山乃辺 時久

時空を駆けるトラベラーです。使用ビークルは250cc以下のモーターサイクル2車種。日本…

山乃辺 時久

時空を駆けるトラベラーです。使用ビークルは250cc以下のモーターサイクル2車種。日本列島の起伏を体感しながら、フィールド・ワークし続けたい… 〈既訪問地=★本州・四国全域 ★離島11島 ★鹿児島→長崎 ★門司→博多〉

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  • 中条遺跡 土偶A

    愛知県刈谷市重原本町の中条遺跡から出土した土偶Aを基本にして巡った周囲の環境を紹介しています。

  • 本刈谷貝塚 土偶

    愛知県刈谷市天王町の本刈谷貝塚から出土した土偶を基本にして巡った周囲の環境を紹介しています。

  • 私のシンクロニシティー

    シンクロニシティーを感じることのよくある私の実体験です。

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固定された記事

伊川津貝塚 有髯土偶 1:荒ぶる文

愛知県内の個人的な土偶調査は豊田市で終了と思い、すでに岐阜県にも手を広げ始めたところ、愛知県内の田原市でも土偶が出土している情報にぶつかったため、田原市を巡るこ…

山乃辺 時久
1か月前
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伊川津貝塚 有髯土偶 19:三尸虫のために朝まで呑み会

愛知県大府市(おおぶし)大東町(だいとうちょう) 神明社の北東4.3mあまりにある大府市共栄町の神明社に向かいました。この日は名古屋市内からスタートしたので、北側から共…

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伊川津貝塚 有髯土偶 18:弁財天と水路

前回と同じ2023年10月中旬、愛知県刈谷市小垣江町(おがきえちょう)の秋葉神社貝塚から北東4.7mあまりにある愛知県大府市(おおぶし)大東町(だいとうちょう)の神明社に向かい…

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伊川津貝塚 有髯土偶 17:町内の小社の本宮は

愛知県刈谷市小垣江町(おがきえちょう)の小垣江神明神社から北東240mあまりにある刈谷市小垣江町の秋葉神社に向かいました。小垣江町には秋葉神社が2社存在し、目的地は字…

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伊川津貝塚 有髯土偶 16:トヨクムヌとオオアガタ

碧南市(へきなんし)半崎町(はんざきまち)の西端八剱神社(はっけんじんじゃ)から北々西5.7km以内にある刈谷市小垣江町(おがきえちょう)の小垣江神明神社に向かいました。高…

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伊伊川津貝塚 有髯土偶 15:石柱のメッセージ

愛知県西尾市川口町の浅間神社(あさまじんじゃ)から北々西7.7km以内にある碧南市半崎町(はんざきまち)の西端八剱神社(はっけんじんじゃ)に向かいました。矢作川(やはぎがわ…

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伊川津貝塚 有髯土偶 14:役行者結び

愛知県西尾市吉良町の天竹神社(てんじくじんじゃ)から県道41合繊と豊田一色線(とよたいっしきせん)を経由して、北々西2.3kmあまりにある川口町の浅間神社(あさまじんじゃ)…

山乃辺 時久
2週間前
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伊川津貝塚 有髯土偶 13:崑崙人の棉

愛知県西尾市吉良町の白山公園内に位置する「蛇穴(じゃあな)」の北北西2.5km以内に位置する天竹神社(てんじくじんじゃ)に向かいました。天竹神社の東160mあまりの場所には…

山乃辺 時久
2週間前
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伊川津貝塚 有髯土偶 12:穴と坂

愛知県西尾市吉良町の白山公園内に位置する「蛇穴(じゃあな)」は見つけましたが、「蛇坂(じゃざか)」の方が見つかりませんでした。蛇穴を探している時に青龍山 金蓮寺(こん…

山乃辺 時久
3週間前
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伊川津貝塚 有髯土偶 11:修験の道

愛知県西尾市吉良町の青龍山 金蓮寺(こんれんじ)の不動尊と弥陀堂の間を裏山に向かうと白山公園の登り口がありました。そこから20mあまり北に向かって山道を登るとT字路に…

山乃辺 時久
3週間前
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伊川津貝塚 有髯土偶 10:蛇との関わり

愛知県西尾市吉良町の小山田神明社から、同じ吉良町の北北西720mあまりに位置する、青龍山 金蓮寺(こんれんじ)に向かいました。本来は「有髯土偶 6」の記事で取り上げた岩…

