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スティーヴ・ライヒのマスターピース公演@「あいち2022」国際芸術祭に、ライヒのチャーミングな「持ちテクスチャー」を見た

あまりナマで聞く機会がない、現代音楽の雄、スティーヴ・ライヒのマスターピースを集めたコンサートがあるというので、「あいち2022」国際芸術祭に行ってきました。会場は名古屋市芸術創造センターのホール。草月ホールにも似た70年代テイストのナイスベニューであります。

ちなみにホテルは駅裏のチサンイン。これまた、新宿のニュースカイビル好きならば垂涎の円形ヴィンテージ建築バリバリのホテルで、このツインに泊まるのがワタクシの名古屋流儀。ライヒ自体の変形空間。

まずはミニマルミュージックの面目躍如たる『ピアノ・フェイズ』。テープとピアノが同じワンフレーズを弾き、その異相がだんだんずれていくとともに、その重層的な響きの中に耳が勝手にある旋律を聴き取り、それが刻々と変化していくという趣向の名曲。これ、「人間は世界を自分の物語(言葉)として限定的に受け取っている。つまり、どうしても旋律を探し、共感してしまう」ということに気づかされてしまいます。実はこれ、テクノDJの常套手段であり、ライヒのジャンルを超えた音楽の先見性が感じられるのです。

お次は『ヴァーモント・カウンター・ポイント』。ひとりのフルート奏者がコンサートフルート、ピッコロ、バスを持ち替えて、左右6機のスピーカーから流れるテープ再生フレーズとともに演奏していくという『ビアノ・フェイズ』の発展系。ピアノ〜と違って、明らかにカノンが構築され、気づかないままにそのフレーズが対位法的なポリフォニーになっているという、時空を越えたバッハの継承。

シュトックハウゼン、ブーレーズなどの批評性アンドスクラップビルド系の現代音楽作曲家と違い、調性音楽の快感を「それが、何か?」と大肯定しているところがライヒの特徴で、今なおダントツ人気の秘訣でしょう。後半演奏された、バット・メセニーのために書かれたギター曲『エレクトリック・カウンター・ポイント』もその体。突如現れるベースラインがまたカッコいいんだよねぇ。ミニマル・ループは、多くの後進たちが作曲していますが、ここまで1音1音ごとに編み込まれて、音楽そのものとウキウキと向き合っている作品はライヒならでは。

そして何と言っても『ディファレント・トレイン』ですよ。爆クラアースダイバーのvol.3は、同じ名古屋近郊の廃トンネル・愛岐トンネル群で行いましたが、その選曲のひとつがコレ(トンネルなだけに!) だったわけです。テープ再生とともに、バイオリン2、ビオラ、チェロのカルテットが演奏を行い、録音再生で サンプリングされた言語は、①ライヒの家庭教師による、ともに汽車に乗ったときの思い出話③NY、ロス間の寝台車の老ポーターによる回想②ホロコーストの生存者の言葉。

ワタクシ自身の記憶でも、映画『鉄道員(ぽっぽや)』でも、『世界の車窓から』でも、人々の中で無意識にたたき込まれている、列車のイメージが音楽によって意識下から引き出されていきます。そう、これは「移動」に対する乗り物と人間との物語。「移動」はたのしみである一方で、別離や土地を離れる不安と紙一重(だからこその、甘い少年期の思い出話から、アウシュビッツ行きの収容列車を知る体験者の言葉が散りばめられるわけです。)ちなみに、矢野顕子とレイハラカミのユニットyanokamiの大名曲『Night train home』は絶対、これがモチーフだな。

そして、最終曲の『ダブル・セクステッド』はその進化形。楽器はヴィブラフォン、クラリネットも加わって、多彩なポリフォニーが奏でられていきます。でも、ライヒ、和声感やフレーズは「お気に入り」をあんまり動かさないタイブですね。使う「色と素材(テクスチャー)」が最初から決まっている。考えてみれば、名だたる現代音楽作家は、メシアンにしろ、ノーノにしろそれがあり、その「持ちテクスチャー」が自分の好みに合うかどうかが、ひとつの判断基準ですよ!

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