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三宮一貫楼のはじまり

たまには本業のお話を(笑)

2024年10月1日で株式会社三宮一貫楼は創業70年を迎えます。

創業者は私の祖母の安藤春子。
祖父の給料だけでは3人の子供たちを食べさせていけないという事情で一念発起の開店だったそうです。

創業の地は神戸市兵庫区荒田町。
屋号は「ひさご食堂」と言いました。
ジャンルとしては中華料理ではなく大衆食堂と言われる部類のものでした。

のちに一貫楼の組合に加盟し、屋号も「荒田一貫楼」に改名しました。

父や叔母も手伝いに入り、家族で経営を担って行きます。

そのうち店も繁盛するようになり、
父は大学を中退して本格的に家業に入り経営手腕を発揮して行きます。

出前を中心としたスタイルを確立し、地方から住み込みの従業員を積極的に採用。

幼い頃の風景として、住居兼店舗の前には自転車が3〜4台が常に停まっていて、若いスタッフが颯爽とおかもちを片手に走り去っていく様子を憧れにも似た思いで眺めていました。

どんどん採用を重ねていくうちに荒田一貫楼だけでは賄えなくなり、昭和41年に現在の三宮一貫楼本店がある生田区(当時呼称)三宮町へ2号店を出店。

2号店の屋号を現在の法人名でもある「三宮一貫楼」としました。三宮一貫楼にて開始した豚まんが名物となり現在に至る。

はじまりの物語はこのあたりまでですね。
この後のお話とかもまた綴っていけたら。

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