山乃辺 時久
4週間前
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伊川津貝塚 有髯土偶 9:シイノミとシイタケ

愛知県西尾市吉良町の壁のようにそそり立つ石段を持つ小山田神明社の拝殿は、その石段の正面10m以内にありました。その拝殿前までは北側から社殿の東側に登ってくる舗装路…

山乃辺 時久
1か月前
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伊川津貝塚 有髯土偶 8:足を踏み鳴らす青面神

愛知県西尾市吉良町の秋葉神社から、さらに矢崎川の左岸(東岸)の堤防上を北上すると、100m以内で国道247号線にぶつかりましたが、そこから北は一方通行で北上できませんで…

山乃辺 時久
1か月前
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伊川津貝塚 有髯土偶 7:新羅王倭人説

愛知県西尾市吉良町の岩谷山第1号墳のある吉良饗庭(きらあいば)塩の里から県道316号線で、すでに直前の記事で紹介した幡頭神社(はずじんじゃ)を経由して、同じ吉良町の蛇穴…

山乃辺 時久
1か月前
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伊川津貝塚 有髯土偶 6:塩の里の円墳

「有髯土偶 5」の記事で経緯を説明したように、愛知県西尾市吉良町の蛭子社(えびすしゃ)から同じ吉良町にある吉良饗庭(きらあいば)塩の里に向かいました。吉良饗庭塩の里に…

山乃辺 時久
1か月前
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伊川津貝塚 有髯土偶 5:ハタガシラ→ハズ

愛知県西尾市吉良町の蛭子社(えびすしゃ)から次の目的地である塩の里に向かうため、海岸道路を北西に向かいましたが、この時、蛭子社から海岸道路を挟んだ向かい側に幡頭神…

山乃辺 時久
1か月前
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固定された記事

伊川津貝塚 有髯土偶 1:荒ぶる文

愛知県内の個人的な土偶調査は豊田市で終了と思い、すでに岐阜県にも手を広げ始めたところ、愛知県内の田原市でも土偶が出土している情報にぶつかったため、田原市を巡ることにしました。田原市から出土した土偶で頭部、あるいは体部がほぼ完全な土偶で開示されている土偶は「有髯土偶(ゆうぜんどぐう)」と呼ばれている土偶1点のみのようです。ただし、愛知県内で展示されている、その有髯土偶はレプリカで、実物は東京大学に収蔵されています。 昨年の9月下旬、有髯土偶の展示されているという田原市渥美郷土

伊川津貝塚 有髯土偶 19:三尸虫のために朝まで呑み会

愛知県大府市(おおぶし)大東町(だいとうちょう) 神明社の北東4.3mあまりにある大府市共栄町の神明社に向かいました。この日は名古屋市内からスタートしたので、北側から共栄町 神明社に接近する形になりました。 共栄町の神明社に着いてみると、前に1度来たことのある神社だった。 共栄町には共栄遺跡という旧石器時代の遺跡があり、共栄遺跡に向かう途中にあった共栄町 神明社に遭遇した。 最初にやって来た時の共栄町 神明社は、個人的に遭遇した愛知県内の神明社では2番目に社地も社殿も大きな

伊川津貝塚 有髯土偶 18:弁財天と水路

前回と同じ2023年10月中旬、愛知県刈谷市小垣江町(おがきえちょう)の秋葉神社貝塚から北東4.7mあまりにある愛知県大府市(おおぶし)大東町(だいとうちょう)の神明社に向かいました。この2ヶ所の間には今辿っているレイラインの北側の起点になっている刈谷市(かりやし)の本刈谷(もとかりや)貝塚があります。初めて三河と尾張の境になっている境川(さかいがわ)を西側に超えました。 大東町 神明社は周囲を畑地に囲まれた住宅街の1画にあった。 西側を南北に流れる延命寺川と東側を南北に流

伊川津貝塚 有髯土偶 17:町内の小社の本宮は

愛知県刈谷市小垣江町(おがきえちょう)の小垣江神明神社から北東240mあまりにある刈谷市小垣江町の秋葉神社に向かいました。小垣江町には秋葉神社が2社存在し、目的地は字中に位置する秋葉神社です。中の秋葉神社は平安時代以降に成立した秋葉神社貝塚の中に存在しています。平安時代以降の遺物しか出土しない貝塚って少数派ですね。 小垣江町中の秋葉神社に到着した時にはかなり陽が落ち、この日巡る最後の場所になりそうだった。 中 秋葉神社の社地は周囲が一般道に囲われ、玉垣や塀や石垣など無い解放

