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私が意外と意識しているのは、目標に対して行動のピントがずれていないか?ということ。

そもそも、ピントって何?って人もいると思うので、下記参照。

ピント
〘名〙 (brandpunt から)

① 写真機や目、眼鏡などのレンズの焦点。
※造化妙々奇談(1879‐80)〈宮崎柳条〉五「物像〈略〉又束小し尖(とがり)て点(ピント)の如く一中枢を合成し、其尖点(ピント)、恰(ほどよ)く脳筋衣に達すれば即ち善く明らかに見ゆる也」

② 物事のいちばん重要な点。中心点。また、考えや気持などが集中する一点。
※終りの火(1948)〈檀一雄〉「気持のピントがぼやけてきたやうに思はれた」

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私が言いたいのはこの②の方。

意識しないで生きていると、物事の選択が感情的だったり、流動的だったりして意外とピントのずれている選択をしがちだ。

自分の行動では中々気づきにくいけど、周りを客観的に見た時にそれは顕著に出ていたりするので、自分の行動を振り返って見た時に、自分のピントのズレに気づき、慌てて軌道修正をする。

他人に対してピントがずれているなと感じること自体、もしかしたら傲慢なのかもしれないけど、自分の行動や言動は人間なら誰しも肯定したいから、何かが起きない限りは「自分の過ち探し」なんてしないじゃん。

できるだけ、自分は間違っていない方向に持っていきたがる。
そして生まれるのが、自分を守るためのくだらない言い訳であったりもする。
ってことで、人の振り見て我がふり直せじゃないけど
他人のピントのズレを感じたところから自分にも意識を向ける。

ピントがずれた努力って、私は実を結ばないと思っている。
目標達成と真逆な努力をしている人も沢山いるし、それでも「努力」したことには変わりはない。ただ、結果に繋がらないというだけ。

でも、冷たくいうと、どれだけ間違ったやり方で「努力」をして結果が出なくても、「結果より過程」が大事という言葉で日本人は片付けるから、ぶっちゃけその努力の仕方・方向性が間違っていたことに気づかないで終わってしまう人が多い。

自分が一生懸命にやったことこそ、結果が伴わなかったときに、その原因を追求することは非常に苦しい。思い出したくないことでもある。だから、どうにか美化させて、自分の中に落とし所を作らないと心が持たない。

「ピントがずれた努力」という言い方は小学生にはわかりづらいと思うから、同じ「努力」でも目標に対してやっていることが「勝つ努力」と「負ける努力」では出る結果は正反対だ!ということを昔はよく子供達に言いつづけた。

簡単に言えば、50m自由形のベストが32秒の子供が数ヶ月後に30秒で泳ぐために、25mのdive(飛び込んで25mを泳ぐ)を16秒で泳ぐことを「努力」とするならば、本人にとっては一生懸命やっているかもしれないけど、到底30秒では泳げないという話。なぜなら、30秒で泳ぐために前後半がevenになることは10歳以下の選手ではほとんどない。
 
前半を少なくとも14秒台真ん中あたりで回らないと30秒はでないという予測は水泳コーチなら誰でもするだろう。もちろん、練習と本番で大きくタイムが変わる子もいるので絶対ではないが、努力の話という意味でこのタイムを例に挙げた。

だから、一生懸命16秒で泳いでも努力かもしれないし(自己ベストから考えれば本当はもっと速く泳げると私は思うけど)、ベストは出るかもしれないけど、目標達成という意味ではその努力では実らない。

当たり前のことだけど、意外とこれはみんな見落としがちというかスルーしがち。でも、実際はこれにどれだけ早く気づけるかなのだと思う。

もちろん、願えば魔法のようにタイムが上がるなんて奇跡的なこともないし、タイムが良くても泳ぎがレースで支えなければ意味がなかったりもするから難しいことではあるけど、タイムという指標だけで考えれば分かりやすいだろう。

レベルが上がれば上がるだけ、その努力の仕方・方向性・中身(内容)はすごく重要になってくる。

きっと、これは水泳に限らず他競技でも同様だと思うし、レベルや年齢を問わず、目標を達成したいと思った時に必要になってくることだと思う。

自分のピントがずれていないか?を確認する方法は沢山あると思うけど、
傷つきたくないなら、自分の周りでピントがずれているなと思う人の「良いところ・改善すれば良いのにな思うところ」を挙げてみる。

