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大学4年間を振り返る_1・2年生編

今日卒業式があり、現在通う大学を卒業しました。もっとも僕は大学院に進むので「学生終了!これから社会人!!」のようなめちゃくちゃでかい感慨は特にありません。それでもなんとか大学生活を生き延びることができたことについては人並みの感慨を持っています。

先週あたりに多くの大学が卒業式をやっていたみたいで、Facebookのタイムラインとかが「卒業。まじ感謝。あざす」的なノリの投稿で溢れてました。その様子を見ながら「俺も同じことやるかあ」と思い立ちました。

これから2回に分けて自分の大学生活をレビューします。こんなの誰が読むんでしょうね。でも自分で書いて勝手にエモくなれば、それでいいです。

大学1年生_変にトガる

僕は浪人して第1志望の大学には落ち、第2志望が第3志望かよくわからない現在の大学に入りました。浪人時代に15キロくらい太った上にメガネをかけて、絶望的なファッションセンスの持ち主であった僕は、客観的に見れば明らかに不審者であり、入学早々に大学生の5軍に転落することになりました。

普通の大学生ならおしゃれな服を買ったり、髪を染めたり、友達をたくさん作ったりして、5軍から1軍へと上がろうと懸命に努力するのですが、僕はなぜか、当時変なトガり方をしていたので、クラスの人たちに馴染もうともせず、粛々と勉強してよい成績を取ることに汲々としてました。僕のその時の関心といえば、「とにかく賢くなる」でした。それ以外、何があろうかという感じでした。

今思えば、こんな目標、マジくだらないです。くだらないですが、浪人までして第一志望の大学に入れなかった現実を乗り越えようとするべく、必死だったんだと思います。

その中でもたまたま入ったサークルには恵まれ、大学1年生の時はサークルの人たちと行動することが多くなりました。そのサークルは主にディスカッションをするサークルで、結構教養とか勉強とか一般的な大学生が鼻であしらうものを尊重する感じのサークルだったので、当時、変なトガり方をしていた僕としてもやりやすかったです。

大学1年生_大学に来たことを実感

その中でも同期の女の子にパスピエというバンドを教えてもらったことは僕が大学に来たことをはじめて実感する出来事になりました。僕はこのパスピエが好きになりました。

自分がそれまで全然知らなかったものを教えてもらい、それが好きになる。有り体にいえば、自分の世界が広がりました。人との交わりの中で新しいものを知り、自分の人生を豊かにしていく。大学ってこういう営みができる場所なんだと割とウキウキしました。

パスピエを知り、大学に来たことを実感した僕もやっぱり片道2時間の通学は結構キツく、真面目に授業に出席しようとする僕にとっては朝起きるのが結構プレッシャーでした。通学2時間の消費エネルギーはえげつなく、クソデブだった僕はすぐに高校時代の痩せ型フォルムへと戻りました。

大学1年生_一人暮らしを始めて疲れる

なんとか授業を欠かさず出席していた僕ですが、5月のとある金曜日に家に帰ってきた時、服を着替えながら、寝てしまいました。

これを見かねた母が「こんなんでは勉強にならん。一人暮らしせよ」となり、大学の最寄り駅で人生初の一人暮らしをすることになりました。後から聞いた話なのですが、この時、同居していた僕の祖父の認知症が進行しており、母親も介護に集中したいから僕には一人暮らしをしてもらおうということになっていたようです。

1人暮らしを始めた頃は、友人に僕より遠くから真面目に大学に通っている人がそこそこいたので、その人たちに「申し訳ないなあ」と謎の遠慮を発動させ、1人暮らししてることを周りにあんまり言わなかったです。これまた、今思えばアホみたいです。

それにしても一人暮らしを始めたおかげで、通学往復4時間くらいを浮かすことができ、僕は「ヤッホイ」となりました。浮いた時間はサークルの部室で本を読んで過ごしました。あんまりお金もなかったので、主に新書を買って読んでいました。

とまあこんな感じでドタバタと一人暮らしを初めて、「家事きちい」とか「意外と寂しいぃ」とか「ご飯つくんのめんどくせえ」とか言っていたら、7月になり、大学初めてのテストに怯え、わちゃわちゃやっていたら夏休みとなりました。

相変わらず関わるのはサークルの人たちばかりでしたが、みんな知的に面白い人ばかりだったので、特にどうも思いませんでした。夏休みはサークルのOBに会うために広島や京都に行ったりとか、映画館で小学生にどう考えても圧倒的に胡散臭い算数の教材を売りつけたりして、日銭を稼いでいました。

