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めんどうなルッキズム

学生時代から、他人について「太っている」と言うのはタブーであった。最近では「痩せた」も軽はずみに言ってはならない雰囲気がある。
高校の頃、私には笑いのツボが違うクラスメイトOがいて、あまり親しくはなく選択教科が同じ移動のときだけ数名で共に行動していた。ある冬の日授業が終わり我々が教室に戻ろうとした頃その選択科目の教師がふと「Oは最近太ったんじゃないか?」と真顔で言った。私はなんとなくマズイと思いOのほうを見ると、彼女は表情を失った感じで黙っていた。その後彼女は「私、太った?」と、何度も周りの子に聞いていた。ほとんどの子が「そんなことないよ」と言ったが、彼女は何度も聞き続けた。私は「『そんなことないよ』だけじゃだめなのか」と困り、「あぁいうふうに言うのが年頃の女の子と話すコミュニケーションだと思ってるんじゃない?」と、世代のちがう教師のせいにしてみたが、彼女の気はおさまらないようだった。活発で運動神経のよさそうな子だったので「むくんでる」もだめそうだし「着膨れ」という感じでもない。教室へ移動しながら話を替えても、何度も彼女は自分が太ったかどうかについて尋ねてきた。
こういう場合は「太ったとおもう」なんて言えないし、本人が「太ったんだ」と言っても「そうは見えないよ〜もともと痩せてたんでしょ」というようなことしか言えない。教室に戻ってほかの友人たちと合流するまでの短い時間だったはずだが、私は心からめんどうだと思った。これが自分の身内だったらもっと付き合わなければならなかっただろう…
働くようになってから、ますます私は見た目や体重どうこうより「動きやすい、体調のよい身体」を自分で考えて把握するよう努めるのが1番だと痛感している。太っていても痩せていても業務に支障がでなければ他人はどうでもいいのだ。他人を愉快にさせたりよろこばせるための身体ではないのだから。


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