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鑑賞ログ「英雄の証明」

220512@長野ロキシー

アスガー・ファルハディ監督作品。
映画館で予告を観て、その不安定な印象から鑑賞決定。

起業を口実に出資金を騙し取られたと元妻の父(元義父)・バーラムに訴えられ、服役中の主人公・ラヒム。一時的な釈放を得た2日間のうちに借金の一部を返済し、訴えを取り下げてもらうべくバーラムに連絡するが、全額を一括で返済しなければ訴えは取り下げないと拒まれる。
しかし、その返済の元手となるお金は実は恋人が偶然拾った金貨のおかげだった。そのため、金貨を持ち主を返すことにしたことから、さまざまな問題が次々と起こり…という物語。

金貨を返すために街中に貼った持ち主探しの張り紙の連絡先を服役中の刑務所宛にしたラヒム。持ち主から電話があったために、ラヒムの善行を刑務所の幹部が知ることとなり、刑務所のイメージアップの宣伝に利用されるし、ラヒムも借金踏み倒しの名誉挽回のためにアピールの場としてそれを利用していく。

作品の中には完全な悪人もいないし、完全な善人もいない。主人公以外の登場人物みんなが良心を持ちながら猜疑心を捨てられない。主人公は英雄になったり、蔑まれたり、攻撃される側となったり、攻撃したりと目まぐるしく立場が変わっていく。主人公も決していいヤツではなく、ずるいところもある。さまざまな場面で選択を少しずつ間違えたことがやがて彼の運命を大きく変えていく。でもきっと、ラヒムは本当の悪人でもない。だからこそ彼の愚かさが観客としてもどかしい。
登場人物それぞれに正義があり、立場が変われば誰かの敵になり、一方の味方になるということなんだろうな。感動ポルノにも通じる醜悪ささえもある。良くも悪くも、物語の中のラヒムの最初の罪の真実さえも危ういと感じる不安定さ。
一方で、ラヒムの息子で吃音症のシアヴァシュ(かわいい)と刑務所の中で恋人を作り出所後には恋人との結婚を望むラヒムとの親子関係が切ない。
追い詰められて精神的な限界を迎えた時、最後の最後の局面で選択を間違ってしまうことってある。それが裏目に出ていくことが続くと…つらい。登場人物の誰にも共感できないけれど、それが嫌じゃないのはなぜなんだろう。少し舞台的な演出なのかもしれないな。

うむ、いい作品だった。ヒリヒリする作品ではないけれど、登場人物の人物造形が多層的で見応えのある作品という感じだ。
冒頭のラヒムの出所シーンとラストのシーンの対比がとても映画的で、ラヒムの恋人が階段を降りていくシーンの高揚感も良かった。遺跡で働いている義兄をラヒムが訪ねる冒頭も観たことのない風景で良かったなー。

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