あと他に議員インターンもしてました。これはある国会議員の人の事務所で働いてみよう的なノリの活動です。大学での専門は政治学だったので、やっぱり実際の政治がどんな感じになっているのか興味がありました。

なのでとある団体を通じて申し込んだのですが、結果的になんとも言えない微妙な経験となりました。霞ヶ関にあるお役所で官僚の人のお話を聞いたり、国会議事堂の食堂でご飯食べたり、議員さんの地元の活動を一緒にやったりしたのですが、特に手応えはありませんでした。

なんか政治に関心あるけどどうやって関わっていったらいいのかわかんねえと思うことになりました。この時はまだわかっていなかったのですが、政治にいかに関わっていくのかは僕の大学生活におけるテーマとなります。

大学1年生_インターンを始めて調子に乗る

秋学期になり、大学にも慣れてきました。知り合い少なくね?さすがにまずいか…と思った僕は所属コミュニティ拡大運動を始めるのですが、正直今から学内に知り合いを作ったりとか、新しいサークルに入ったりとかは結構キツイ風味があったので、僕は学外に目を向けました。

その時の僕は間違った方向で意識が高く、普通のバイトとかする気になりませんでした。なのでインターンとやらに応募することにしました。最初に応募したのは旅行系のベンチャー企業です。僕のようなテンションの人間はベンチャーとか対極にあるように思えましたが、サークル楽しいんすよぉ的なノリの話をしたら受かりました。今思えば謎です。

大学1年生で長期インターンする人はさすがにうちの大学でも珍しいので、変なトガり方をしていた自分はなんとなく「俺ってすごいんじゃね?」的な謎の考えに取り憑かれてました。

しかし、インターン先は特に面白くはなく、与えられた作業を淡々とこなしてばかりでした。インターンをやっている事実から「俺ってすごいんじゃね?」となる一方で実際に会社でやっていることは大したことじゃなかったので、そのギャップに葛藤しました。

しかも、その会社はスタートアップらしく結構なブラックで、社長とか毎日どれくらい働いていたのか。今考えれば恐ろしいです。この時点で僕は結構「資本主義ヤベえ」となりました。「就活とかやんのかなあ」的な億劫さを感じ始めたのもこの頃です。

1年生の最後の方は怒涛の教習所漬け生活となりました。教習所はとてもいいと思い出とは言えず、もう二度と行きたくないのですが、星野源の曲を聴きながらがんばりました。

うわっつらだけ見れば、授業に真面目に出席し、サークルやインターンとかが充実してるっぽいのですが、内心はなんかちげえなと思ってました。かといって何をすればいいのかはよくわからず、大学1年生は結構もやもやしたまま、終了となりました。

大学2年生_北朝鮮への興味が顕在化する

大学1年生から大学2年生にかけての春休みに僕は「やりたいことが必ず見つかる合宿」的なのに参加しました。まあ字面だけを見れば、キンコン・西野みたいな人が開いてそうな明らかにやばい系のヤツに思えるのですが、結果的にはそうではなかったです。

そのワークショップ的なやつでやりたいことが見つかったわけではなかったのですが、全国からモヤモヤしながらも真摯に自分の人生に向き合っている人が集まり同世代との刺激的な出会いに恵まれました。こうして僕の視界は爆広がりすることになりました。

その合宿で「〇〇しないといけない」とか「〇〇はやっておくべき」とか世の中にあふれている文言はぜんぶ思い込みで、そんなのが自分に当てはまるわけではないんだぜ的な考え方ができるようになったのはよかったです。

あとは割とやっぱり自分の好きなことをやっていく方が人生うまくいく感じなんだろうなと思いました。まったく確信は持てなかったですが。

そんな心持ちの中で大学2年生に入ったのですが、学内での活動は相変わらず授業とサークルが中心でした。この頃になると、僕はあるものに関心を持つようになります。それが北朝鮮です。

正確には大学1年生の時に北朝鮮の授業が面白いと感じていたのですが、大学1年生の時は面白いなと思いつつも、目の前の雑踏に飲みこまれていて、そんなに勉強することもなかったです。

ですが、さっき言った「やりたいことが必ず見つかるワークショップ」でできた友人と話していた時、なぜか北朝鮮の話題が出て、僕は1年生の授業で習った知識を意気揚々と話していました。

その姿を見た友人は「めっちゃ楽しそうに話すな。北朝鮮に結構興味あるんちゃうん」と言ってくれました。多分、この言葉がなければ、自分の中にある北朝鮮の興味に気づくことはありませんでした。

大学2年生_研究者に憧れる

というわけで大学2年生が始まった時、自分は「結構北朝鮮に興味があるんじゃね?」的なマインドでスタートしました。なので北朝鮮を主なテーマにした少人数授業を履修することにしました。

