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1968 〇〇○から生まれた理想のGTは愛のハコだった?

コロナから生まれた理想のコロナ

(この文中に含まれるコロナとはRT 40系コロナ及び初代コロナマークIIを指し、どちらもコロナプレミオやマークⅩと改名の後、生産終了しました。ので、再拡大の可能性はありません。)

マークIIが登場した際このように謳われコロナのモデルチェンジ版の印象を受けたものです。車両形式もRT60,70系と先代を引き継ぐものでピックアップやライトバンも揃ったバリエーションは次世代コロナそのものでした。

フロントグリルこそそれまでのコロナ似ながらアメリカで流行の腰がくびれたコークボトルラインを取り入れた完成度の高いデザイン,エアアウトレットとボディ強度を両立させた巧みな構成も見事でした。

マークIIの最大排気量は当初1900とクラウンより一歩控えめな数字。先輩格のトヨタ店に遠慮した為なのか?或いはコロナからの上級移行客を逃さない為の隙間を埋める戦略車種だったのでしょうか?やがてマークIIはコロナから独立して最後にはクラウンの兄弟車となるまでに成長していきます。

マークIIのハードトップに負けず劣らず美しいルーフラインを持つ、クラウンで最初の2ドアHTが戦列に加わりました。テールランプに魚眼レンズと言う明るいタイプを採用したのも特徴で横長の大きな角形ヘッドライトも強烈な個性でした。

車重もコストも増加するハードトップより、ルーフを滑らかにトランクと結ぶファストバックは大衆車向きで、サニーもカローラも相次ぎバリエーションに追加します。

マツダ・ファミリアはクーペボディのエンジンルームに搭載二例目となるロータリーを収めたファミリアロータリークーペをデビューさせます。ライバル達がまだ70馬力前後しか出せなかった当時、100馬力で最高速180kmは破格の高性能でした。しかも高性能で鳴らしたホンダN360が1馬力/1万円を標榜していたのを考えれば70万円と言う価格は馬力あたりにすればかなりの価格破壊です。

美しいボディに破格の高性能,ベレGが人気だったいすゞからはイタリアンファッションを身に纏った117クーペが発表され、ベレットGT用をツインカム化してパワーアップした最強版が積まれています。

当初117は量産ラインには載らず、ハンドメイド作業の多い少量生産車でしたが、マイナーチェンジを機に生産ラインに乗りコストダウンも図った上で、オイルショック以後はディーゼルエンジンまで搭載し10年以上長寿車として生きながらえることが出来たのはその完成された美しさがあったからこそかも知れません。

ベレG同様GTが人気車種となっていたスカイラインがこの年日産の名を冠して生まれ変わります。二代目では一旦小型化したボディも再度大きなものに。足回りは日産譲りの四輪独立サスが奢られています。

直列6気筒エンジンはプリンス由来のものでは無くなりL20型を載せますがキャブレターはシングル。馬力も控えめな数字でした。が、このGTだけで月販一万台近いセールスを記録してGT人気が根強い事を見せつけました。木目をあしらったコンソールボックスに2つの補助メーターが並ぶ光景はGTの名前に恥じないゴージャスな構成です。

その人気に乗じて展開されたキャンペーンのキャッチコピーが愛のスカイラインでした。性能やコストでは無く車が醸し出すムードをイメージ戦略に活用した初期の例です。映画八月の濡れた砂でもこの車内で「愛」が展開されたのですが…

数ヶ月先んじて発売されたローレルが目指したハイオーナーセダンというポジションはこのスカGが占めていたと言えるかも知れません。ブルーバードとセドリックに挟まれた隙間を埋める役どころだったローレルは510以前から開発中で四輪独立サスもL型OHCエンジンもこのローレルの為開発されたものをブルーバードに先行採用したものでした。

マークIIと同様の出自ながら営業車や商用版を持たなかったのは同クラスにスカイラインが控えていたのと、同じ販売店にセドリックが存在した為その必要が無かったからです。この地味なローレルの魅力は次のC130系で大きく開花する事になりますが、これからの数年間はデザインのトレンドもますます美しさや豪華さを競う様になって行きます。

年末、ボーナスシーズンの只中に発生した3億円強奪事件は日本中の注目を浴びました。スズキ車の白バイを偽装した犯行グループは、逃走用に盗難車のカローラを事前に用意。どこにでもあるクルマで数が多い、のが選択理由だと考えられています。もし、縦目の初代セドリックで何処までも延々と逃走を図っていたらあの時代にはかえって目立つ存在となっていたかもしれません・・・・

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