思いやりが導いた自信喪失
ゴールデンレトリバーのマティンロウを飼い始めて今年の11月で3年になる。
YouTubeに出てくるお利口ゴールデンとは全く違う、超わんぱくゴールデン。
でも毎日寝る前に「うちに来てくれてありがとう」ってギューってする。
「うちに来て幸せ?」って聞くと、急に勢いよく立ち上がるから、顎がガツンとなって下唇を噛む事もよくある。
幸せってことらしい。
今でもわんぱくは健在だが、散歩の引っ張り以外はこちらの指示を聞けるようになっている。
でも何よりも散歩の引っ張りをどうにかしたいのだが、どうにもならない。
それは、飼い主の根性がない事に原因あり。
以前はドッグスクールに通っていたが、飼い主が挫折した。
我が町にボランティアドッグトレーナーさんがいるためそこにも通っていたが、飼い主が挫折した。
どちらのトレーナーさんにも共通する事は、
褒めない。認めない。共感しない。
犬にも飼い主にも。
犬の躾の社会ではそうなんだろうか…。
飼い主としては何の自信もつかず、躾に対する悩みの解決にも至らなかった。
マティンロウだって、褒めて認めてもらえたら尻尾ブンブンしただろう。
何年も前から仕事では、新人には叱るなという風潮になっているが、その気持ちがわかったような気がした。叱られずとも、努力やそれまでの過程を認めて貰えない悲しさと言ったら…
わんの躾においては、認めて貰えずすぐに辞めてしまった新人になった…
自分もいつの間にかイマドキになっていたんだ。
最近、思いやりって何だ?と思う事があった。
調べてみても、自分が思っていた思いやりの認識とズレはない。
でもそういう思いで掛けた言葉や行動も、相手の受け取り方次第ではただの迷惑になってしまう。
そう…なってしまったのだ…。
それからドッグスクールの時と同様、自分に自信をなくしたのである。
思いやりって、何?
思いやりって、自己満足…?
でも、思いやる気持ちはいつも持っていたい。
それがいかんのだろうか…
看護学生時代、ヨシ子先生はいつも
「看護とは何ぞや」
と、看護論を熱く熱く語っていた。(が…覚えていない)
今回はそれを使わせてもらう。
思いやりって、何ぞや?
noteでの出会いに感謝します
☺︎マティ☺︎
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