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📝人に読んでもらえない記事はダメな記事なのだろうか?

2024/04/30(火)

こんにちは。毎日がGW、うつ病で絶賛無職の葛木深琴です。みなさまは、いかがお過ごしでしょうか。

さて、今回はタイトルの通り「人に読んでもらえない記事はダメな記事なのか?」というお話。結論から言えば、僕はダメな記事はないと思います。少なくとも無料で書いている限りは。

有料記事となると、お金という対価をいただくわけなので、それなりのものを仕上げる必要が出てきます。しかし、無料でやってるうちは「人に読んでもらおう」とか、そもそも最初は考えなくて良いと思うんです。

noteでは、「読んでもらうには、こうすればいい」というハウツー記事がたくさん出ていますね。僕も、スキやビュー数を伸ばしたくて読み漁ったりしました。しかし、読んだら今度は「質の良い記事を書かなければ」というプレッシャーで、寝込んでしまったんですね。無料で好きでやっているにも関わらずです。

みなさんは、なぜ、noteという媒体で文字を書いているのでしょうか。僕はブログみたいな形で精神病患者の奮闘記を書けたら、同じように闘病している方、生きづらさを抱えている方の、励みになるかもしれないと思って書き始めました。

今は色んな記事を出してて結局何をやっているのか分からない人になっていますが、このアカウント、「葛木深琴」のテーマは「人生と闘え!」です。僕自身が、「今日は人生と闘えた。いい1日だった。がんばった。」まずはそう思えることが大事なんです。

noteはあくまで、それを言語化して残すための手段でしかないんです。僕は「創作エッセイ」という体で、現実をもとにしたフィクションを書いているのですが、最近これの執筆が詰まっているのも「良い作品にしなければ。面白いものを作らなくては」というプレッシャーからです。

みなさんもそんなプレッシャー、感じていないでしょうか?ネット上で記事を書く、それはただの日記と違って人の目に触れるものです。だから、人からの評価を気にしてしまう。

変なことを書いていないか、読みづらくないか、これを読んでいる人は面白いのか、僕は読者様の時間を奪うだけのダメ人間なのではないか、発想がどんどんネガティブな方へ引っ張られていきます。

けど、そうじゃない。そうじゃないんです。人に読んでもらう以前に、まずは自分の言葉でその時感じたことや考えたことを、言語化することに意味がある。そこにコメントやスキが来たりしたら、新たな発見があるかもしれません。でも、もっと自由に書いて良いはずなんです。

今回は他の誰でもない「自分へのメッセージ」としてこのような記事を書きました。この記事が他の方にも、共感してもらえるようなことがあったら嬉しいです。ありがとうございました。

後日談 2024/05/16
自分が誰かの記事を引用するように、自分の記事が引用されることもある。ということで、下調べはちゃんとやろうと思いました。


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