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『深夜特急』はじまりの地 重慶マンション滞在記

社会人1年目が過ぎた4月、無性に海外に出たいと思うようになった。
一年目の頃は自分の能力、社会人としての暮らしに不安があり貯金ばかりしていた。

もちろん貯金は良いことではあるが、20代の今は自分自身の経験に投資する必要もある。だからお金の貯めすぎも良くはない。

そんなこともあり、ゴールデンウイークを利用して香港とフィリピンへバックパッカーに出た。
今回の記事では香港でのことについて書こうと思う。
僕が香港について知っていたことと言えば沢木耕太郎の『深夜特急』の始まりの地だと言うことぐらいだ。
その沢木氏が香港滞在中に拠点としていた重慶マンション(チョンキンマンション)に自分も滞在することにした。

重慶マンションとは1961年に完成した5棟からなる17階建てビルの総称である。元々は住宅用に建設されたが、実際は、1階は南アジア・アフリカ人のコミュニティ、2階から最上階まではゲストハウスが密集するバックパッカーの聖地だ。

この重慶マンションはとにかくカオス、古い、汚いと色々な感情が沸き起こってくる場所であった。
空港から重慶マンションのあるネイサン・ロードまでは実に煌びやかな高層ビル群、欧米の高級ブランド品店など華やかな?世界であったが、このマンションに入ったとたん急に薄暗く、でも熱気というか人間臭さを感じる湿った雰囲気に包まれた。

1階の南アジア・アフリカ人コミュニティーでは雑貨屋から彼らの国の料理、両替商と多種多様な商売があり、多種多様な国籍の人がそこに集まっていた。
重慶マンションはAからEの5棟のビルからなっており、迷宮のように内部は入り組んでいる。

それはゲストハウスの階も同じだ。
エレベーターによっては全ての階に止まらないものもあり、ようやく目的の階についてもどこにゲストハウスのカウンターがあるのか分かりづらい。

僕は10階にあるゲストハウスに泊まった。
中は薄暗く、当たり前だが日本語ではない言語が飛び交い、不安と興奮を同時に呼び起こす雰囲気を醸し出していた。
ゲストハウスのオーナーはインド人だった。その中にはターバンを被っている人もいる。
カウンターで支払いを済ますとどうやら相部屋らしい。
そして僕はポーランド人のジェイコブと名乗る青年と4人部屋に案内された。
その後からさらに同じ日本人の青年とパキスタン人の男も入ってきた。

部屋には窓は無い。シャワーとトイレが一体になった6畳ほどの部屋に男4人で寝た。
まるで刑務所のような窮屈さ、不衛生さだったが、この不便さと距離感が4人の間でコミュニケーションを生む。

だからこそ僕たちは初対面から仲良くなれた。翌日にはトモさんが別のホテルに移動したあと中国人のワンが新しく部屋に来て、2日目の夜は5人で香港の夜を楽しんだ。

お互いに簡単な自己紹介とそれぞれの旅程を話した。
僕ともう1人の日本人トモさんは社会人2年目でニッチな分野のメーカーで働いている。
パキスタン人の男はアドナンといい、わざわざビザを取得して香港旅行に1人で来た。
ポーランド人のジェイコブは4ヶ月のバカンス中(ヨーロッパはいいですねえ)、アジアでバックパッカーを楽しんでいるところだ。

基本的に僕たちは英語で話した。
ジェイコブはポーランド人だがイギリスで働いているからネイティブ並みにうまい。
アドナンはウルドゥー語訛りの英語を話す。
トモさんは英語ができないので会話にあまり入れてはいない印象だった。

ジェイコブはたしか「日本人は働きすぎだ」と言っていた気がする。
一方でアドナンは「日本人のパスポートは世界どこでも行けるから羨ましい」と言っていた。
もっと日本人は世界最強のパスポートを活用するべきだと思う。
最近「親ガチャ・遺伝ガチャ」とかいう言葉が日本で流行しているが、日本人は少なくとも「国ガチャ」では大当たりを引いているはずだ。

時刻は18時を過ぎた。
僕たち4人は街に出て、香港の夜の街を散策し、例の重慶マンション1階にある南アジア・アフリカ人コミュニティーでインド料理を食べた。
本場のビリヤニは辛かった、さらに周りの不衛生さ(失礼)がさらに臨場感を感じさせた。
香港の夜は熱気に包まれている。土地が狭いためか人口密度が非常に高く、煌びやかビル群の電子広告、街を行きかう2階建てバス。
その中を今日初めて会ったばかりの男たちで街を歩く。

次の日は朝から4人で香港を一日中観光した。
なるべくお金は使わず、徒歩でひたすら気の向くままに歩いた。
慣れない土地で不便なこともあったが、同じ部屋のバックパッカー仲間たちと2日共にこれからの将来のことを語り合ったり、酒を酌み交わしたり(アドナンもビールを飲むらしい)充実した2日間だった。

実はこの香港に来る前、僕は初めての海外出張でタイに行っていた。
そこで泊まったホテルは安全上の理由で、上司の指示により高級ホテルに宿泊した。
サービスは丁寧だし、清潔感があり、大きな窓からの夜景、大きなベットを独り占めできる。
正直、僕の身の丈には合わないホテルだと思ったし、大きな部屋に一人だけ、空虚さを感じていた。

一方でこの香港で泊まった重慶マンションは最高に楽しかった。
やはり重慶マンションのゲストハウスならではの不便さ、人と人との距離の密接さがあったからこそだと思う。
切り詰めた予算不便さ、一期一会の出会い、時々起きるトラブルさえも楽しむ。
だからこそバックパッカーは楽しいのだ。

沢木氏の言葉を借りれば「旅の病」というものだと思う。

さて次の記事では香港の次に訪れたフィリピンについて書こうと思う。
それではまた。

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