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マユリカに助けてもらうなんて

白血病になった。
それはそれは急なことだった。

昨年末、息子の胃腸炎がうつってゲロを吐くようになったと思ったら実は妊娠していた時のように、妊婦だから身体がめっちゃ疲れるわと思っていたら実は白血病になっていた。

治療の道筋が見えてきた今でこそ病気について笑えるようになってきたが、告知当時の私はずっと心が壊れる5秒前みたいな状態だった。

白血病の治療は性質的に、抗がん剤の効果があったかどうかは最終日に骨髄をチェックするまで分からない。
そのため治療中は「これで本当に良くなるのか」「この治療で効くのか」という不安を抱えてずっと過ごすことになる。
だから精神的にキツかった。どうしても心のどこかで治療が効かなかった時のことを考えてしまうから。

とはいえずっと不安定な心で居ると、眠れなくなったり、体力が落ちたり、免疫が下がっている体にとって良いことは起きない。体もだけどシンプルに心がめちゃくちゃ辛いし。だから気を紛らす必要があった。

病気の私を救ってくれたのは、人生の半分を賭けて大切に聴いてきた音楽でも、生活の要所要所で美しい言葉から安心を与えてくれた小説でもない。

マユリカだった。
圧倒的に、マユリカだったのだ。

そもそも何故音楽や小説が私を救ってくれなかったかというと、その大部分が『現実と即すコンテンツ』で成っていることに起因すると思う。

たとえば美しい小説を読むこと。病気になる前の私が大好きなことだった。
だけど、大好きだった小川糸氏のエッセイが読めなくなったのも、何冊か持ち込んだ小川洋子氏の文庫が読めなくなったのも、小説の中の美しい世界に浸ろうとするたび、自分の状況を相対的に思い出してしまうからだと思う。

たとえば小川糸氏のエッセイに出てくる台所仕事の描写を読むたび、「こういう暮らしがしたいなあ」「丁寧に作業をして気持ちがいいんだろうな」というような感想が無意識のうちに出てくる。
これはその実「こんな暮らしは出来なくなってしまった入院中の自分」や「台所に立って気持ちをスッキリさせることは出来ない状況」を思い起こさせる。他の人がどうかは知らないけれど、私はそういうネガティブなモンスターなのだ。

音楽だって同じだ。
音楽に関しては詞の表現にプラスして、健康だった時この曲を聴いていた思い出や、ライブで聴いたらどうなるだろうという想像、この曲から想起される感情や人の顔。聴くだけで色んなことが浮かぶ。
そしてそれが今、理不尽に奪われている苦しみがグワっと押し寄せてくる。

気を紛らすどころか、全てが自分の現状を憂う引き金になってしまっていた。
もちろんそれらのカルチャーに悪いところは一つも無い。私の心の持ちようが病気によって変わってしまっただけなのだ。

基本的に内省的な娯楽を音楽と読書しか持ち合わせていなかった私は、気を紛らすことが上手くできず、毎日のように良くない想像をしてはデトックスのような涙を流す日々を送っていた。

そんな風に体も心もズタボロに疲れてしまっていたある日、唐突に私を救ってくれる存在ができた。
それがマユリカだ。

マユリカは吉本興業に所属する3歳からの幼馴染のお笑いコンビだ。
M-1の準決勝にも出場経験があり、勿論それなりに有名なので、私もその存在や一部のネタは知っていた。ちなみに一昨年のM-1の敗者復活では彼らに投票もしている。

それなりに知っていて、ネタも見たことがあって……と、同じくネガティブの引き金になりかねない彼らと他のカルチャーとの間にどんな違いがあったのか。
これは恐ろしいことに、マユリカがネガティブな引き金を引く間もないほど「圧倒的に面白かった」ということだけなのである。

病床でマユリカに再度出会った入口は『マユリカのうなげろりん!!』というpodcastだった。

当時の私は大喜利投稿系のラジオを好んでおり、ネタコーナーのあるラジオこそ至高。そこに至るまでのトークは繋ぎでしかない。くらいのことを平気で思っていた。
そもそもラジオへの造詣がまったく深くなく、芸人のラジオを聞き出したのもここ最近の話だった。

だから初めて『うなげろりん』を聞いたときの衝撃はエグかった。あえてエグかったと言わせていただく。

忘れもしない、初めて聞いたのは『#93 3Pって何がいいん?』という回だった。
タイトルがおかしい。おかしいけれどとりあえずその時の最新回だったので無視して聞いた。

これ☝️

タイトルコールからすぐ、阪本さんが後輩芸人熊本プロレスさんの家に行ったエピソードが始まる。

本当にしょうもないけれど「熊プロが枝豆をぷりぷりぷりぷり剥いていた」と言う阪本さんの、何気ない話し方に爆笑してしまった。私と同じタイミングで相方の中谷さんが笑ってくれたのもとても良かった。気持ちよく笑える感覚があった。

