224.全自動の法則

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こんにちは
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224.全自動の法則

コロナ禍で嫌と言うほど味わった分断は
実はまだまだ続いていると思う

ワクチン接種推進派
ワクチン非接種派
それだけではなくマスクに病院に考え方
そういう分断に接してくると
日常生活の中にある分断にも目がいくようになる

流行を追う人とそれらに興味がない人
学歴や肩書を出会い頭の会話に持ってくるのも
ある意味ではそうなのかもしれない

そして最近物凄くメディア注目されているのが
田舎暮らしとキャンプ
孤立している事に目を向ける様にしていると感じる
敢えて何度も連呼する孤立集落に居る人数と年齢
足が悪い、家族が家に来る頻度、集落での関係性
事細かにメディアで流した結果
空き巣などに狙われて被害が出ている

メディアで放送される度に何度も一般人から
詳細を流しすぎて危険である
出演者の安全は確保されているのか
といった声をSNSで見かけたし
私自身もTwitterでつぶやていていた

最初はこの番組の意図が分断なんだと思っていた
どれだけ田舎暮らしに魅力があるかを伝えて
分断する事で情報交流させない為なのかと思った
でも今となってはこの「被害が出るまで」がセットで
人々の意識に「田舎暮らしはやっぱりリスクが高い」と
思わせる為だったのではないかと思う

田舎暮らしをさせたくない理由は
山納銀之助さんが提唱している「全自動の法則」
それを人々に氣付かせない為だと思う

全自動の法則をザックリ説明すると
物を所有しないとその時々で必要になる物が
自然と手に入るようになるという法則

2人の人物を想像して欲しい
それぞれの川の近くに住み魚を獲って暮らしていて
それぞれの川には同じだけの魚が居て
同じ生態で暮らしていたとする
1人は毎日食べる分だけの魚を獲る一回に2匹だけ
もう1人も釣りを生業に住んでいるので
釣り名人で数十匹の魚を一度に捕獲食べない分は売る

最初はお互い順調に生活出来ても
ある時を境に釣り名人は釣れない日が出てくる
自然にも限りがあるから居なくなってしまう
必要な分しか獲らない人は自然界が生み出す分を
上回って獲らないのでいつでも潤沢している

こうやって常に今の自分のみに必要な分だけが
常に手に入る状態が全てに於いての生活の中で起こる
コレが全自動の法則だという
自然界だとわかりやすいが日常生活では
過剰に手に入りすぎるとモノが手に入らない状態というのは想像しにくいかもしれない

だが、貧乏な家になるほど要らない物に溢れ
お金持ち程シンプルな生活をしていると
私の少ない人生の中で出会った人々を見て感じた
そして心の中にも同じ事が言えていた
心が貧しい人程、過剰な感情に溢れていて
心が豊かな人程、シンプルに物事を捉えていた
心が荒れると部屋が荒れるを嫌と言うほど目にしてきて
汚部屋を掃除すると必要な物なんてほんの一握りだった

今は物価がガンガン上がって
生活に不安がある人はここぞとばかりに溜め込んでいる
値上がりが盛んになり安売りに人々が殺到する日々

値上がり→安売りに参加→
物を沢山持つ→全自動の法則から外れる

でもそんな人々が田舎暮らしを始めてしまえば?
自分で作れる環境があり作れる様になってしまえば
その人達は作り始めるだろう
そうすると全自動の法則にいつか辿り着けるだろう

昔の人々が実は知っていたこの法則を
祖父母世代と住まない環境を推進して分断する事で
途絶えさせていた
コレに限らず
おばあちゃんの知恵袋のような昔の伝承や風習は
色々なあの手この手の分断で途絶えさせており
氣付けば私達は社会に属さないと
1人では生きる術の何も知る事が無い大人となった

薬草を薬にして
自然の中にある物で器を家を作り
自然の恩恵を受けて生きる
そして自然の厳しさを受け流す方法も…
何も知らない都会に生きる大人達

ある日突然に文明が壊滅して自然の中に放り込まれて
そんな大人達の何人が生き残れるだろう?
其れを肌で感じるからこそ
理不尽が溢れかえっている最悪な環境であっても
文明にしがみついてしまうのだろう

無い物にしか目がいかず
失う事ばかりを恐れて
要らない物ばかりを集めて
全自動の法則から自ずと外れる

文明と要らない物にしがみついている私は
とりあえず今集めてしまった物を少しづつ手放そうと思う
地震だ災害だと煽られて
それに乗せられて集めすぎた備蓄も
もっと少なくて良いだろうと思っている

224.全自動の法則