伊川津貝塚 有髯土偶 16:トヨクムヌとオオアガタ

碧南市(へきなんし)半崎町(はんざきまち)の西端八剱神社(はっけんじんじゃ)から北々西5.7km以内にある刈谷市小垣江町(おがきえちょう)の小垣江神明神社に向かいました。高浜市を経由して、名古屋碧南線(なごやへきなんせん)を北上すると、小垣江神明神社社頭脇に位置するファミリーマートの前に到達しました。その時にはかなり陽が傾いてきていました。 地図を見ると、ファミリーマートは小垣江神明神社社地の一部が活用された店舗のようです。 小垣江神明神社社頭脇に位置するので、ファミリーマ

伊伊川津貝塚 有髯土偶 15:石柱のメッセージ

愛知県西尾市川口町の浅間神社(あさまじんじゃ)から北々西7.7km以内にある碧南市半崎町(はんざきまち)の西端八剱神社(はっけんじんじゃ)に向かいました。矢作川(やはぎがわ)を超えると西尾市を出て、碧南市に入りました。 南側から西端八剱神社に向かって北上していると、道路の両側に対になった4、5mの高さのある大きな石柱が建てられている場所に出た。 すぐ先には大鳥居が見えている。 何だろうと石柱の4面を見てみると、左側の石柱の裏面(?)には大きな文字で「敬神」、右側の石柱には

伊川津貝塚 有髯土偶 14:役行者結び

愛知県西尾市吉良町の天竹神社(てんじくじんじゃ)から県道41合繊と豊田一色線(とよたいっしきせん)を経由して、北々西2.3kmあまりにある川口町の浅間神社(あさまじんじゃ)に向かいました。 豊田一色線(とよたいっしきせん)から農道に入って、延々と畑地の中を通り抜けると、開けた草地にカラフルな滑り台とカラフルな鳥居のある場所に到達した。 そこには公民館と思われる建物もあり、その脇に愛車を駐めた。 そのカラフルな鳥居は南々西を向いており、社地の南の外れに設置され、かつての表参道

伊川津貝塚 有髯土偶 13:崑崙人の棉

愛知県西尾市吉良町の白山公園内に位置する「蛇穴(じゃあな)」の北北西2.5km以内に位置する天竹神社(てんじくじんじゃ)に向かいました。天竹神社の東160mあまりの場所には南北に矢作古川(やはぎふるかわ)が流れています。 愛車で南西向きの天竹神社社頭に着くと、一般道を挟んだ向かい側に広い空き地があったので、そこに愛車を入れた。 後で地図を確認すると、その空き地も天竹神社の社地で、一般道が社地を南北に2分していることが判った。 北側の社地だけ、石垣を組んだ上に玉垣が巡らされ

伊川津貝塚 有髯土偶 12:穴と坂

愛知県西尾市吉良町の白山公園内に位置する「蛇穴(じゃあな)」は見つけましたが、「蛇坂(じゃざか)」の方が見つかりませんでした。蛇穴を探している時に青龍山 金蓮寺(こんれんじ)と裏山の道でつながっている饗庭神社(あいばじんじゃ)の存在に気づいたので、蛇坂を探すために饗庭神社を丘陵麓の社頭から辿ってみることにしました。饗庭神社自体は今回辿っているレイラインからは外れています。 愛車で金蓮寺の駐車場を出て、金蓮寺南側の農道を東に70m近く移動するとT字路があり、そこからなだらかな

伊川津貝塚 有髯土偶 11:修験の道

愛知県西尾市吉良町の青龍山 金蓮寺(こんれんじ)の不動尊と弥陀堂の間を裏山に向かうと白山公園の登り口がありました。そこから20mあまり北に向かって山道を登るとT字路にぶつかりました。そこには道路標識があったのですが、ヘッダー写真のように文字が完全に消えてしまっていて、読めなかった。道は東に向かって登り坂になっている。目的は「蛇穴(じゃあな)」だったが、ほかに「蛇坂(じゃざか)」という場所もあるようなので、この登り坂が「蛇坂」で、その先の「蛇穴」がこの道標に表記されていたのかも

