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読書感想  『ぼそぼそ声のフェミニズム』 栗田隆子 「絶望の手前で、支えてくれる言葉」

 いつものことだけど、フェミニズムという言葉のある書籍を紹介するときに、ためらいがあるのは、自分が昭和生まれの男性、という、どこか最も遠い存在だと思っているせいもある。

 本当の意味で理解できることは、これから先もないのだろうけど、現在のように、コロナ禍もあり、絶望が近い時ほど、この著者の言葉は、とても必要な気がしたので、今回は、紹介させてもらうことにしました。

『ぼそぼそ声のフェミニズム』   栗田隆子

「ぼそぼそ声」というタイトル通り、全体の文章も、「自信満々の大声」ではない。
 ただ、それが、今のように不安が多いような環境の時ほど、より気持ちに届くようになったような気がして、現在の方が読むべき本になっているように思った。

 感情をバカにせず、また感情を否定せず、しかし感情だけがすべてとも思わないこと。私はその感情と言葉の関係を手掛かりに、手探りで歩みを続けてきた。 

 それは、著者にとってみれば、それしかない必然でもあり、選ばざるを得なかった偶然かもしれないけれど、それでも、そこからしか見えない視点を獲得し、読者にも伝えてくれているように思う。

 例えば、フェミニズムは、「教える」ものではなく、「教わる」ものという上野千鶴子氏の発言に対しての見方。

「教わる」ことのできるのは、就職活動などのことをそれほど心配しなくていい一部上場の、じゃない、一流大学の講座ということになりかねないのだ。結局、自分の頭で考えていいのは、ほんのわずかな「選ばれし者」なのだという言外のメッセージが社会に伝わっていく。 

 著者の主張は、決して主流ではないかもしれないけれど、時代が経つほど、厳しくなっていく一方なので、その重要性は増しているように思う。

現代を象徴する場面

 誰が悪者、というのではない。だけど、確実に、誰かを傷つけるような言葉や態度がある。それは、社会が生んでいる出来事のはず。そんな場面も、きちんと記録されている。

二〇一二年一月、ある男女共同参画センターで女性の貧困や労働をテーマとした集会があった。(中略)そこで呼ばれていた某新聞社の記者が、最近の就職活動も大学生の鬼気迫る様子をどこか異様だ、といったニュアンスで話をした。それは決して、大学生を皮肉るつもりはなかったと思う。むしろ心配し、気遣うような雰囲気もあった。だが、そこでの質疑応答に、ある二〇代とおぼしき女性がこう話し出した。
 
「ものすごい、ショックです。私たちは、就活を必死にしなければ仕事を得られないし、そこで仕事が得られなければアルバイトしかない。それじゃあ、生きていけない。その就職しようとしている必死な様子を、異常と言われるなんでショックです。
しかもそこの会社に入りたいと思って頑張っている学生たちに、その会社の人が、そんな感想を持つなんて‥…とにかくショックです」

「上級弱者」という言葉

 2021年の春には、車イス利用者の電車への乗車拒否とも受け取られるような出来事があり、その中で、「上級弱者」などというラベリングをする人まで現れた。

 そうした「選別」に関することは、この書籍の著者が、2019年に、すでに触れていたので、このことについて、もっと考えられていたら、「上級弱者」などという言葉は、生まれずに済んだのかもしれない。

「本当に大変な人は、社会的な発言をする力もないし、余裕もないのだから、社会に文句を言える人はまだマシなのだ」という発想だ。それは半分当たっているかもしれない。しかしそのロジックは、必死に声を上げた人に対して「声を上げる余裕がある」と言って無視する格好の言い訳になりうるのだ。 

 今も、いろいろな「弱者」(という言い方もどうかと思うが)の人たちを「選別」し、「本当に困っている人」という言葉が使われ続けている。それは、時間が経つほど、「選別と排除」のメッセージになりつつあるのかもしれない。

 非正規社員の労働者で給与が低いために自立はできないと考える人と、たとえば家族から暴力を受けている非正規の労働者で、経済状況が逼迫しているにもかかわらずそれでも家を出なければならない人と、どちらが不幸かを考えさせられる環境にあるということだ。このような比較は、危険だ。どちらも浮かばれるシステムについて考えるのでなく、「どちらのほうがより大変か」という不幸を比べる議論になってしまうからだ。

「自立」という言葉

 そして、「自立」という言葉の変遷について、これだけ、正確な言い方をしている人は、少ないかもしれない。

 それにしても「自立」という言葉ほど私の生きてきた時間の中で「変遷」を遂げた概念はないのでは?と思う(ちなみに私は一九七三年生まれだ)。「自己責任」論と並び、「自立」はいわば体制側が「面倒は見ません」「勝手にしろ」と告げたいときに使う脅迫的なものになっている。非正規労働者や失業者、生保利用者や、シングルマザーを責める言葉として「自立」が使われているのだ。そこでは就労支援ばかりが強調され、雇用環境の改善は少しも盛り込まれないのである。

 この最後の文章、「就労支援ばかりが強調され、雇用環境の改善は少しも盛り込まれないのである」は、本当にそうだと思うけれど、この論議をする時に、これだけ的確に指摘しているが、この部分が、今でも、あまり言われていないように思う。 

絶望の手前で支えてくれる言葉

 書名に「フェミニズム」とあるから、私のような中年男性だと、どこか手に取りにくい部分もあった。さらに、こうして紹介していいのだろうか、といったためらいもあり、その上で、できたら直接、文章を読んで欲しくて、引用中心になった。

 だけど、現代に生きていて、生きにくい感じを持たれている方で、紹介した文章に興味が持てる方であれば、どなたにもお勧めできると思います。

 絶望の手前で支えてくれる言葉が、ここにあることに、改めて、気がつきました。



(他にもいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。




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