この時に、素直に相手の良いところをピックアップできるかが大切。悪いところはさておいて、良いところをとにかく沢山考える。

ピックアップした良いところ・改善点が自分の行動やマインドの中に当てはまるか?考えてみる。

大抵、人に対して自分が感じる「嫌なところ」って自分の嫌なところでもあったり、自分がやらないように気を付けているところだったりもするからわかりやすい。
そして良いところを認識することで、相手への最低限のrespectも自分の中に持てる。

人間だから、良いところもあれば悪いところもある。自分も相手もそれは同じだ。

だからこそ、良いところも悪いところも含めてその人だと受け入れた上で
自分と重ねて見てみればいい。

意外と自分もこれはできていないなーとか、自分も目標に対しての行動が曖昧だったなーとかそんな気づきも生まれるし、客観的にみることもできる。

もし、ピントがずれていると感じたなら、今後の改善策と同時にどういう時に自分はピントがずれやすいか?なども考えてみると対策がしやすい。

そして、最後にちょっとピントがずれているなと感じた人に対して「大事な気づき」を与えてくれたことを感謝をすればいい。

感謝をすれば自分の氣も上がるし、幸せになる。

ピントって絶対に大事だから。そこだけは外しちゃいけないよね。
これを書きながら、私もそれを痛感しています。
GWが終わって、夏が近づくにつれて、このピントが本当に大事になる。

わからない人にはきっとわからないと思うけど、ピントが全てだよ。
頑張ったのにダメだった・・・けど、そこまで頑張ったことに意味がある!っていうのが日本人は大好きだけど、確かに意味もあるかもしれないけど、達成したくて必死に頑張っているなら達成するための努力をした方が良いに決まっている。

だから、目標としているところに行くための努力とかけ離れた選択(努力)をしている人に対して先生やコーチたちは、その努力の仕方だとあなたが行きたいと言っているところに届かないから叱咤激励をしたり、時に怒ったりする。毎日怒っている人もいるかもしれないけどね(過去の私はそうでした)。怒られたら、誰だって嫌だし、ムカつくと思う。でも、図星なことほどイラっとするんだよ。事実じゃなければ、怒られていても途中からなんか冷静になっちゃうもんね。コーチたちも怒りたくて怒っているわけじゃなくて、ここでちゃんと言わないと目標から遠ざかるし、その子にとってその選択が良いことではないから心を鬼にしてエネルギーを使って怒っている。選手を怒った後って、想像もつかないくらい魂を持っていかれるくらいヘロヘロになるんだよ。やけ食いしたくなるか、即寝したくなるくらいエネルギーなくなる。もちろん、コーチだってモヤっとしているのは残るし、怒った後でも選手のこと考えてる。言いすぎたかな?大丈夫かな?って誰でも多少なりとも気にはなる。

そもそも選手が達成したい目標にどうにか行けるようにと必死に考えてコーチって指導をする。
ない知恵を絞り出して練習を考えて、みんなが遊んでいるときに必死に勉強して、選手の想いはもちろん会社や保護者からのプレッシャーに負けないように自分を鼓舞して。自分がやりたいことなんかより、選手のことを考えている人がほとんど。残念だけど、そうじゃない人ももしかしたらいるかもしれないけど、そういう気持ちがない状態でコーチをやれるほど楽な世界ではない。

でも、こういうコーチ側の気持ちなんて全くわからない選手たちも沢山いるし、やり方が上手くないコーチも沢山いる。それが現実であり事実。

自分の叶えたい目標に対して間違った方向性の努力や内容を選択しないことを本当はもっと自分自身が理解して選択をした方がいい。そういう嗅覚もすごく大事。

果たして、自分は

・「楽をしたいのか?(いま笑って本番で泣きたいか?)」
・「結果を出したいのか?(いま結果を出すための選択をして(泣くほどきつい練習)、本番で笑いたいのか?)」

どちらなのか?を自分に聞いて見た方がいい。
どっちもはない。両方を取ることはできない。

それを理解して、正しい努力の方向性・内容を考え、コーチと話し合い、共有した上で強化ができることが一番良いのだろう。

水泳の話に繋げたが、結局のところこれはどの分野においても共通していると思う。

とにかく、ピントを合わせて、正しい努力をする。これに尽きる。


これを読んだ選手・コーチ・関係者
そして全く水泳関係者じゃない人たちにとっても何かのキッカケになったら嬉しいです!


では、また!!!!
Mina37

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