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野望ダイヤモンド

2024年、明けました。
今年もよろしくお願いします。


新年というと一年の目標を発表させられたり、抱負を語らさせられたりすることが多いが、私はあまりこういうことをしないで生きてきたタイプだ。というのも私は常に「明日死ぬかもしれない」と思って生きているからだ。明日、というか次の瞬間死ぬかもしれないのだから「今年の目標」なんて悠長なことを言っていられない。365日もあると思うな、である。


なぜ私がこれほどまでに刹那主義的になったのかには、実はしっかりエピソードがあるのだが、全世界の人に公開しているこのような場所で語るには些か憚りのある内容なのでいつかここの記事をまとめてエッセイ本にでもするときに特別書下ろし! みたいな感じで収録したいと思う。乞うご期待。


さて、話を戻して「今年の目標」的なことだが私はいつも「今年も生き急ぎ」だと思っている。「思い立ったが吉日」で「やりたいことやったもん勝ち」精神で2024年も元気に生き急いでいきたい。私は目標を立てるのは好きではないが、野望は持つべきだと思っている。今回はそんな野望のお話。


野望。英語で言えばAmbition。
クラーク博士の「Boys, be ambitious.」とかモーニング娘。の「Ambitious! 野心的でいいじゃん」とかのソレである。大志とか野心とか呼び方は色々あるけれど、私は「野望」と呼びたい。というのも、私が「野望っていいな」と思い始めたきっかけは西修氏による漫画『魔入りました!入間くん』でアメリ会長が語った「野望論」に感心したからである。彼女は「理想と野望は違う」と語り、もっとお前の欲を見せろと真っ直ぐ問いかけてくる。「こうだったらいいなあ」ではなく「こうするのだ」という意志。結局人間の原動力は欲であると思っているので、このシーンを見て私はアメリ会長のことが大好きになってしまった。


どんなに小さかろうが、確かな欲を抱いている人間は強いと思う。むしろ、小さい欲のほうがぎゅっと圧縮されてできたダイヤモンドみたいに強くて硬くて美しいような気さえする。どうしても譲れない、どうしても掴み取りたいそれを大切にできるのは、とてもとても大事なことであると思う。


(私がこのように、強い意志を持つ人の心臓にダイヤモンドが刺さっているように感じるのは、友人が言っていたすてきな言葉によるものだろうなと思っている。ここで全人類に向けて紹介したいくらい、とても大好きな言葉なのだけれど、これは私が友人から勝手に受け取ったお守りみたいなものなので敢えて紹介しない。あなたにもきっとそういう何かがあるでしょう。人は皆、見せるものと見せないものを選択して生きているということを忘れてはならないと思う)


よく「やりたいことだけやる」とか「やりたくないことはやらない」とか言うけれど、私は私の小さなダイヤモンドに従って生きたいと思っている。だから、そのために必要なことならやる。いやとか好きとかは関係ない。本当に一番大事なものを見誤るな、という気概。


過去の自分の発言や行動と矛盾するときもあるし、「思い立ったが吉日」と言いつつ後に回すこともある。でもそれらは、すべて「野望を実現するため」なら私の中ではブレていないのだ。選択肢を前にしたとき、自分の野望を試金石にして次の一手を決めていく。一見、「どこが刹那主義なんですか! 早速『いつか』の話をしていますよね!?」と言われるかもしれない。けれども、それでよいのだ。たしかに、明日死んだらエッセイ本は出ない。しかし、そもそも本は一日じゃ作れない。野望の方向へ、毎日しっかり歩くこと。これが続けられれば私の生き急ぎは成功していると思っている。
(それにまあ、人生アップデートが大切だし、発言や行動が変化していくことは当たり前のことではある)


やりたいことを本当にやるには、本当に勝つには計画がいる。私は、もしも明日いきなり死んでしまうとしても、その道中を歩いていたいと思う。そして、その道中に現れることならいちいち目標なんて立てずに片っ端からクリアしていくだけである。だから、私は目標を立てるのが苦手。強いて言えば「できること全部やる」である。


目標はないけれど、好きな言葉はいっぱいある。中でも、年始にババンと発表するシチュエーションでそれっぽいのはこのふたつだろうか、というものをご紹介して今回は終わりとしたい。


今年も「ケセラセラ」と「カルペディエム」で頑張ります。



おしまい

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