この少人数授業でほぼはじめてのレベルで大学の先生を間近で見ることになった僕は、割とかっこいいな的な憧れを持つことになりました。その先生は北朝鮮について文字通りなんでも知っていたからです。

しかも、当時(2018年)は久しぶりの南北首脳会談が行われたり、初めての米朝首脳会談が行われたりして、目の前で北朝鮮をめぐる情勢が大きく動いてました。そんな世界情勢の中で各種メディアで活躍する研究者ってかっこいいとさらに思いました。

しかも、当時の僕はさっきも言ったように「とにかく賢くなる」というくだらない目標を持っていたので、研究者はその理想を達成できる職業なのではないかとも真剣に考えてました。研究者という選択が僕の進路選択に突如現れました。

大学2年生_旅行先で色々トラブル

このころは旅行もたくさん行ってました。主に一人旅です。広島や沖縄に一人で行きました。一人旅は初めての経験でしたが、日本なのでなんとかなりました。自分の思いがけない行動力とか一歩踏み出す好奇心、孤独の中での自省力などなど一人旅で感じられる一通りのものを初めて体験しました。

この頃にはブログをはじめていたので旅行の感想とかちゃんと書いてました。ブログをはじめた経験は刺激的で、発信することや文章を書くことが楽しい習慣として身に付いてきたのはこのころでした。

夏休みにはサンフランシスコにホームステイをしに行きました。知り合いのつてをたどり、格安で1人でサンフランシスコに行く経験はまじでラッキーでした。

ステイ中にいきなり交通事故にあったのは割と衝撃的でした。後部座席に座っていたらマジで死んでいたのではないかと思える風味のやつでした。これ事故車です。

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そのころから僕の座右の銘は「メメント・モリ」となりました。これはラテン語で「いつか死ぬことを忘れるな」です。事故を経験して、ありきたりですが、いつ死ぬのかわからないから時間を大切に生きようと思うようになりました。

明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ ーM・ガンジー
(Live as if you were to die tomorrow.Learn as if you were to live forever)

アメリカから帰ってきてからはまた旅行に行きました。おじさんと九州を旅行して、そのあと友人とソウルに行きました。北朝鮮興味あるぜ的なノリを醸し出していた僕は、38度線近くまで行って、実際に北朝鮮を眺めました。あれが北朝鮮か的な感じで結構感動しました。やっぱり足を使って何かをみに行くことはとても大切だと感じた時期でした。

ソウル旅行は帰りの飛行機に乗り遅れるというクソみたいなハプニングがあったのですが、一緒に行った友人を空港に置き去りにし、僕だけキャンセルが出た便に乗って無事に帰ることに成功しました。

大学2年生_ゼミに落ちてオワオワリ

そして秋学期です。2年生の秋学期ともなると、友人たちはきたる進路選択に向かってソワソワし始めます。まずは年明けにゼミの選考があります。僕は成績もよく、北朝鮮を中心に東アジアの国際政治に結構関心があったので、普通に受かるだろ的なノリでいました。俺を取らないで誰をとるのかって感じで斜に構えてました。

結果から言えば、普通に落ちました。落ちてすぐは正直意味がわからなかったです。勉強熱心にやっていたのは事実だし、成績もよかったので(2回目)僕が落ちるとかあり得なかったです。課題もちゃんと出してました。面接もそれなりにやりました。でも落ちました。

勉強している感じをゴリゴリに出していた僕がゼミの試験に落ちたのです。こんなに恥ずかしいことはありません。「とにかく自分が賢くなることが正義なんだ」的なノリで大学生活を送っていた自分がとても恥ずかしくなりました。

実はそのゼミ選考の結果発表の日から四国に一人旅に行くことになってました。朝空港で落選の画面を見てからすぐ飛行機に乗らなければいけませんでした。旅行中ずっと死んだ顔をしてました。2月の四国はまだまだ寒かったです。寒さが悲しい心をさらに冷たくしました。桂浜の坂本龍馬にすがりたい気分になりました。あんなに悲しい一人旅はなかったです。

でも落ちてしまったので仕方ありません。奮い立たせて、2回目のゼミ選考に臨みましたが、これも落ちました。特に興味もないゼミを受けたのですから、落ちて当然だなと思いました。2回目は全然落ち込みませんでした。

大学に入ってから細かい失敗はたくさんしてきましたが、ゼミに入れないのは、なかなかメンタルにくる失敗でした。ゼミに入れなかったことで「研究者いいなあ」と思っていた僕の将来は暗澹たる感じになってきました。

3・4年生編に続く


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