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Bチームで過ごした日々。その後

七転び八起き。

失敗の数、挫折した回数が問題ではなく、挫折するたびに這い上がる力、折れない心、負けない強さ、立ち上がる勇気。

完璧な人生、人などどこにも存在しない。

綺麗とは傷跡がない事じゃない。

傷跡の多さが人の人生を綺麗にする。


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高校バスケを引退して自分の掲げた目標

"高校バスケ3年間は絶対やめない"

を、達成する事が出来たのだ。

どこか出し切って、達成感すら覚えた僕に待ってたのは、高校卒業後の進路だった。

その先のビジョンやイメージが全く湧かず、20人居たバスケ部3年生の中で、進路が決まって無いのは僕だけになってしまった。

就職する仲間、進学する仲間、親元を離れる仲間、みんなの進路はバラバラだった。

沢山の選択肢の中ですごく悩んだが、僕の中に1つだけ明確に感じた想いがある。


まだバスケがしたい


安里先生と進路について何度も相談し、関東や関西、九州や地方の大学を紹介してもらい協議していく中で今の自分に合った進路を決めた。

関東や関西の強豪校でもなく、九州の上位チームでもなく、僕が決めたのは地方の大学に進む事に決めた。

安里先生の推薦もあり特待生で入学をさせてもらう事になった。

周りから心配されたが、最後の合格者として無事卒業部員20人の進路が決まったのだ。

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初めての挫折

こうして晴れて大学生になった僕は新しいステージへと進んだ。

練習の質、フィジカル、自主練習の量。
地方の大学とはいえ何もかもが新しい、そして沢山の壁にぶつかった。

体の強さや、技術がまだまだ追いついてない自分に最初は自信を無くしてしまった。

幸い、Aチームに入れてもらい実力ある先輩達に揉まれながら成長させてもらう事が出来た。

試合も1年生ながら毎回とまではいかないが、出場機会にも恵まれて、振り返れば良くしてもらった記憶がある。

そんな中、予期せぬ形で大学を辞める事になる。
家庭の事情で大学を後にしなくてはならなくなったのだ。

大学のコーチやチームメイトに話をして、恩師であった安里先生にも連絡をした。

先生「おー!しんじ!元気か?どうした?」

僕「実はこういう理由で大学を辞めなくてはならなくて…」

僕「せっかく、推薦もしてくれたのに申し訳ないです」

先生「そうか。それは仕方ない話しだな」

先生「お前、今後どうしたいのか?」

僕「まだバスケがしたいです」

先生「分かった!また連絡する!」

安里先生の紹介と推薦により沖縄にある専門学校へ編入する事になった。

大学に進学してうっすら芽生えたプロになりたい気持ちは、この挫折により折れてしまった。

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初めての全国大会

安里先生の紹介と推薦もあり沖縄県内の専門学校へ編入する事が出来た。

編入先の専門学校は勉強はもちろんの事、スポーツに力を入れて、特にバスケットボールに力を入れてたのだ。

とは言っても専門学校。

あの頃の質と量に勝る事もなく、刺激は弱かった。

バスケができる環境に感謝しながら仲間達と切磋琢磨バスケと授業に励んだ。

初めての県内での大会には安里先生の姿があった。
帰ってきた僕の事が気になったようで様子を見に来てくれたのだ。

大会は無事優勝する事が出来た。
地元の新聞紙にも取り上げてもらえた。

試合後、安里先生に挨拶しに行くと叱咤激励も含め沢山のアドバイスを貰った。

バスケができる環境に改めて感謝した。

相手を寄せ付ける事なく優勝した僕達は全国大会の切符を手に入れた。

カテゴリーは違えど人生で初めての全国大会に出場する事になった。

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準優勝

全国大会に向けてみんなの指揮は上がり、チームとしても成長していった。

大阪にて開催された全国大会。
予選から追い上げる展開が続く。

予選を全て逆転にて勝利し、決勝トーナメントに進む事が出来た。

初めて闘う全国大会。
自分がこんな舞台に立つとは夢にも思ってなかった。

決勝トーナメントに進むと全国の常連校が揃ってた。

またしても予選同様、僕達は苦戦した。

しがみつきながらようやく掴んだ勝利。

気づけば僕達は決勝戦に駒を進めていた。

全国の決勝戦に僕は立つ。
カテゴリーは違えど、そんな舞台は今まで経験のない僕にしてみたら夢舞台。

計り知れない緊張は初めての事だった。
最善の準備をして、翌日に控えた決勝戦に臨んだ。

何をしても歯が立たないのは初めてだった。
相手はプロ養成校の常勝軍団だった。

最高の舞台でまたしても心をへし折られたのだ。

人生は、うまく行ってると思うたびに現れる壁。

最高の舞台で経験した屈辱的な敗北は僕の中にある気持ちを燃やした。

挑戦する事の楽しさをここで覚えた。

初めての全国大会は準優勝で終わった。

もう一つのところで手が届かない感覚は高校最後の大会と同じ感情を生んだ。

完璧じゃない自分を見つめ直すキッカケになった。

最高の舞台で最高の経験。

悔しいが胸を張って帰った。

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なにかを追いかけてると大きな壁がやってくる。

壊れない壁はないと思ってる。

"絶対に壊されないであろうと言われたあのベルリンの壁でさえ壊れる日が来る。"

僕の好きな言い回しの一つ。

壁が素手で壊れないならハンマーを使えばいい。
ハンマーで壊れないならドリルを使えばいい。
ドリルが使えないなら?

問題は道具ではなく、壊す方法、打開策を考える。

時間をかけて壊すのもいい。

壊れない壁は一つもない。


急がば回れ。


新城 真司 #40

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