伊川津貝塚 有髯土偶 10:蛇との関わり

愛知県西尾市吉良町の小山田神明社から、同じ吉良町の北北西720mあまりに位置する、青龍山 金蓮寺(こんれんじ)に向かいました。本来は「有髯土偶 6」の記事で取り上げた岩谷山第1号墳から蛇穴(じゃあな)に向かう予定でしたが、予定外で途中、多くのものに遭遇し、蛇穴も金蓮寺にやって来てから金蓮寺の境内地内に存在するらしいことを知りました。 農道をたどって青龍山 金蓮寺に着くと、金蓮寺は農道に面した南側に石門があって、その右手に駐車場があったので、そこに愛車を入れた。 石門には「

伊川津貝塚 有髯土偶 9:シイノミとシイタケ

愛知県西尾市吉良町の壁のようにそそり立つ石段を持つ小山田神明社の拝殿は、その石段の正面10m以内にありました。その拝殿前までは北側から社殿の東側に登ってくる舗装路を愛車で上がってきたので、気づかぬうちに、脇参道の下り坂を降りてしまいそうになり、危うく境内を通り過ぎるところでした。 愛車を境内の東の入り口に駐めて拝殿の前に立つと、2.3mほどの高さに石垣を組んで、その上に玉垣を巡らせた段上に瓦葺入母屋造平入の拝殿が設置されていた。 拝殿の正面の壁は1本木の長い舞良子(まいら

伊川津貝塚 有髯土偶 8:足を踏み鳴らす青面神

愛知県西尾市吉良町の秋葉神社から、さらに矢崎川の左岸(東岸)の堤防上を北上すると、100m以内で国道247号線にぶつかりましたが、そこから北は一方通行で北上できませんでしたので、北上できる右岸(西岸)に渡りました。247号線から矢崎川堤防上の道を480m近く北上していると、左手の堤防脇に剪定されたされたマキに囲まれた瓦葺で黒い堂のような建物の前に出ました。 その建物は矢崎川の堤防上の道路が狭いことから、安全に参拝できるように堤防を背にして南西向きに設置されていた。 その建物

伊川津貝塚 有髯土偶 7:新羅王倭人説

愛知県西尾市吉良町の岩谷山第1号墳のある吉良饗庭(きらあいば)塩の里から県道316号線で、すでに直前の記事で紹介した幡頭神社(はずじんじゃ)を経由して、同じ吉良町の蛇穴に向かうため、再び316号線で海岸通に戻り、そのまま600mあまり西に向い、矢崎川の左岸(東岸)の堤防上を北上することにしました。この堤防上の道は幅が5mほどのコンクリート舗装で走りやすい道路でした。 矢崎川の左岸に入り、北上していると途中、堤防沿いに地蔵堂のある場所を通り抜け、名鉄蒲郡線(がまごおりせん)の

伊川津貝塚 有髯土偶 6:塩の里の円墳

「有髯土偶 5」の記事で経緯を説明したように、愛知県西尾市吉良町の蛭子社(えびすしゃ)から同じ吉良町にある吉良饗庭(きらあいば)塩の里に向かいました。吉良饗庭塩の里には岩谷山(いやだにやま)第1号墳が移築されているからです。 海岸通の蛭子社の北240mあまりに位置する吉良町若宮西の堤防上の遠景から蛭子社の杜全景を撮影した時、 その堤防上から三河湾の波打ち際のある狭い砂浜に降りてみた。 砂浜がある場所を通りかかった時には必ずその海岸で、波に洗われてスリガラス状になったガラ

伊川津貝塚 有髯土偶 5:ハタガシラ→ハズ

愛知県西尾市吉良町の蛭子社(えびすしゃ)から次の目的地である塩の里に向かうため、海岸道路を北西に向かいましたが、この時、蛭子社から海岸道路を挟んだ向かい側に幡頭神社(はずじんじゃ)の社号標があることには気づいていませんでした。幡頭神社の本殿がレイラインの基本にしてある中心線から250m以内にあると思っていなかったので、この時は幡頭神社のことは取り上げる予定ではなかったのです。 その社号標は石造で、蛭子社の北側の、海岸道路が90度(下記写真は広角レンズのため、ヘアピンカーブに