他にも「ネルソンズ青山さん(先輩)も呼ぶと思えへんくらい家散らかってるねん」「デカいブラジャー吊ってあって、サバか何かかと思った」と話が淡々と進んでいくのに対して、ポンポン面白ワードが飛び出してくる。阪本さんの言い方も面白いし、中谷さんの反応も毎回良い。
まだ入りのエピソードにも関わらず、この話で一回自分の笑いが帝王切開の傷に響いて、痛すぎて再生を止めた。

面白すぎてすごい、と思った。

それから1ヶ月かけて全話聞いた。そんな今になると分かることだが、別にこの回が特段の神回というわけではない。
毎回こんな感じで2人が駄弁って、毎回こんな感じでめちゃくちゃ面白いのだ。
エピソードの内容が面白いのはもはや当然で、話し方や相槌、お互いの声、そのトーン、そして彼らの空気感。このラジオを構成する全てが面白かった。

よく『うなげろりん』は「幼馴染2人の会話を横で聞いているようなラジオだ」と評されるのを見る。
だけどこんなに面白いツレがいる人が世の中にそうそう居るわけないと思う。
この2人のトークは恐ろしいほどプロの仕事で、それが幼なじみであるという基盤でもってより引き立っているという方が正しい気がする。

それからマンゲキのYouTubeでマユリカの出演回を見たり、FANYで配信を買ってライブを見たりした。タイミング良く単独をやっていたのでそれも買って見た。面白かった。
映像を観るのは体力を使うので、入院してから何かを観たいというモチベーションは下がっていたが、これらは不思議と最後まで楽しく観ることができた。お笑いの持つ力は果てしない。

そうしてマユリカのお笑いに日々を消化してもらいながら、私は一時寛解までの入院期間を無事過ごすことが出来た。
こう簡単に書いたが、本当に『うなげろりん』が無ければこの入院期間はずっと地獄だっただろうし、色んな良くない想像をし続けて心がどうにかなっていたと思う。
その不安やネガティブな想像を良い具合に散らしてくれたのが私にとってはマユリカだった。何日もあった眠れない夜は、マユリカを知ってからずっと『うなげろりん』の過去回を聞いて過ごすようになった。夜に忍び寄る不安は彼らの話すしょうもないキモエピソードの中に消えていった。

何故、私を救うのはお笑いなのか。
それは単純だけど、お笑いが与えてくれるものが「笑い」だからかもしれない。

音楽や小説などを受け取る時、多分私は無意識の内に色んなことを考えている。
また、そこから何かを得ようとしたり、人生において大切なものを取り出そうとしたり、深読みしたり、心を動かしたり。きっとそんなことをして、色んな感情を味わっている。

だけどお笑いを受け取る時、そんなものは無い。たとえ無意識下でも無い。
ただ笑っているだけだ。相手が差し出してくれたお笑いを見て、素直に楽しむ、それ以外にすることがない。
彼らはただ笑うことに没頭させてくれる。だから余計な感情を使う必要がない。他のことを考える必要もない。笑っているだけで時間が過ぎる、しんどい時間から笑いの時間の中に引き込んでくれる。

だからお笑いなんだと思う。
どんな考えや感情から派生して不安にアクセスしてしまうかわからない。だから他の感情がいらない、入り込む隙もない、「笑い」だけを求めたコンテンツであるところのお笑いが救いになるんだと思う。
私が早い段階で、「笑い以外入り込む隙の無い」純度が高いお笑いをやっているマユリカに出会えたのは幸運だった。

結局、一時退院までずっと『うなげろりん』を聞き続けた。
阪本さんは話す全エピソードが面白く、コメントからも不意にボソッと呟く一言からもお笑い力が強過ぎることを実感した。大喜利も強く、キャラも面白く、本当に天才だと思う。
また、中谷さんの底抜けの明るさと持ち前の変態性はどうだ。こちらもキャラが面白く、相方のエピソードに突っ込むワードセンスが抜群に面白い。そしてどんな酷い仕打ちに対しても悲壮感の無いリアクションをしてくれるおかげでラジオ全体が気持ちよく聞ける。
この2人でマユリカは最強だ。

大切にしてきた音楽でも、小説でもなく、マユリカに助けてもらうなんて。
今まで大切にしてきた趣味がある意味で無意義だったことに憤慨しつつも、心の底からありがたいと思う。勝手に救われた身だけど、救ってくれてありがとう。

彼らは今年のM-1で優勝すると思う。
唐突だけど私のこういう勘は結構、当たる。

お笑いは偉大だ。笑う以外のことを考える必要がないから。
いつかこの病気が完治したら、神戸の街に家族を連れて行きたい。そして願わくば彼らの舞台を生で見てみたいと願うばかりである。

【2023/11/10】
せっかくなので #好きな番組  に参加しました。
みんなに届けあの時のありがとう✉️

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