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理系か文系か問題

まぁ雑談の時には、タイプを抽象的に括ることで
何かと便利に話が運ぶことが多い


関西西出身とか
犬好きとか
オタクとか
朝方タイプとか


その一つに
理系とか文系とかも含まれると思う。


確かにはっきりと
出身学校とか、出身学科によって
理系文系は分かれるし
その視点から見ると、
明確にグルーピングすることは可能だけど


理系に文系がいないかといえば
そんなこともないし
バリバリの文系だけど、
思考は理系と言われる人もいる。


だから、括るってのは
まぁエンターテイメントみたいなもんで
人が便宜上、話の都合でそうしているだけとも言えるんじゃないかな。
そうした方がわかりやすいし面白いから的な。



現に私は理系でもあるし、文系でもある。
どっちも行ける。
お酒を飲みながら饅頭食べるみたいな
そんな感覚かもしれない。



別にそれがいいわけでもないし
ただ生きてたらそうなった。ってだけの話。


つまり何が言いたかったかっていうと


人はなんでも都合よく
人をくくりたがるってこと。


しかしながら共通点を見つけて括ると
一気に同志感が芽生えて距離も近くなるのも確か。


えー関西出身なんですか!!!


で地元にいた時はみんな関西だから
そんなことは思わないけど、外に出て
出身がバラバラになった途端
関西という共通言語を見つけた時には
一気に仲間認識をする不思議。


理系も文系も
きっとそんな感じで便宜上の共通点の一つ
だと思ってたけど



妹を見ていると一概にそういえないとも思えてきた。
確実に理系の思考と文系の思考が存在することがわかる



妹は完全なる理系脳の持ち主で
全てを数値に置き換えて脳内処理をするらしい。



数値やデータに置き換えれないものや
曖昧な感覚値を捉えるのはどうやら苦手らしい。


そして、「適量」という言葉がわからないらしい。
人によって相対的に変化するものに対して
かなり拒絶感がある様子で


料理本によく書かれている
ひとつまみに対しても
同様の認識をしていて面白い。


私のひとつまみと
この人のひとつまみでは
指の大きさも感覚も違うから
それだけで同じものが作れると思えない


という理系で重要視される「再現性」や
「正確性」について突いてくる。


レシピ本ならこの味が再現できるように
正確な数値で表してほしい
というのが妹の言い分だけれど


私からすると
まぁそれがその人の「味」になるんだから
いいじゃない?という考えと
だいぶかけ離れてしまう。


妹は美味しいものを作るとか
そういう情緒的な部分ではなく
この料理本に載っている料理を
正しく再現するということに視点を置いているし


私はざっくりこれと似たものが作れればいいし
私が美味しいと感じれば良い、というゴールなので
そもそもの「レシピ本」に求めているものが違う。


理系の人は思考が
逆算の場合が多いし
ものこと思考がメイン



文系の人は思考が
積み重ねの場合が多いし
人思考がメインだと思う。


全てではないけれど
ものことは「事実」ベースになるし
人は「真実」ベースになる。


そんな感じで人と話していると
あーこの人は理系だな〜とか
文系だな〜とか


括るというのとはまた違う視点で
そんなことを垣間見ながら
人の話を分析するのは楽しいと思う。


ちなみに私は
人思考がメインだけど
ものこと思考も状況、必要に応じて可能。って感じ。

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