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昭和の名車・セリカ・リフトバック(RA25:1973)

 今や国産車には珍しい4桁万円で売買されるTOYOTAの歴史的なプレミアムカー=トヨタ2000GT.その生産中止がアナウンスされたのは1970年の夏ごろの季節でした.短い新聞記事に依ればもっと大衆的なスポーツタイプ車を量産するとのこと。年末に発表されたセリカがその正体でした。
 当然,課せられた使命は「売れること」
毎月一万台に及ぶ生産台数を売り、2000GTとは比べ物にならない収益をもたらします。

 当時としては破格の238万円という値段がついた2000GTでしたが一万台売れたとしても開発コストすら償却出来たかどうか、300台少々の売り上げでは当然ビジネス的には失敗作となります。しかし、広告効果と云う観点では売り上げ総額以上のモノをトヨタにもたらしたことでしょう。言ってみればF1カーに金を投じるフェラーリと同じ理屈です。

 さて,生まれ変わりとして誕生したセリカはアメリカの人気車種ムスタングを徹底的に研究して開発されました。大衆車として人気のカローラや量販車のコロナの部品を可能な限り共有し,兄弟車となるカリーナと共通設計の基本骨格はたくさん量産することでコストを引き下げることが出来ます。車体のデザインは100%違うのに構成する内部構造はほとんど同じ。だから運転のし易さも燃費もたいして変わりません。ちょっと低めのルーフとロング・ノーズのハードトップ。3年後に追加されたリフトバック・モデルは流行のファストバック・スタイルを取り入れた真打ち的存在。当時のスカイライン(ケンメリ時代)と人気を二分したものでした。

1973年の4月6日という日はセリカにリフトバックが追加発売された日
というのを海外のFacebookユーザーが教えてくれました。熱心なトヨタ信者がいるものです、海外にも!

セリカという車が画期的だったのは、お小遣いも好きに使える独身貴族なるベビーブーマー世代の男性をターゲットに据えたおしゃれなパーソナルカーの嚆矢だった事。

 ところでケンとメリーは愛のスカイラインに続くスカイラインの販促キャッチコピーで,実際にケンとメリーのモデルさんがいました。セリカは「恋はセリカで」と二番煎じ的なコピーに終わり、広告戦略では日産側の圧勝に終っています。男性デュオ「バズ」の「愛と風のように」は当時のNHKでも繰り返し放送される程のヒット曲となっています。(CMでは一部歌詞を変更)

とにかく、その究極の格好良さといえば、いまだに欧州の熱狂的なファンを釘付けにしています。すでにギャランGTOやスカイライン2000GTといったライバルが参入しており、ギャランのようにダックテールのデザインを採ったファストバックのテール。人気のスカイラインに肩を並べる2000GTの称号はあの名車、MF10トヨタ2000GT以来のもの。(その中身はコロナ同様4気筒のツインカムにすぎませんが)
 というか、後に続く二世代目のリフトバックがあまりに不人気だったことも影響しています。というのも、このモデルが誕生して半年もしないうちオイルショックの洗礼を受けることになったからです。
 さらには、厳しさを増す日本独自の排気ガス規制も追い打ちをかけたかもしれません。
 生産期間のうちには対米仕様のゴツいバンパーを押し込まれたり(これはそれなりに格好良かった)排気ガス規制の前にツインカムエンジンが風前の灯火になったり・・・・野放図に高性能を追い求めることが正義だった時代は終わり、たった1世代で価値観がガラリと変わってしまったのです。

 次世代のセリカも技術的には高いレベルの車でした。三次元曲面を使った大きなサイドウィンドウは流面形と呼ぶに相応しい、明るくルーミーなもの。時代のトレンドとも符合しています。
 アルミホイールをオプションリストに加えたり、スライディング・ルーフ(サンルーフ)を国産車で初採用したり、4速電子制御のオートマチックを選べたり。
しかもスカイラインへの対策上欠かせない6気筒モデル(ダブルエックス=スープラ)が加えられたことも大きな注目点です。
 でも、そんな二代目がいるにも関わらず高い初代の人気は、やはり本家ムスタングにも見劣りしないスタイリングと当時の国産トップクラスの性能の成せる業でしょう。

colloraレビン、sprinterトレノ(TE27)

 70年代のはじめ頃、歌謡界では南沙織に続く少女アイドルたちが続々デビューを飾ったのがちょうどこの頃。ビクターの麻丘めぐみ、ワーナーのアグネスチャン、そしてアイドル界の絶大なるカリスマだったCBSソニーの天地真理。翌年からはさらに年齢が下がって,山口百恵、森昌子、桜田淳子、石川さゆりといった中学生世代が席巻することになります。

マイナーチェンジを挟んで数種類のデザインが存在する

  当時ツインカムと呼ばれる高性能エンジンを商業ベースで大量生産出来たのはトヨタだけでした。ライバルはせいぜいツインキャブどまり、ホンダだけは四連キャブで高性能をアピールしましたが、あとはマツダのロータリーエンジン車だけが別格の存在でした。
 とりわけセリカ、カリーナ、コロナにまで搭載されたツインカムエンジンの秀作、2T−Gを弟分のカローラ/スプリンターの車体に載せてしまったのがレヴィン/トレノと呼ばれる名車シリーズの始まりです。カリスマ的な人気のスカイラインGT−R(当時はハコスカ世代)にあやかって無駄な飾りを省略し,ホイール・キャップはセンターのハブ・キャップのみ。フェンダーには幅広タイヤも収容出来るようにオーバーフェンダーを標準装備。塗装もオリーブグリーンやサファリオレンジといったこの時代の流行色が採用されました。

 小結クラスのカローラに横綱クラスの体力と心臓を与えた訳ですから、人気が出ない訳が有りません。86系と並んで,いまだに高価で取引される個体も少なくありません。中学の同級生がのちに中古で手に入れた頃には底値で取引されていたんですが・・・・・

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