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敬語で話す

私は敬語を話すのが好きだ。
まともな社会人経験が乏しいのでビジネス敬語をビシバシ使いこなせるかというとそうではないが、一般的なレベルの敬語を用いて他人と会話するのが好きだし、心地よく思っている。こういう人は少なくないのではなかろうか。


私が敬語で話すことを楽に感じる要因の一つとして「幼少期から大人に囲まれて育ってきた」ということが挙げられるかもしれない。私は一人っ子で家には両親しかおらず、しかもイトコもいないので身内に年の近い者がいなかった。(従って、今後の私には喪主ラッシュが訪れることが運命づけられている。今回の話とは何の関係もない蛇足である)


それから、両親の友人たちによく遊んでもらっていた。スポーツやアウトドアなど遊ぶことが好きな親なので、そのコミュニティに着いて行き、大人たちに遊んでもらうことが多かったのだ。そのためか、今でも私は年上と話すほうが得意だ。街で立っているだけでおばあちゃんに話しかけられがち。アメちゃん貰いがち。まあこの頃は大人に囲まれているとはいえ、私は圧倒的子どもゆえ敬語を使って会話していたわけではないと思うのだが、それでも「年上と話すほうが楽」という感覚は「敬語のほうが楽」という感覚に繋がっていると思う。


敬語と私に関していえば、欠かせないエピソードがある。
私は小学3年生の頃から中学3年生の頃くらいまで、ダンスを習っていた。小学校の運動会でダンスをやったときに「なんかこれ面白いかも」と思ったのをきっかけに、地元のスーパーの上にあるカルチャースクールに通い始めたのだ。学校でいえば転入生のようなかたちでダンススクールに加わった私。元々スクールにいた子たちはもちろんすでに友人関係であるし、そもそも同じ小学校に通っているらしい。私はというと、小学校も違うし正真正銘の初対面だ。めちゃくちゃの他人である。


しかも、大人な言い方をすると「属性が違う」といった感じ。オシャレが好きで、髪を染めて巻いていて、ネイルもしていて、ラブ&ベリーをしている、そんな女の子たちだった。一方私はラブ&ベリーはしたこともないし、今後もする予定はないし、家でずっとデ・ジ・キャラットのアニメを見ているような子どもだった。どちらが悪いわけでもないが、まあダンススクールという場においては私のほうが異分子であるのは言うまでもない。


そんなちいちゃい私は彼女たちに話しかけられたとき、敬語で受け答えをしていた。当然である。だって全然知らない人なのだから。いきなりタメ口をきくのは失礼である。もしかしたら、嗜好の違いを肌で感じ取っていたのかもしれない。「敬語じゃなくていいよ!」そんなことも何度か言われた気がする。それでも、なんだか、私は敬語がよかった。この人たちにタメ口をきくのは、今じゃない気がする。もう一度言っておくが登場人物はみんな小学3年生である。そのあとも何度か「敬語じゃなくていいよ!」と言われたけれど「敬語がクセなんです」と言って乗り切った。フルーツバスケットを読んでいてよかったと思った。


結果、私は6年間通ったダンススクールで親しい友だちはひとりもできなかった。
でも、正直全然気にしていなかった。そのまま6年続けていることがその証明である。当時の私は「ダンスを習いに行っているのだから、踊れればいい」と思っていて何も気にしていなかったのである。改めて振り返ってみると、どんだけ強靭なメンタルなんだ。このときからすでにこんなにメンタルが強かったのか。我ながらアッパレ!である。しかし、自分も大人になって当時の親の気持ちを想像するなどしてみると、心配しただろうなあと思う。こんなわかったようなことを言っているが実は本当に最近そう気づいた。去年くらいに。
でも、特別仲が悪いというわけでもなく、彼女たちの可愛い爪では開けられなかった缶ジュースのプルタブを私が代わりに開ける、くらいの交流はあった。単に互いにとって(少なくとも私にとって)この距離感が最適だった、というそれだけのことである。


ここで断っておきたいのは、何も敬語で話しているからといって、仲良くなる気がないわけではない。ということだ。
ダンススクールでは友だちがひとりもできなかったが、私には互いに敬語で話しながらもとても親しい友人もいる。それは、とても心地よいことなのだ。親しくても敬語で話す友人もいれば、初対面からなぜかタメ口が馴染むなぁという友人もいる。どちらのほうが親しいという区別はない。ただ、私は敬語で話すことが割と好きで、落ち着くなぁと思っている、というそれだけの話である。


なんというか、敬語で話すことは、ふわっと空気の服を着ているような感覚だ。近づき過ぎず、ぶつかりそうになっても空気の層の部分がぼよよんと触れ合って怪我をしない。あと、とても対等に話ができる気がする。ちいちゃい頃、店員のお姉さんに敬語で話しかけてもらって、ちゃんと人間扱いされている気がしてとても嬉しかったのをよく覚えている。
だから私もそういう大人になりたいと思って、年下の方にも敬語で接したいと思うのだが、逆に年長者が思い切ってタメ口で切り出したほうが向こうも気が楽、という場面もあってなかなか難しい。反対に、年下の子にタメ口をきいてもらうと「親戚の子に懐かれる」という叶わぬ夢が叶ったみたいでこちらとしてはかなり嬉しいのだが。


最後に、もうひとつ敬語と私エピソード。
高校生のときバイトをしていたコンビニで普通に敬語を使っていたら同僚の子に「難しくて何言ってるかわかんないす」と言われたことがある。店長も昼シフトのオバチャンもよい人ばかりで好きだったのだが、私の入っていた夜シフトの面々は総じて馬が合わなかったのでバイトは辞めた。夜シフトのみんなは昼間のオバチャンたちのことを嫌っていたのも、なんか合わないなと思った要因の一つだし、やはり私は年上のほうが話しやすいなと痛感した出来事だった。「難しくて何言ってるかわかんないす」の彼は深夜シフトのときに勝手にギターを持ち込んでレジ内で弾いていたらしい。面白すぎる。


そういうわけで、私はこれからも敬語を使ってお喋りしていくだろう。けれども、別に必ずしもあなたが苦手なわけではないですよ。と言っておく。
それから、誰かとお喋りするのが苦手だよ。という方はぜひ敬語で話してみるのはいかがでしょうか。ぼよよん空気の服を纏って、少し落ち着くかもしれませんよ。


そして、デイリーヤマザキのいちご大福、結構おいしいので見かけたら食べてみてください。ギター弾いていない店員にレジ売ってもらってください。



おわり

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