッ・ハイ・バー・ヨー!が何度も繰り返された。

(このレストランの生春巻きは皮が固めで食べやすくて本当に美味しい)
(美味しいベトナム料理だった)

春巻きや串焼き、エビや水牛、フルーツ、全部が美味しかった。

リモートでも参加

今回は3人の元実習生が私に会いに来てくれた。そして今も日本で実習生から特定技能へビザを変え仕事を頑張っている元実習生もリモートで参加をしてくれた。宮﨑から一人、広島から一人、私たちの楽しそうな雰囲気が伝わったようだ。

「次は私ね!私がベトナムへ帰ったら、キクさんも来てください!一緒にご飯を食べましょう!」と上手な日本語で誘われた。

(この時の彼女はボーイフレンドとのデート中だったが「私もみんなと一緒の方がいい!」と叫んでいた)

そしてリモートでも、「キクさん、会社の〇〇さんはガールフレンドができましたか?」
やはりタクシーの中と同じ質問が繰り返された。誰もが会社の人達を懐かしんでいた。

(左からチャン・トゥアン・ダオ)

話が盛り上がりすぎて私は料理のことをほとんど覚えていないくらいだ。

(相変わらずみんなの荷物持ちのトゥアン)

レストランで食事を終えた私たちは湖畔の公園を散策しながら話をした。かつての仕事のことから今の仕事のこと、仲が良かったパートさんのこと、恋人のこと、今でも日本へ戻り仕事をしたいか、本当にたくさんの話をした。

(トゥアンのシャツのセンスで盛り上がってた。どこで売ってるの?誰が選んだの?って)

それは歩き疲れてカフェで休憩をしても、旧市街に戻って散策をしていても私たちの話は止まらなかった。

突然の涙

私たちが旧市街へ戻ってホアンキエム湖へ歩いている時だった。
『技能実習生制度は悪く言われることが多い。だったら何で今の俺はこんなに幸せな気分なんだ?』
私はそう思った瞬間に涙がこぼれた。それこそ急に無意識に溢れ出たというレベルで。

(泣いた後なので私の目は真っ赤だ)

私のような日本での生活指導員は、家財の故障、病気の世話や喧嘩の仲裁、ご近所トラブルの謝罪など真っ先に面倒事に巻き込まれるから嫌な時もある。でも私は【俺だけが実習生の日本のお父さんだから】と心に決めているので 嫌々ながら 当然のこととして実習生の元へ駆け付けていた。

特にこの三人が働いていた頃はコロナ禍の仕事量激減で生活面でのトラブルが続出、私はその度重なる問題解決に駆け回っていた時期だった。

涙を流しながら私は思った。【みんなは忘れていなかったぞ、あの頃の俺を覚えていてくれたぞ】って。

今回の私のハノイ訪問に合わせて会いに来てくれたこと、当時と変わらない情で接してくれたこと、何よりも私を過ぎ去りし日々の上司ではなく、今現在の真の友として接してくれたこと、みんなの優しさに心が満たされての涙だった。

(ハノイおなじみの場所、三人の優しさに触れた私は本当に良い気持ちだった)

「キクさん、泣いた?泣いた?なぜ?うれしいから?」とトゥアンがからかってくる。
「当たり前だろ、お前に会えてうれしいからだろ!」と彼の肩を拳でどつきながらも更に涙があふれていた。もう涙は止まらなかった。ダオもチャンも大喜びで私をからかってきた。

ホアンキエム湖畔を散歩

あっという間に別れの時間が近くなってきた。私たちは時間が許す限り週末の歩行者天国のホアンキエム湖周辺をブラブラしていた。

(みんなで写真を撮るが何故か私だけ上下逆、でもこの方が合ってると思うのだが)

ホアンキエム湖畔、値段が観光地価格で超絶高いアイスキャンディーをトゥアンが買ってくれた。みんなで写真を撮り、良い時間が流れていた。

(ホアンキエム湖畔で)
(湖の写真を撮るふりをして少し遠くから3人を見ていた、本当に我が子のように思えた)

湖畔の周辺道路は散歩中の人、食事をする人、ランニング中の人、イベントステージからは爆音が流れていた。本当の意味で歩行者天国だと思った。そこには何でもありのハノイがあった。

(帰りたくなかったー)

道路脇の店で私がサトウキビジュースを飲んで休憩していると、トゥアンが豚のつくねとマンゴーの料理を買ってきてくれた。

(初めて飲んだサトウキビジュース、まさに砂糖水の味がした)
(豚のつくね、マンゴー、フォー?、香草、それらを一緒にフォーの皮?で巻き、手前のソースをつけて食べる料理だった)

「キクさんこれ(好きでしょ)!」とトゥアンが私の好物を覚えていて喜ばせようと買ってきてくれたのだ。

(私が好きなのはこれ、実習生の寮でよく食べていた)

トゥアンが買ってきたものとは違い私が好きなのは豚の耳とマンゴーを和えたサラダなのだが、勘違いでも私はトゥアンの優しさを感じ、そして彼の少し間抜けなドヤ顔を見たら「これじゃねーよ」とは言えなかった。

タクシー

ホテルに荷物を取りに行き、とうとう別れの時となった。ダオがタクシーを予約して金額交渉までしてくれた。チャンが泣かないよう、笑って別れようと言ってきた。トゥアンは「キクさん、泣いた?」と私をからかい、泣かせようとしてきた。

私はくどいほど再会の約束をしてタクシーに乗り込んだ。そしてその後がダメだった。もう涙があふれてあふれて止まらなかった。涙が流れ続けるこということは三人の優しさに触れている証だと思った。私は車内で嬉しい涙と寂しい涙を流し続けた。

最後に

ダオへ、

(ダオのおかげでみんなに会えた)

みんなに連絡を取ってくれて本当にありがとう。あなたのおかげでチャンとトゥアンに会えました。たくさんのお土産もありがとう。スーツケースが壊れるかと思ったよ。食事代も全部払ってくれてありがとう。私がどれだけ断ってもあなたが払いましたね。自分で決めたら全く考えを変えないあなたの頑固さを私は思い出しました。日本でまた一緒に食事をしましょう。

チャンへ、

(本当にきれいになったね)

遠い所から会いに来てくれてありがとう。雨だから暗くなる前に帰るねと言いながらも結局は最後まで一緒にいてくれてありがとう。あなたの日本語の口癖の『でもねー』が聞けた時はうれしかったよ。あなたが日本で踏み倒した携帯電話料金の督促状は反面教師として後輩実習生の教育資料に使いました。そして本当に奇麗になったね、あなたのことを好きだった会社のKさんに写真を見せたら喜んでいたよ。

トゥアンへ、

(また一緒に働こう)

あなたに会えて本当に良かった。昔と変わらない笑顔で接してくれてありがとう。あなたが私に勧めてきた蛇のおもちゃのお土産を買わなくて正解でした。あんなもの誰が喜ぶんだよ。それからあなたが工場長の名前を忘れていたことは今も内緒にしてあります。同棲中のガールフレンドと幸せになってください。もし彼女にフラれて日本で働くことがあれば私は何よりもあなたを全力で支援します。

この記事が参加している募集

この街がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?