伊川津貝塚 有髯土偶 11:修験の道
愛知県西尾市吉良町の青龍山 金蓮寺(こんれんじ)の不動尊と弥陀堂の間を裏山に向かうと白山公園の登り口がありました。そこから20mあまり北に向かって山道を登るとT字路にぶつかりました。そこには道路標識があったのですが、ヘッダー写真のように文字が完全に消えてしまっていて、読めなかった。道は東に向かって登り坂になっている。目的は「蛇穴(じゃあな)」だったが、ほかに「蛇坂(じゃざか)」という場所もあるようなので、この登り坂が「蛇坂」で、その先の「蛇穴」がこの道標に表記されていたのかもしれないと判断して、東に登って行きました。T字路から70mあまり登ると饗庭神社(あいばじんじゃ)の境内に出てしまい、「蛇穴」らしきものは見当たりませんでした。饗庭神社は金蓮寺から分離した神社かもしれないので、後で参拝することにしてT字路まで戻り、逆に西に向かって降って行きました。
T字路から30mほど下ると瓦葺切り妻造妻入の堂の前に出た。
堂には扉が無く、石造の役行者椅像が奉られていた。
多くの役行者像と同じく、右手は破損しており、補修されているようだった。
案内板『ぎょうじゃさん(行者さん)』には以下のようにあった。
「登り口」とあるのは金蓮寺内の登り口とは一般道からの登り口を指している。
それにしても、公園内に役行者とは。
ここは白山公園の西の外れのようだが、行者堂があるということは、おそらくこの丘陵部は真言宗寺院時代の金蓮寺の所有地だったのだろう。
金蓮寺が曹洞宗寺院に改修された段階で金蓮寺外に移され、金蓮寺が丘陵部を手放した段階で白山公園に組み込まれたのだと思われる。
そして、目的の「蛇穴」の「蛇」は役行者の関係する要素である。
この組み合わせは各地に存在し、その内容はそれぞれ細部は異なったその土地固有の伝承になっている。
例えば奈良県御所市蛇穴(ごせしさらぎ)では以下の起源説話による縄で作られた蛇を曳き回す「蛇曳き」の風習がある。
「蛇曳き」の風習自体も各地に存在するが、役行者が関わっていることと、味噌汁で蛇を追い払ったというところが御所市蛇穴のオリジナルだ。
ただ、西尾市吉良町に伝わる大蛇伝承には役行者は関わっておらず、娘の恋譚は無い。
現在の金蓮寺に弁財天(=蛇神)は祀られていないが、直前の記事で紹介した金蓮寺境内の常夜灯の玉石に当たる部分の瓦造の装飾は奈良県吉野では役行者が祈り出したとする伝承になっている弁財天となっている。
行者堂の前から、さらに10mあまり西に下ると、銅板葺切妻造棟入コンクリート造の建物の前に出た。
象牙色にペイントされた壁は塗装が剥がれており、締め切られた正面には板部が樺色に染められたガラス格子戸が建てられている。
この建物の正面には幅の広い石段が設けられており、石段の麓には「多度大明神」と刻まれていた。
「明神」とは修験道で祀られた神仏習合の施設であり、天皇直属の組織だった修験道が明治期に入って廃止されたために衰退した施設だが、修験者が山岳修行者など別の形態になったりして存続している地域では、このように残っている場合がある。
「明神池」と名付けられた池は全国に見られるが、これも同様で、神の宿る池とみられている。
ただ、ここのように「明神」という名称が社号標にのこっているものの、公には使用しなくなっているので、その素性は分りにくくなっている。
社殿内を見ると、正面奥の棚には素木の神棚が祀ってあり、おの前には神鏡が置かれていた。
神棚の両脇には黒漆の厨子(ずし)が設置され、向かって左側の厨子は片側の扉が開かれ、金箔の張られた内部に神像が納められている。
たどんさんに関する案内版には以下のようにあった。
不動尊をメインとして奉っている金蓮寺の鎮守ということはやはり、修験道としての繋がりだ。
社殿内に祀られているものに関しては情報が無いので、多度神社の総本社である多度大社(三重県桑名市)に祀られているものから推測するしかないのだが、その祭神は以下となっている。
この情報から推測すると、中央の神棚には天津彦根命が祀られている可能性が高い。
両脇の像は面足命の本地仏の第六天魔王と惶根命の本地仏の十一面観世音菩薩だろうか。
扉の開いている方の厨子内の仏像をUPにしてみたのが以下だ。
像容は頭部の形態から十一面観世音菩薩のように見え、第六天魔王とは大きく異なる。
ということは扉を閉じた右側の厨子内には第六天魔王が納められている可能性が高いことになる。
いずれにせよ金蓮寺の裏山にあたる、ここに祀られている行者さんとたどんさんは修験道に関わるものと解釈できる。
たどんさんからさらに下ると、白山公園の麓に降り、用水路沿いに出たが、この時はこの用水路を矢崎川と誤解していた。
「蛇穴」は土手にあることは推測できたので、白山公園の麓に沿った通路を進み、用水路に剃って回り込むと、地蔵菩薩が設置されている場所があった。
地蔵菩薩も奈良県吉野では役行者が祈り出したとする伝承が存在する。
土手には落ち葉が降り重なっており、それを潅木が覆っている。
案内板と地蔵菩薩が無ければ、「蛇穴」がここにあることに気づかなかっただろう。
案内板『蛇穴(じゃあな)』には以下のようにあった。
潅木の下を覗いてみると、土手は岩山になっており、そこに穴が空いていた。
入り口の高さは2mあまり。
こうした「蛇穴」は三河では3ヶ所目に当たる。
別の2ヶ所は以下。
「蛇穴」の中を覗いてみると、思っていたより穴は浅く、左奥の天井の高さは1.5mほどか。
遠隔地から行者さんやたどんさんを参詣に来た修験者がここで寝泊りしたり、行を行ったこともあったのかもしれない。
下記写真は蛇穴のあるあたりの丘陵の裾を矢崎川西岸から眺望したもの。
金蓮寺はこの丘陵の右端向こう側の麓に存在する。
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まだ、「蛇坂(じゃざか)」が見つかっていないので、逆方向に向かった時に遭遇した饗庭神社に社頭から登ってみることにしました。
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