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阪神淡路大震災後の三宮一貫楼①

月曜は仕事(三宮一貫楼)ネタ

↑↑↑の記事の続きを書いて行こうと思います。

阪神淡路大震災前は兵庫大阪で11店舗を展開していた当社でしたが、震災後は様々な理由(家屋の全壊、半壊、交通の便、人員の不足など)で撤退を余儀なくされる店舗と更なるご縁での出店で顔ぶれは変われど大体7~8店舗を維持する期間が長らくありました。

今回はそのあたりを中心に語っていきたいと思います。

まず地震前の店舗を列挙すると
・本店
・ビバタウン店
・明石店
・大丸心斎橋店
・西神そごう店
・山陽明石グルメファクトリー店
・山陽百貨店姫路店
・神戸阪急B1店
・東山店
・神戸阪急6Fレストラン街店
・神戸大丸店
(計11店舗)

このうち残った店舗が本店、ビバタウン店、明石店、グルメファクトリー店、阪急B1店、阪急6F店、神戸大丸店。


板宿ダイエー内ビバタウン店


本店に次ぐ売り上げを誇ったグルメファクトリー店


神戸での信頼度を上げてくれた神戸阪急B1店

新たに当社の大いなる失敗出店である川西モザイクボックス店が震災の1年後に出来たりしました。(←の話はまた別話でも。なお入れ替わりに神戸大丸店撤退)

まず震災直後の様子を回顧しますと、
上記にあるようにお店は何店舗かはなくなったものの、遠隔地および不採算店が営業不能になったためにむしろ体質がよくなったこと。

つづいて震災の前年にはじめてお世話になった、阪急うめだ本店での催事が異例の2か月ロングラン開催を定期的に指名いただき、凄まじい売上を記録しました。

あと、震災景気的な賑わいが当時の神戸にあったことに加えて、中心地である三宮地区のデパート、神戸大丸と神戸そごうが改修工事に入り、当時ハーバーランドにあった神戸阪急に需要が集中して、そこに店舗を構えていた当社の2店舗も好調な売上を記録しました。

しかし日常がだんだんと戻るにつれ、そのようなアクシデントによる好景気は長くは続かず、神戸の経済はジリジリと下降線をたどっていきます。

震災後、猶予期間が切れた公金(税金や社会保険料)の支払いもスタートし、残された店舗の日々の売上だけでは莫大な借入金の返済(当時残高約17,8億円)や経費の支払いが苦しくなってくるのは明白でした。

その頃に私は入社しました(笑)

こんな修羅場、鉄火場のような状態とは露知らず、私の運命やいかに。
この辺りで今日はお開きに。

(つづく)




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